いつものように、リーフ、ナンナ、マリータ、エーヴェル、そしてフィンの5人で朝食をとった後、フィンは1人出立準備をしていた。
今日はフィアナ村の数名とともに村周辺を見回ることになっている。
最近山賊と呼ばれる強奪者が幅をきかせていた。そんな山賊どもの自由にはさせられないと、フィアナ村の代表であるエーヴェルを筆頭に、周辺の村人達は定期的な巡回および罠の確認を行っていた。山賊が出没しそうな所を重点的に巡回し、その途中で山賊に出くわせばそのまま退治する。多少の危険を伴うものではあったが、事前に村を守るためには必要なことである。
馬に乗れ、槍術に優れたフィンは、最近巡回に加わることが多い。この日もエーヴェルの代わりにフィンが同行することになっていた。
フィアナ村周辺に点在する他の村、そして森を中心としての巡回は、2、3日もあれば終わるものであった。
一通りの準備を終えたフィンは外へと向かい、自分の馬にわずかな荷物を取り付ける。
リーフやナンナ、エーヴェル、マリータも、フィンを見送るために外に出てきた。
「ナンナ? 顔色が悪いが、気分でも悪いのか?」
すぐそばで馬を撫でていた娘に、父は心配そうに訊く。
「いいえ、大丈夫です。心配なさらないで」
「それなら良いが。留守の間、よろしく頼む」
「はい。いってらっしゃい、お父様。お気をつけて」
少しいつもの元気がないように思えたが、いつもと変わらない娘の微笑みに、フィンは大きくうなずく。
「リーフ様、私がいない間、無茶はなさらないようお願いいたします」
「フィン、それじゃあ僕がいつも無茶しているみたいな言い方だよ」
「無茶をしたことがないとおっしゃいますか? では前回私がいない間、食べ過ぎで動けなくなったのはどこのどなたです? それから、肝試しだとかおっしゃって村の子供達と夜中に出かけた挙げ句、森で迷子になったのは……」
「フィン、わかった、もういいよ。おとなしくしています」
降参だとでもいうようにリーフは両手をあげてフィンにストップをかけた。
生まれた時から常に一緒にいるフィンは、リーフの兄代わりでもあり父親代わりでもあるせいか、よくリーフのことを見ている。そのせいではないが、リーフはフィンに対していつも頭があがらない。さらに、何もかも知られているようで、時々悔しく思ってしまう。とはいえ、フィンに反抗する気持ちはまったくないのではあるが。
しかし先に釘を刺され、恨めしそうにフィンを見るそんなリーフのそばで、同じく幼い頃から共にしているナンナはくすくすと小さく笑っていた。
「それではエーヴェル、2人のことを頼みます」
「ええ、わかったわ。あなたも気をつけて。山賊が出たとの情報はないから、今回はただの周辺巡回で何も問題ないとは思うけれど」
「ええ。すぐに戻ってこられると思いますが。それでは行ってきます」
自分の馬に颯爽とフィンは乗ると、軽やかな足取りで馬を走らせた。
◇ ◇ ◇
変化が起こったのは、フィンが出立した日の夕食時のことだった。
「ナンナ、どうかしたの? 全然食べてないじゃない。お昼もかなり残していたし、やっぱり具合悪いんじゃない?」
ナンナの向い側、テーブルをはさんだ正面に座っていたマリータが心配そうに声をかけた。
確かにナンナはほんの少しスープに手をつけただけで、それ以外はほとんど残されている。マリータやリーフはもう食べ終わろうとしていたのに。
「……ちょっと身体がだるいみたい。食事の途中で悪いのだけど、先に休ませてもらおうかしら」
「そうしなよ! ナンナに何かあったら大変だ。僕が部屋まで送るよ」
立ち上がろうとしたリーフをナンナは止める。
「大丈夫です。リーフ様はそのまま夕食を召し上がってください」
席を立ち、2、3歩歩き出したナンナの足取りがふらついたかと思うと、急にその場に崩れるように倒れた。
「ナンナ?!」
慌ててリーフが駆け寄る。抱き起こして声をかけるが、ナンナは苦し気に顔をゆがめるだけで返事はしなかった。
「リーフ様、部屋に運びましょう!」
エーヴェルが気を失ったナンナを背負い、寝室へと向かう。
いつものベッドにナンナを寝かせると、エーヴェルはナンナの脈を取り、額に手を当てる。
「エーヴェル、ナンナは大丈夫なの?!」
今までずっと一緒にいたナンナがこのように突然倒れたことは一度としてなかった。少なからずの無理をして熱を出し、寝込んだことがあったくらいである。
「熱が高いようですね。ただの風邪にしては病状が違うような……。とにかく熱さましの薬を持ってきます。マリータ、あなたは水を持ってきて」
「はい!」
戸口で心配そうにしていたマリータは返事をするなり、駆け出した。
