「あなたは父上じゃない!」
それが17年ぶりに初めて顔を合わせた時の、デルムッドの開口一番の一言だった。
感動の抱擁を少なからず望んでいたフィンにとって、息子のその一言はひどくショックを受けるものだった。
そして先に兄との再会を果たしていたナンナも、自分と同じ、いやそれ以上に父との対面を楽しみにしていたはずの兄に一言に、驚きを隠せなかった。
フィンもナンナも予想すらしていない、いやする必要もなかったはずの一言。確かにそう叫んだとは思うものの、やはり耳を疑いたくなる。
「お兄様、今何かわけのわからないことをおっしゃいませんでし……た?」
かろうじてナンナが口を開く。
しかし、デルムッドは衝撃の一言を否定するわけでもなく、突然駆け出して部屋を出てった。
扉が開けられたかと思うと、すぐに大きな音で扉は閉められる。
一瞬言い様のない気まずい雰囲気が漂い、その場に居合わせた者達は石化の魔法でもかけられたかのように固まっていた。
しばらく時が止まったかのようであったが、ナンナとリーフがいち早く自分を取り戻して、慌ててデルムッドを追いかけた。
一番衝撃の大きかったフィンは今だ呆然としたままで、追いかけるどころか、声を出すこともできずにまだ立ち尽くしている。
「……叔父上?」
その場に居合わせた、兄妹の従兄弟であり、フィンの甥であるアレスが恐る恐る声をかける。
フィンはおもむろにアレスへと顔を向けるが、その顔には表情はなく、今にも倒れそうなくらいに血の気がなかった。
◇ ◇ ◇
「デルムッドお兄様! 初めて会ったお父様にあんな事を言うなんてひどすぎます!」
「そうだよ! フィンは君に会うのを楽しみにしていたんだよ!」
「私と初めて会った時は私のことを妹だと全然疑わなかったのに、何故お父様にはそんなことをおっしゃったの?! お父様は私達のお父様よ!」
「フィンが君の父上じゃないなんて言ったら、君の母上だって悲しむじゃないか!」
「そうよ! お兄様の一言はお母様までも侮辱するのよ! もう、お兄様! 聞いていらっしゃるの?!」
ナンナとリーフが息をつく暇もなく代わる代わる立続けにデルムッドに怒鳴りつける。
対面した部屋を飛び出して別室へ移ったデルムッド。フィンに衝撃の一言を言った後、憮然とした表情でずっと黙り込んだままだった。
「お兄様!」
ナンナがたまらずさらに大きな声で怒鳴った。
「うるさい!」
珍しくデルムッドは声を荒げ、ナンナを怒鳴りつけた。
その時、ついにナンナの怒りは頂点に達してしまった。
「お兄様のバカ!」
自分は間違ったことを言っていないのに、ちゃんとした言葉もないまま怒鳴られたのではあまりに理不尽である。
それに大好きな父を悲しませるなら、例え兄でも許せない。
そばにあったクッションを思いっきり投げつけて、ナンナは部屋を飛び出した。
「ナンナ!」
リーフは一瞬ナンナの後を追おうとしたものの、きっとフィンのところに戻ったのだと思い、その場にとどまった。
今はナンナよりもデルムッドの方が気にかかる。
「あーあ、ナンナを怒らせちゃって。あんなふうに怒ったら大変なんだよ。ごはんは作ってくれないし、怪我の治療もしてくれないし。デルムッド、責任とってくれる?」
「そ、そんなこと……」
思いっきり顔面にヒットしたクッションを、デルムッドは所在なげにもてあそぶ。
ナンナまで怒らせるつもりはデルムッドには全然なかった。ただ、なりゆきでそうなってしまい、デルムッドにとっても後味の悪いものだった。
「初めての兄妹ケンカだね?」
「!」
思いがけずに、そうリーフに言われたデルムッドは顔が真っ赤になる。
そういえば、兄弟のように一緒に育ったレスターやスカサハとはケンカもしたこともあったが、本当に血のつながった妹とのケンカは初めてであった。
兄なのにあんな八つ当たりのように妹を怒鳴るなんて、なんて大人気ないことをしたんだと恥ずかしく思ってきた。
どんどん落ち込んでいくデルムッドの気持ちがわかったのか、リーフはくすっと小さく笑う
「大丈夫だよ。ナンナはちゃんと非を認めて謝ったら許してくれるから」
「は、はぁ」
にっこりと笑いかけるリーフに、デルムッドは何を言えばいいのかわからず、ただうなずいた。
それからリーフはひとつ咳払いをすると、真面目な顔つきでデルムッドを見た。
「それで話は戻すけれど、一体どうしたんだ? まさか本当にフィンが父上じゃないなんて思っているんじゃないだろうね?」
