それはある日の午後のことだった。
このところ平和な時間が続いていたせいか、誰もがその異変に気づくのが遅れた。
庭で収穫時期を迎えた野菜を取っていたナンナに、突然背後から黒い陰が近づいていたのだった。
熟れた果実へ伸ばしかけた細い手を、大きな手がつかむ。そしてあっという間に引き寄せられた。
「この女の命が惜しかったら動くな!」
山賊風な格好をした目つきの悪い顔の男がナンナを捕まえて、その白い首筋に短剣を当てた。
「ナンナ!」
一緒に野菜を収穫していたリーフが叫んだ。取った野菜でいっぱいになったかごを手から落とす。
「大人しくしていれば命までとりゃしないぜ」
そう言って何か合図をすると、ナンナを捕まえた山賊の背後から、ばらばらと同じ格好をした男達が現れた。どの男達も手には小さめの斧を持っていた。
「リーフ様! ナンナ!」
リーフの叫びが聞こえ、異変に気づいたフィンが、慌てて野菜の収納庫から走って来た。そしていつも携えている鉄の剣を鞘から抜き、構える。
「おっと、大人しく武器を捨てるんだ」
「おまえ達、一体何者だ? 誰の命を受けてここへ来た?」
「誰の命だって? 俺達をバカにしてんのか?! 俺達は山賊だ。誰の命も受けやしねぇせ」
それを聞いてフィンは少し安堵する。逃亡中であるレンスター王子リーフを追って来たのではないようである。本当にただの山賊であるなら、それほど警戒する必要もない。ここで全員を倒してしまえば問題はないであろう。
相手は全部で6人。戦って負ける数でもない。
とはいえ、相手は大切な愛娘を人質に取っている。こちらから動くにはあまりにも危険であった。
「おい、そこの男。さっさと武器は捨てるんだ」
剣を手にしたフィンに、山賊は命令する。
「……」
フィンは仕方なく抜いた剣を鞘に戻し、一度剣を見た。そして、その視線をまっすぐナンナへと向ける。
山賊の腕の中で身を震わせていたナンナの瞳がフィンを映した。
フィンは何も言わないけれど、その瞳を見ているとなんだか落ち着く感じがする。そうしていうるうちに、ナンナの身体の震えが止まった。
「よし、そのまま武器をこっちに投げるんだ」
山賊の言葉の通り、フィンは己の剣を山賊の足下へと放り投げて手放した。
その瞬間、武器の方に気を取られた山賊の、ナンナをつかむ手がゆるんだ。
その一瞬の隙をナンナは見逃さなかった。大男の手首をクッと握りしめる。
「ウワァ!」
急に山賊は叫んだかと思うとがくりと膝をついた。
さかさずナンナは山賊の肩を軽く触れる。
「ウワァァァァ!」
再び山賊は大きな声で叫び、転げ回った。
ナンナを捕まえていた山賊の頭が急に叫びだしたので、子分である他の山賊が何ごとかと一瞬動きを止めた。
それをフィンが見逃すはずもなく、すばやく他の山賊達の懐に入り込んだかと思うと、みぞおちを殴って戦意を喪失させていく。
一歩タイミングが遅れたものの、リーフや他の村人達も一斉に山賊に襲いかかった。
あっという間に形勢は逆転し、山賊達は地に這いつくばる形となった。
「お父様!」
山賊の手から解放されたナンナがフィンの側へ駆け寄ってくる。
「ナンナ、よくやった」
「うまくいってよかった……」
ホッとした様子ではあるけれど、やはり山賊の人質となったことが恐かったのか、ナンナは身体を少し震わせていた。
フィンはそれを落ち着かせるように、ナンナの肩を抱いた。
「よくあのタイミングで動くことができたな」
「お父様が前におっしゃっていたでしょう。武器を手放した瞬間が一番敵は油断するものだって。だからあの時動かなくちゃって思ったの」
教えたことを忘れずに全てを吸収し、それを実戦に用いてていく娘に、フィンは満足そうにうなずいた。
「ナンナ!」