「ナンナ、しっかりするんだ! ナンナ!」
リーフはナンナの手を握り、必死になって高熱でうなされている彼女に声をかける。熱があるのに、握りしめたナンナの手が冷たくなっている気がしていた。ふいに指先に目を向けたリーフが何かに気づいた。
「これ……、ナンナ?!」
「リーフ様、薬をお持ちしました!」
「あ、エーヴェル、これ見て!」
薬の入った茶色のビンを持ってきたエーヴェルに、リーフはナンナの指先を見せる。
「これは!」
エーヴェルは驚きの声をあげる。
見せられたナンナの指先には、小さな赤い斑点がいくつか浮かんでいた。
「ナンナ様、失礼!」
エーヴェルは掛けていた毛布をめくり、ナンナの足元を見た。足の指先にも同じように赤い斑点が浮かんでいる。
「エーヴェル、これはどういうこと?! ナンナは大丈夫なの?!」
「この症状、ナンナ様の病は女性、特に子供の時にかかるもののひとつです。命に別状はありません」
「じゃあナンナは大丈夫なんだね?」
エーヴェルの命に別状はないという言葉にリーフはホッとする。しかしそれは一瞬
だけのことであった。
「ただ……」
「ただ? 何? 何かあるの!?」
「はい、問題がひとつ。今、この病に効く薬がこの村にはないのです。ここ数年この病が発病することもなかったので……」
「そ、そんな! じゃあナンナはどうなるの?! エーヴェル!」
「薬がなくとも手足の発疹も高熱も1週間ほどでおさまります。しかし1週間もの間、ナンナ様のお身体が高熱に耐えられるかどうか……」
「薬って本当にないの?! どこかで売ってるものでじゃないの?!」
すがるようにリーフはエーヴェルに訊く。
「大きな城下街へ出れば間違いなく売っています。しかしそこまで行ける時間の余裕はありません。一番早いのは薬草を用意することです。薬の原料となる野草は東の山に生えています。それさえあればあとの調合は私にでもできます」
「東の山だね。今から僕が採ってくる!」
今にも飛び出して行きそうなリーフを、エーヴェルは慌てて引き止める。
「ダメです! この時間から山に入るなど無茶もいいところです。それにその薬草は絶壁のような足場の少ない危険な場所に生えているといわれます。とてもリーフ様が行けるようなところではありません!」
「でもナンナが!」
「とにかく今から行くのは無理です。明日夜明けを迎えたら、村の大人に行かせますから。リーフ様はナンナ様のお側にいてあげてください」
「でも……」
「リーフ様、おわかりください」
「……」
確かにエーヴェルの言うことはもっともであった。陽が暮れたこの時間から山に入るのは自殺行為とも言える。ただでさえ山に不馴れなリーフが行くのは危険であった。それがわかるだけに、行きたいのはやまやまではあったがリーフもこれ以上行くとは言えなかった。
◇ ◇ ◇
すでに月が高く昇っている時刻。
エーヴェルは静かに部屋へ入ってきた。
「どうですか?」
「熱は相変わらず。でも今は少し落ち着いているかな」
ナンナの汗を拭きながらリーフは答える。倒れた時から病状に変化はない。目覚めないまま時だけが過ぎていく。
「マリータは?」
「念のため隣の家で預かってもらいました。マリータは一度かかったことがあり免疫があるのでうつることはことはないと思いますけれど」
「そう」
「リーフ様、そろそろお休みになられた方が……」
「いや、ナンナについている」
リーフは短く答える。
「しかしリーフ様まで倒れでもしたら大変です。今夜は私がついておりますから、お休みください」
「でも…」
「万が一ナンナ様に何かあった時は、すぐにお知らせいたしますから」
「……わかった」
そこまで言われ、リーフは仕方なくといった感じでこくりとうなずいた。
「ねぇ、エーヴェル。その病に効く薬草ってどんなものなの?」
「5枚の白い花びらの小さな花です。その花の根と葉が必要なんです」
「ふぅん……」
「リーフ様?」
「とりあえず部屋に戻るよ」
「え、ええ……」
リーフの真剣な表情に、エーヴェルは少なからずの違和感を感じる。しかしそれ以上に今はナンナの病状が気になることもあり、それ以上深くは考えなかった。
「ナンナ……。大丈夫だよ。僕が助けてあげるから」
リーフはもう一度ナンナの手をしっかりと握りしめて小さく呟いた。
翌朝、陽が昇りはじめたというのにリーフは自分の部屋から出てこなかった。昨夜あれだけナンナのことを心配していたのに、とエーヴェルは不思議に思い、リーフの部屋へと様子を見に来てみた。
「リーフ様? 起きていらっしゃいますか?」
何度かノックをしながら声をかけるが、部屋の中からは返事はない。