「……」
ふたたびデルムッドの表情が暗くなる。
「じゃあ、そう思った理由が何かあるんだろう? それ、話してくれないか? じゃなきゃフィンもナンナも可哀想だよ」
リーフに問われたものの、しばらくデルムッドは黙り込んでいた。しかしやがて意を決したように話し出した。
「……違うんです」
「何が?」
「髪型が違うんです」
「髪型?」
「僕がまだティルナノグにいた頃、オイフェさんやシャナン様に父上はどんな人だったかと聞いたんです。その時に髪型の話も出て、こうだったと教えてもらったのです。だから僕は父上と同じ髪型だと信じて今まで同じにしてきたのに、今日会った父上は全然違う髪型だった!」
「……それが理由?」
もっと重要な何かがあったのだと思っていたリーフはあっけに取られた。
「他にどんな理由があるというんですか?!」
「いや、それは……」
逆に聞かれてもリーフにちゃんとした答えはない。漠然と重要な何かがあるような気がしただけである。
「父上については、僕がティルナノグにいた頃からその活躍ぶりは耳に届いていました。そんな方が僕の父上だということをずっと誇りに思ってきました。だから外見だけでもいい、少しでも父上に近づきたかったんです!」
「外見だけって……、じゃぁさ、フィンは槍騎士なわけだし、君も槍を使おうとは思わなかったの?」
「もちろん思いました! でも、あの頃はどうしてもセリス様中心の生活でした。セリス様は槍よりも剣がお好きだったし、実際武器を教えてくれたのはシャナン様でした。ティルナノグには剣や狩猟用の弓を使う人はいましたが、槍を使う人はいません。唯一オイフェさんが使うことができましたが、あちこち留守にすることが多かったから習うことはできませんでした」
デルムッドはよほど槍が使いたかったのか、悔し気に拳を握る。
「だから、リーフ様には些細なことかもしれませんが、髪型については僕にとっては重要なことなんです! 何一つわからない父上と、少しでも同じところがあって欲しいってそう思って僕はこの髪型にしていたんですから!」
「そ、そうは言ってもフィンの髪型はずっとあれだよ。僕が小さい頃からそれは変わっていない」
「じゃぁ、何故オイフェさんやシャナン様は……」
「それは……」
オイフェやシャナンに面識のないリーフには、2人の意図はわからない。デルムッドにとっても2人が偽りを教えた理由は思いつかなかった。
「と、とにかく、今はフィンが君の父上かどうかって話の方が先だから、2人がどうして違う髪型を教えたかについては後で考えよう。で、僕は髪型が違うからといってフィンを責めるのは間違いだと思うけれど、デルムッドはどう?」
「……」
デルムッドはうつむいて黙ってしまう。
「……僕には父上と呼びたくても呼べる人はいないんだ」
何の前触れもなくリーフは語り始めた。
「リーフ様?」
「僕が生まれてすぐに父上は亡くなられたと教えられた。それから僕を育ててくれたフィンのこと、ずっと父上のように思ってきた。でもやっぱり父上じゃないんだよね。親子のフリはできても、本当の親子にはかなわない。解放軍にはセリス様をはじめ、両親を亡くしている人がたくさんいるよね。みんな口では言わないけれど、親が生きているだけってだけでもうらやましいと思うんだ」
「……」
「髪型なんてつまらないこと……、ごめん、やっぱり僕にはつまらないこととしか思えないから言わせてもらうけど、そんなことで親じゃないっていうんだったら、もうデルムッドにフィンは渡さない」
「リ、リーフ様?!」
「そうだ、そうしよう! 君が父を必要としないならそれでいいよ! 僕の大事なフィンを悲しませるくらいなら、君の存在はなかったことにすればいいんだ。そう、フィンの息子は戦いの途中で命を落としたってことにしてもいいよね。そうすればフィンだって諦めもつくだろうし」
無茶苦茶な言い分ではあるが、リーフはいいことを思いついたとばかりに、にやりと口元に笑みを浮かべる。
「リ、リーフ様?!」
デルムッドは何故か身の危険を感じて一歩後ずさる。
「今ここでどうこうするつもりはないから安心していいよ」
「……」
和やかな笑顔を見せるリーフではあるが、デルムッドにはまだ疑いの気持ちは残っており、警戒せずにはいられなかった。
しかしリーフはデルムッドに構わず話を続ける。
