もうすぐ陽が暮れ始める時刻。
朝からずっと、リーフはベッドの中にいた。
「カッコ悪いよなぁ……」
ほてって赤くなった顔を手で半分隠しながらリーフはつぶやく。
「ナンナが治ったと思ったら、今度はぼくだなんて……」
突然の病でナンナが具合を悪くしたのはつい3日前のこと。手許に薬がなく危ないところではあったが、リーフが多少の無茶をしながらも、とにかく無事に採ってきた薬草のおかげでナンナはすでに回復していた。しかしナンナが起き上がるのと同時に、今度はリーフが寝込んだのだった。
湖に落ちた後、ちゃんと拭かずにいたせいか、半徹夜でナンナの看病をしていた疲労のせいか、とにかくリーフは熱を出してしまった。
薬師の見立てはただの風邪。あたたかくして栄養のあるものを取り、ゆっくり休めば大丈夫とのことだった。
「こういう時、フィンならもっとカッコ良く決めるんだろうなぁ。あぁ、それよりも、フィン怒るよなぁ」
今、フィンは他の村人達とともに、このあたりの見回りにでかけていた。予定ではもうすぐ戻って来るはずである。
なんと説明しようかと考えようとするが、熱のある頭では何も思い浮かばない。
無茶はするなと言われていたはずなのに、結局単独行動ををしてエーヴェルにも心配をかけてしまった。まずはそのことを謝らねばならないだろう。
それでも、無茶をしたくてしたわけではない。ナンナが苦しんでいるのを見て、いてもたってもいられなかった。ナンナのためだったからと言えば許してもらえるだろうか。
いや、どんな理由であっても言い訳にしかならない。
どうしたものかと落ち込んでいると、独特なリズムのノックが聞こえてきた。
返事をするのに、少し躊躇する。
扉を開けなくても、誰が来たのかリーフにはわかっていた。
今はあまり会いたくはない人物であった。
返事をしないでいると、静かに扉が開けられた。
「リーフ様、お休みですか?」
そっと呼び掛けてくるのは、フィンであった。フィアナ村周辺の見回りが終わって帰宅したところなのだろう。
眠ったふり、というのもリーフはできず、とりあえず返事をすることにした。
「……起きてる」
ぼそっとつぶやかれた小さな返事を聞き、フィンは部屋に入ってきた。
「お加減はいかがですか?」
「ちょっと熱があるだけだから、大丈夫だよ」
フィンはそっとリーフの額に手を当てる。高熱というわけではないが、いつもよりも熱く感じられる。
「薬湯をお持ちしましたので、お飲みください」
すでにエーヴェルから話を聞いていたのだろう。用意周到である。
「フィンの薬湯は効くけど苦いからなぁ」
そう言いながらも、よいしょと上半身を起こす。
幼い時分より、熱を出した時にはフィンは必ず薬湯を用意してくれた。しかし、その薬湯は子供の口にはかなり苦く、飲ませる方も飲む方も一苦労だった。
ただ今回は熱を出した理由が理由だけに、リーフは黙って薬湯に口をつける。
「相変わらず苦いよ、コレ」
のどに残る苦さをこらえながら、カップに半分ほどあった薬湯を全て飲み干した。
フィンは飲み終えたカップをリーフから受け取る。
「やはり無茶をなさいましたね?」
苦い薬湯を飲み終えてホッとした瞬間に、いきなりその一言であった。
「で、でも今回のはいつもの無茶と違うよ! 僕は、えっと、だから……」
リーフは慌てて弁解しようとする。まさかこの時にこう言われるとは思っていなかった。言い訳の言葉をまとめられず、焦るリーフにフィンは静かに制した。
「わかっております。リーフ様がいなければ、ナンナは助からなかったかもしれませんでしたから」
「フィン……」
「ナンナを助けていただき、ありがとうございました」
この時ばかりはフィンは父親の顔をしていた。めったに私情を持ち込むフィンではないだけに、リーフも驚く。
「や、やだな! そんな頭なんか下げないでよ! フィンがいなかったら、代わりに僕がナンナを守るのは当たり前だし、僕だってナンナのためにできることがあれば何だってできる覚悟はあるし、だから、えっと……」
思わぬ展開にリーフは戸惑っていた。フィンにこうしてお礼を言われるのは、何か
不思議な感じがしていた。そしてフィンに感謝されることがなんだか嬉しい気もする。
しかし、何故かしだいにリーフの表情が曇っていった。
「……ホントはもっとカッコよく決めたかったんだ。フィンだったら誰にも心配かけずに薬草を取ってこれただろうし、熱を出すこともなかったと思うんだ。結果としてナンナを助けることはできたけど、結局僕はみんなに迷惑をかけてしまった。やっぱり僕はまだまだ力が足りないよね」
どこかがっかりしたようにリーフは肩を落とす。
「フィン、僕はもっと強くなりたい。フィンがいない時、ナンナを守るのは僕しかいないんだ。だから、僕はフィンに負けないくらいの力を早くつけたい。それに、フィンに心配ばかりかけたくないんだ。僕が強くなればフィンの負担は少しでも軽くなるんじゃないかなって思うし。だから僕はもっと強くなりたい」
誰かのためにがんばりたいと思う気持ちを、フィンはよくわかっていた。昔の自分がそうであった。