「リーフ様、入りますよ」
半開きのカーテンの間から朝陽が差し込むその部屋の中には、誰もいなかった。
ベッドがわずかに乱れているが、リーフの姿はどこにも見られない。
エーヴェルはベッドを触ってみた。そこは冷たくて、かすかな温もりも残っていない。
ナンナのこともあるのだから、早く目が覚めたから散歩というわけではない。よく見れば、窓も中から鍵はかかっていない。となると、考えられるのはひとつである。
昨夜のうちにどうして気づかなかったのだろう。リーフは部屋へ戻る間際、薬草について訊いていた。そしてナンナが倒れた直後、薬草のことを聞いたリーフは、あれほどすぐに取りに行くと言っていたのだ。ナンナのためにリーフがどう動くか簡単に想像がつくはずである。
「リーフ様……」
危険を顧みずに山へと向かった無茶な行動への呆れと、多大な心配とが入り交じった複雑な気持ちで、エーヴェルはため息をついた。
◇ ◇ ◇
一方その頃、日の出とともに東の山へと向かったリーフは、断崖の近くに生息するという薬草を探していた。
この山は、山といっても小さなものなので、ただ入るだけなら陽があるうちであればさほど問題はない。
平坦な場所には多くの薬草・香草が採れる。何度かナンナとマリータとともに来たこともあった。とはいえ、今欲しい薬草は平坦な場所にはない。
リーフは木々の生い茂る奥へ奥へと向かって行った。確か以前にこの先は崖があるから入るなと言われた覚えがある。
危険を承知でリーフは先を急ぐ。
「痛っ」
無造作に生い茂る木々の枝がリーフの頬をかすめた。触った指先にうっすらと血がつく。
「怪我なんかしたら、フィンに叱られるかな。フィンが帰る前にナンナにライブかけてもらおうかな」
リーフは頬の傷も気にせず、さらに足を進める。
やがてうす暗い森から視界が開ける。
森から出たところは、大きな岩がごろごろとした荒れた足場、そして強い風が吹きつけるそんな場所であった。。
リーフは岩場の端まで進んでみた。そして下を覗いてみる。真下は小さな湖になっていた。そう高くはないが、蒼碧に輝く美しい湖面に吸い込まれそうな感じであった。
「えっと、花は……」
あたりを見渡してみるが、見えるところに白い花はない。
ここになければリーフには他にアテはない。なんとか花が見つからないものかと、リーフは懸命に探し始めた。
「あれだ!」
足場よりも数十cm下、茶色の岩肌が見えるその場所に、白い花は咲いていた。
手を伸ばせば届きそうな場所。
意外と早く見つけることができたリーフは思わず喜ぶ。
早く持って帰ろう。
その気持ちでいっぱいであった。
這いつくばるように身体を地面につけ、手を伸ばす。
「あと、少し……」
懸命に手を伸ばし、花を摘もうとする。しかし本当にあと少しと言うところでなかなか届かない。
リーフは近くの木につたう蔓を左手で掴み、それを支えにしてさきほどよりもさらに身を乗り出して右手を伸ばした。
軽く指先が花に触れる。なんとか手繰り寄せようと指を動かす。
「と、届い……、わぁ!」
急に左手が軽くなり、そして落下感がリーフを襲った。
◇ ◇ ◇
「母様、リーフ様、遅いね」
ナンナの病状が気になって自宅に戻ってきていたマリータは、義母からリーフが1人で薬
草を採りに行ったことを聞かされた。自分も行くと義母に掛け合ったが、エーヴェルはそれを許さなかった。マリータはナンナにもリーフにも何もできず、もどかしく思いながらじっとリーフの帰りを待っていた。
エーヴェルは無言でナンナの汗を拭う。
そろそろ陽が傾き始める時刻である。
この時刻まで戻らないとすれば、まだ薬草が見つからないか、あるいは道に迷ったかであろう。救援に向かうならばもう行かなければならないギリギリの時刻である。
リーフが薬草を持って帰ることに賭けたのだが、もう待ってはいられなかった。
「マリータ。ナンナ様をお願い。私は山へ……」
その時、急にドアを開けた音が聞こえたかと思うと、廊下を駆ける騒々しい音が響いてきた。
「エーヴェル!」
全身濡れそぼったリーフが勢い良く駆け込んできた。ずっと走ってきたのか、足を止めた途端に咳き込む。
「リーフ様!」
「エ、エーヴェル、これ……」
リーフは根の付いた白い花を差し出した。
「これでナンナは助かるんだよね?!」
「リーフ様、どれだけ私達が心配したか……」
「そんなことよりも早く薬を作ってよ!」
言いたいことはたくさんあったが、今はそれどころではない。無事にリーフが戻ってきたことを良しとするしかない。
とにかく優先事項はナンナの薬である。