「フィンにはナンナも僕もついている。甥にあたるアレスだっているんだし、君ひとりいなくても大丈夫だよ。じゃ、2度と僕らの前には顔出さないでよね」
「じゃって、リーフ様……」
「いいね?! 絶対に2度と姿を見せないでよね!」
ビシッとデルムッドを指差しながら、リーフは大きな声で念を押す。少しにらみをきかせ、反論は許さないといった感じでもある。
そんなリーフの確認に、デルムッドはうなずかずに、その瞳に不安げな色を浮かべた。何かを言おうとするが何をいったらいいのかわからず、いや、言いたいことはわかっているけれど、その思いを声に乗せることはできなかった。。
しばらくして、リーフはデルムッドをにらんでいた瞳をいつものやさしい瞳に戻した。
「やっぱりフィンに会えなくなるのは嫌なんだね? だったらさ、そんな些細なことなんか気にせずに、フィンに『父上』って言ってあげなよ」
「しかし……」
「何? もしこれ以上ぐだぐだ言うんだったら、僕も本気で怒るよ?」
「あ、いえ、わかりました。でも父上は許してくださるでしょうか? 僕は父上を傷つけてしまったし……」
しゅんと肩を落とし、そしてうつむきながらぼそぼそと小さくつぶやく。
「あぁ、もう! そんなこと気にしてないで、さっさとフィンのところへ行く!」
リーフは躊躇うデルムッドの背中を思いっきり押した。
◇ ◇ ◇
「さきほどは、申し訳ありませんでした!」
部屋に入り、フィンの顔を見るなり、デルムッドは思いきり深々と頭を下げた。
「デルムッド……」
フィンは名前を呼び掛けるが、まださきほどの動揺が残っているような声音であった。
「あなたが父上じゃないなんて、ひどいことを言ってしまいました。すみませんっ!」
これ以上は下げられないというほどに下げた頭を、さらに深々と下げる。
「……いや、君が生まれて今日のこの日まで私は君に何もしてあげられなかった。父と思われなくてもそれはしかたがないだろう」
「そんなこと! お父様はずっとお兄様のことを思っていらしたわ!」
フィンの隣に座り、べったりと腕にしがみついていたナンナがたまらず立ち上がる。
「ナンナ」
反論する娘にフィンはやさしく制す。
おとなしくしていなさい、と視線で伝えられ、ナンナは仕方なく椅子に座り直す。
フィンは視線をデルムッドに向け、真剣な面持ちで話し始めた。
「君が私を父だと認められない何かがあるのならしかたがない。親子としての実感もないままやはり父とは呼べないだろう。私も無理に父と呼べと強制することはできない。だが、ラケシスから君のことを聞いた時からずっと君のことを忘れたことはない。いつも君のことを考えていたことだけはわかって欲しい」
まっすぐに自分を見つめるその青き瞳に、デルムッドは強い意志を感じる。
自分を忘れたことはない、いつも自分のことを考えていてくれた、その言葉に偽りはない。真実のみがそこにある。こんなにも自分を思ってくれる人が他人であるはずがない。自分はなんてバカなことを言ったのかと、デルムッドは後悔せずにいられなかった。
「……父上は僕がずっと思い描いていた以上に強くてすばらしい人です。僕の父上にはもったいないくらいです」
うっすらと父親譲りの青の瞳に涙が浮かぶ。
「デルムッド……。私を父と呼んでくれるのか?」
「父上は僕の父上です!」
たまらずデルムッドはフィンの胸へと飛び込んだ。デルムッドも背は高い方であるが、それよりもフィンの背は高く、広い胸であった。
「ごめんなさい! 僕は、僕はずっと父上に会いたかった!」
子供のように抱きつく兄と、それをやさしく抱きとめる父の姿。ずっと待ち望んでいたいただけに、それを見て、ナンナはすごく嬉しくなった。
「ナンナ、機嫌は直った?」
嬉しそうな笑顔に戻ったナンナにリーフがそっと話しかける。
「機嫌って、私は別に……」
「あんなに怒ったナンナを見るのはひさしぶりだったからね」
「やだ、リーフ様。私、怒ってなんていませんっ」
「怒ってたよ。頬をふくらませて、デルムッドを恐い顔でにらんでた」
「そ、そんなこと……」
ナンナの頬を指でつっ突きながらからかうリーフに、ナンナは機嫌を損ねたのか、ぷいっと横を向く。
「ごめん、嘘だよ。ナンナは恐い顔なんてしていなかった」
「リーフ様なんて知りませんっ」
「ナンナ、ごめんったら」
そんなふうにリーフとナンナがじゃれあう様子を見て、アレスはふと思う。