彼女のためにがんばっていた自分。
自分の無力さを思い知らされた時もあった。
誰かのために、という理由は成長するのに大切なもののひとつなのかもしれない。
リーフが自ら成長しようとする意識を強く持つのは嬉しいことである。ただ、その理由のひとつがナンナであることに、父親としては少し複雑な思いもあった。
「リーフ様、そろそろお休みください」
「ん」
薬湯が効いてきたのか、急に眠気が襲ってくる。そしてゆっくりとリーフは瞳を閉じる。
やがて静かで規則正しい寝息が聞こえてきた。
フィンはしばらくの間、リーフの寝顔を見つめていた。
大きくなったものだと思う。
自分が思っている以上に、リーフは成長している気がする。もちろんまだ頼りない部分はあるけれど、ちゃんと物事を考えて自分を成長させている。
リーフはきっとすばらしいレンスターの王となれるだろう。今はまだ姿も子供ではあるけれど、やがて背も高くなり、立派な青年へと成長するはず。そしてもっともっとリーフは強くなると思う。
父親であるキュアンがそうであったように、リーフも立派なレンスターの後継者となるであろう。
レンスター城でその姿を拝謁するその日が早く来ることを、フィンは強く願わずにはいられなかった。
そんなことを思いながらフィンはしばらくリーフの枕許にいた。
やがて、さきほどとはまた違った独特なノックが小さく聞こえてきた。
フィンは静かに扉のところへ行き、そっと開ける。扉の向こうにはナンナが心配そうな顔で立っていた。
「お父様、リーフ様の御様子は?」
「ああ。今は眠られている。薬湯を飲んでいただいたから、じきに熱も下がるだろう」
「そう。良かったわ」
ナンナはホッと安堵する。
「お前も起きていて大丈夫なのか? あまり無理はするものではないぞ」
「リーフ様のおかげで私は大丈夫です」
高熱でうなされていたことが嘘のように、ナンナは笑顔を見せた。
「そうか、それならいいが」
フィンはナンナの頭を軽く撫でた。
ふとその手が急に止まった。
「お父様?」
「私がいない間にお前が倒れ、しかも命さえ危なかったという。お前に何かあったら私は……」
一瞬フィンの堅い表情がナンナの瞳に映った。
倒れた時にそばにいなかったことを、後悔しているようである。
ナンナは自分の心配をしてくれる父の気持ちが嬉しくて、フィンの側に寄ってぴとっとその腕に抱きついた。
「私は大丈夫です。お父様もリーフ様も側にいてくれるのですもの。病気なんかに負けたりしません。だって私はお父様の娘ですもの!」
もうすっかり元気になったナンナが、にっこりと微笑んだ。
「そうか、そうだな。私の娘であるお前が病気くらいで負けるはずがないな」
「そうよ、お父様。そんなに心配されなくても大丈夫なんだから」
そう言ってナンナが見せた笑顔がフィンにはとても嬉しく感じられた。
「それだけ元気ならリーフ様のことを任せても大丈夫だな? 私はこれから周辺巡回についての報告会に行ってこなければならない。あとのことは頼んだぞ」
「はい。リーフ様には私がついます」
フィンはもう一度ナンナの黄金の髪を優しく撫でた。
◇ ◇ ◇
フィンが部屋を出ていった後、ナンナは椅子に座ってずっとリーフの枕許にいた。
「リーフ様……」
すやすやと寝息を立てながら、リーフは眠っていた。
顔色も良くなっているように見える。フィンのいうように薬湯が効いたのであろう。
ナンナはやっとホッとする。
自分のためにリーフは薬草を取りに行き、そしてそのせいでリーフは熱を出したのである。
とりあえずただの風邪だと聞いてはいたけれど、もしものことがあったら、と考えずにはいられなかった。心配で心配で仕方がなかった。リーフの元気な姿が見えないだけで、そしていつも一緒にいるリーフがいなくなったらと考えるだけで、もう恐くて身体が震え出してくる。
ナンナはそっとリーフの額に手を伸ばす。
もうかなり熱は引いているように思える。
本当にただの風邪で良かったと思う。
「リーフ様」
寝顔を見ながら、ナンナはもう一度そっとその名を口にした。
早く元気になって、と思うのと同時に、自分のためにリーフがしてくれたことを思い、ナンナにはとても嬉しくなる。
「私のために、ありがとう」
ナンナはリーフの頬に軽く口づける。
まだ愛情ではなく、それとは違った感謝の口づけ。
しかし、その直後、急に恥ずかしくなったのか、ナンナの頬が真っ赤に染まる。
「や、やだ。私……。そ、そうだ、水、変えてこなきゃ」
誰に言うでもなく、そうつぶやいたナンナは小さな木桶を手に、慌てて部屋を出て行った。
急に静かになった寝室。
ひとり残されたリーフが、目を閉じたままもぞもぞと動いた。毛布を頭からすっぽりとかぶり、顔を隠す。
あと少しでもナンナがこの場に残っていたら、だんだんと赤くなっていくリーフの顔を見ることとなっただろう。
Fin
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