エーヴェルはリーフが差し出した白い花を受け取った。すぐに調合しようと台所へ向かおうとした。しかし、その歩みは続かなかった。
「これは、この花は……」
「エーヴェル?」
急に足を止めたエーヴェルの許へ、リーフは不思議そうに近寄ってみる。
「どうかしたの?」
「違うんです。これは薬草ではありません」
うつむき加減にエーヴェルはつぶやく。
「そ、そんな! だって5枚の花びらがある白い花だって言ったじゃないか?! それにちゃんと断崖近くに咲いていたんだ! 」
「薬草とよく似ていますが、葉の形が違うのです。これは丸い葉ですが、薬草の葉はもっと細く長いものなのです」
「そんなことって……」
リーフはがくっと膝を折った。
「湖に落ちてまで採ってきたのに、それなのに違うなんて、どうして!」
リーフは思いっきりこぶしを床に叩きつけた。
そしてうつむいたその頬に、一筋何かが滴る。それは髪から滴る水なのか、それとも瞳から流れたものなのか、エーヴェルにはわからなかった。
その時、マリータが恐る恐るリーフに声をかけた。
「あの……、その上着のポケットにあるのは何ですか?」
「これ? ナンナの好きな青い花があったから、ナンナにと思って……」
「青い花?! リーフ様、それを見せてください!」
突然慌てるエーヴェルに、わけもわからずリーフはポケットから取り出した青い花を渡した。
エーヴェルはまじまじとそれを見定める。
「リーフ様、よくこれを見つけましたね」
明らかにホッとしたように微笑みをリーフに向けた。
「えっ?」
「これは、ほとんどの病に良く効くという万能の薬草です。今の時期、いえ、どの時期であってももうほとんど生息を確かめることのできない貴重なものなのです。これがあれば、ナンナ様の病もすぐに治りますよ」
「本当に?!」
「ええ。すぐに準備に取りかかります。マリータ、あなたも手伝ってちょうだい」
「はい! 母様!」
青い花を手に、二人は台所の方へと向かって行った。
2人を見送ったリーフは、緊張の糸が切れたかのようにへなへなとその場に座り込む。
「よかったぁ……。ナンナ、すぐに良くなるからね」
ナンナの方を向いた時、その視線の先には苦しそうにしているナンナの顔があった。小康状態を保っていたナンナの容態が急に変わってきていた。
「ナンナ?! 大丈夫?!」
慌てて枕許に寄ってリーフは呼び掛ける。
「お……母様、行かないで……。ナンナを置いていかないで……」
「ナンナ?」
「お父様……、ナンナを1人にしないで……」
高熱のせいか、うわごとのようにナンナはつぶやく。
「大丈夫だよ! ラケシスは……、母様はすぐに戻ってくる! 父様もいつもナンナと一緒にいるよ!」
ナンナの右手が何かを求めるかのように、弱々しく宙をさまよう。
「兄様……、兄……様」
「ここにいるよ! 僕はここにいるから!」
「ずっと、ずっと一緒に……いて……」
「大丈夫! 僕はずっとナンナのそばにいるから。ずっとナンナと一緒にいるから!!」
意識のない状態のナンナに聞こえるように、リーフは一生懸命大きな声で呼び掛ける。
大丈夫。ずっと一緒にいる。
そう何度も呼び掛ける。
それは、エーヴェルが薬を持ってくるまで続いた。
◇ ◇ ◇
リーフが薬草を採取し、エーヴェルが調合した薬湯は、服用後、病状は目に見えてわかるくらいすぐに回復へと向かっていた。
すでに宵の時刻。
ナンナは1日半ぶりに目を覚ました。
目が覚めてすぐに右手にあたたかいぬくもりと痺れを感じた。
どうしたのかと顔を横に向けると、こげ茶色をした髪が見えた。
「リーフ……さま?」
か細い声でそっとつぶやく。
看病に疲れたのか、それとも薬草採りに気力を使い果たしたのか、静かな寝息を立て、ナンナの腕を枕にリーフは眠りこんでいた。
手はしっかりとナンナの右手を握りしめている。
「リーフ様、ずっとそばにいてくれた……?」
まだ熱っぽくてうまく思うことがまとまりそうにない。しかしずっとリーフの声を聞いていた気がナンナはしていた。
ずっと一緒にいる。
そう言ってくれたような気が。
それが夢なのか、現実なのか、ボォとした頭ではよくわからない。
でも。
いまここに、すぐそばにリーフがいてくれる。そのことがすごくナンナは嬉しかった。
目が覚めて、最初に見たのがリーフで良かったと思う。
右手に感じるあたたかい温もりが、ナンナの心を安心させてくれる。
父や母とは違う温もり。
「リーフ様、ありがとう……」
ナンナはぎゅっとリーフの手を握り返し、そして再び瞳を閉じた。
Fin
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