「近いうちに叔父上には息子がもう一人増えそうだな」
そのつぶやきは、他の4人には聞こえなかい。
やがて感動の抱擁を終えたフィンは、デルムッドの肩に手を置いた。
「デルムッド、今まで辛い思いをさせてすまなかった。側にいてやれなかった償いというわけではないが、これからは私にできることがあれば何でも言って欲しい」
「ありがとうございます、父上。では、あの……」
デルムッドは何かを言いかけ、しかし一瞬躊躇する。
「何だ? 何でも言ってくれ」
「ではひとつだけ、僕の願いを叶えてくれますか?」
「ああ。私にできることであれば、ひとつでもふたつでも君の願いは何でも叶えよう」
「じゃぁ……」
◇ ◇ ◇
「あんなのお父様じゃないわ!」
感動の再会を果たした翌日のことである。
リーフの部屋に来ていたナンナは、怒りもあらわにテーブルの上をドンッと叩いた。
「そうだよ! フィンじゃない!」
ナンナと同じく不機嫌な表情のリーフ。そしてアレスも同様である。
「あれは確かに叔父上じゃないな」
デルムッドたっての願いを叶えたフィンは、ナンナやリーフにとって納得できるものではなかった。それどころか、普段は無口であるアレスにも不満だった。
「アレスもそう思うでしょう?! いくらお兄様のお願いっていっても、あの髪型をお父様がするなんて許せないわ!」
デルムッドのたった1つの願いとは、フィンに自分と同じ髪をしてもらうことであった。
「絶対フィンには似合わないのに、あんな髪型で城下を歩くなんて、僕は許せないよ!」
「同感だな」
アレスも言葉少なに同意する。
「ねぇ、お兄様はお父様と何か同じところが欲しいのよね?」
「そう言っていたよ。だから同じ髪型にしたかったって」
「だったら、お兄様の髪型をお父様と同じにしましょうよ!」
いいことを思いついたとばかりにナンナは2人に提案する。
「お兄様はお父様のお若い頃の顔だちにそっくりだと聞いたわ。それならお兄様もお父様の髪型の方がきっとお似合いになるわ!」
「それは言い考えだな」
「そうしよう! フィンに2度とあの髪型で城下を歩かないようにさせるためにも、デルムッドの髪型を変えよう!」
3人は大きくうなずき、そして決意を固めた。
◇ ◇ ◇
「ハックションッ」
「どうした、風邪か?」
「いえ、風邪ではないと思いますが、何か悪寒が……。でも大丈夫です! 父上、今度はあの武器屋へ行きましょう!」
自分と同じ髪型をしてくれた父と2人っきりで城下へと遊びに来たデルムッドは上機嫌であった。
子供の時に甘えられなかった分を取りかえすかのように、デルムッドはフィンを一人占めしていた。今日一日ずっとフィンは一緒にいてくれるのである。
しかも、フィンが自分と同じ髪型にしてくれて。
デルムッドは嬉しくて嬉しくて、子供のようにはしゃいでいた。
ナンナ、リーフ、アレスの3人が、どんなことを企んでいるかなど、まったく知らないままで……。
そして、さらに後日の話であるが、どうしてオイフェやシャナンがデルムッドにフィンの髪型を偽ってを教えたのかが気になったリーフは、こっそり2人に訊いてみた。
その答えは実に単純であった。
物心つき始めた頃のデルムッドは父のことがどうしても気になり、しきりに2人に訊いていたという。
父はどんな人だったか、強かったのか、容姿は、声はどんなであったかと、2人の顔を見る度にしつこく訊いてきた。最初のうちは丁寧に教えていたのだが、しだいに忙しくなってきた2人はそれに答える時間もなく、たまたま手に入れた子供用の絵本の中の騎士を、フィンにそっくりだと言ったらしい。
2人にしてみれば、絵本の騎士は青い髪で槍を手にして馬に乗っているということでただ似ていると言ったのだが、デルムッドはその絵本の挿し絵の騎士を見て、父の姿を思い浮かべた。
果たして、子供心の思い込みというのであろうか、デルムッドは挿し絵の騎士を父と重ね、そして同じ格好−髪型をするようになった。
当のデルムッドはすでにその絵本の存在は忘れているが、絵本の騎士=フィンということだけが心に残っていたのである。
「結局、デルムッドの思い込みってだけだったんだ……」
リーフは呆れたようにため息をつくが、それだけ父への憧れが強かったデルムッドが少しうらやましくもあった。
Fin
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