山賊達に縄にかけ終わったリーフが慌てて駆け寄ってくる。
「大丈夫?! どこも怪我していない?!」
頬や肩に手をかけて、ナンナの無事を確かめる。
「ええ、大丈夫です」
「ホントに?! ホントに大丈夫?! 」
リーフはまだナンナのことが心配で、何度も大丈夫をくり返す。
「ホントに大丈夫です。リーフ様ったら心配性なんだから」
ナンナはくすっと笑った。その笑みにやっとリーフは安心したのだった。
それから、フィンと村人達は捕まえた山賊達をどうするかを決めるため、山賊達を連れて集会所へと向った。
リーフとナンナはその場に残り、地面に落とした野菜や果実を拾い集めていた。
いくつかは山賊達に踏まれてしまったが、大半は無事であった。
かごに半分ほど集めたところで、ふとリーフはナンナに声をかけた。
「ねぇ、ナンナ、一体あの山賊に何をしたの?」
身体の大きな山賊が、急に叫び声をあげて転げ回ったのが不思議だった。
「あれは、痛点のツボを突いたんです」
「ツボ?」
意外な答えにリーフは驚く。
「女のわたしではどうしても力の差が出てしまうので、まともに戦っても相手にならないでしょ? でもわたしはリーフ様を守りたかったし、ちゃんと戦力になりたかったから、何かもっと違う形で対抗できないかとお父様に相談したの。そうしたらこの方法を教えてくださったんです。これならうまくツボを突けばそれほど力を使うことなく相手の戦意を喪失させることができるんですよ。接近戦でしか使えないものですけど、覚えておいて損はないかと思って。でも実戦で使うのは初めてだったから、うまくいって良かったわ」
ナンナはほぅと安心して息をついた。
そんなナンナの話を聞いたリーフは、どこかいたずらめいた表情になった。
「ねぇ、ナンナ。そのツボ突きって本当に痛いの?」
「えっ、痛いんじゃないですか? 自分じゃよくわからないですけど……」
「試しに僕にやってみてくれる?」
「えっ? でも……」
「少しくらい痛くても平気だよ。こういうものの効果って聞くより受けた方が早いだろ? 大丈夫だから、やってみて」
どこかわくわくして楽しんでいるような感じがするのは気のせいだろうか。
こういう顔をする時のリーフは、簡単に諦めはしないことを知っているナンナは、1度くらいならと思った。
リーフの右手を取った後、ナンナはリーフの顔を見る。
「じゃ、いきますよ」
「うん、いいよ」
ナンナはリーフの手首に軽く人さし指を当てた。その途端、リーフの手首から肩にかけて、激痛が走る。
「うわぁぁ!」
一瞬ではあるけれど、想像していた以上の激痛に耐えかねて、リーフが絶叫する。
「だ、大丈夫ですか?!」
「こ、これは結構効くね……」
「ごめんなさい! 私、まだ手加減ができなくて……。リーフ様、ごめんなさい!」
痛そうに腕をさするリーフに、ナンナは何度も謝る。
「もう大丈夫だよ。それにしても、これはいいかもしれないね。武器がなくてもこれなら倒すとまではいかなくても逃げる時間はかせぐことができるよね。ねぇ、ナンナ。これ、僕にもできるかな?」
「わたしでもできるのだから、リーフ様なら大丈夫じゃないかしら。お父様にお願いして、一緒に教えてもらいましょう」
「うん、そうしよう!」
リーフは、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のような笑顔でうなずいた。
その後、ツボ突きにかなりの興味を示したリーフは、ナンナと共にフィンから教えを請うこととなった。
そして、その練習台となった、いやならざるを得なかったオーシン達の絶叫がしばらくの間村中に響いたのだった。
Fin
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