エーディンが捕らわれてから数日後のことである。
ガンドルフは数人の供とともにマーファ城城下へ戻ってきた。
ユングヴィで一の美女とも謳(うた)われるエーディンを連れたガンドルフは、そのまま城へは入らず、上機嫌で城下の一角にある酒場に入って行った。
「おやじ、酒だ! 酒を持ってこい!」
店に入るなり、ガンドルフは大声で注文する。
すでにくつろいでいた他の客を供の者にどかせ、店の中央の席を陣取った。
「お前はそっちでおとなしく座ってな。酌でもさせたいところだが、今日のところは大目にみてやる。但し、逃げようなんて思うなよ。お前が逃げ出せば、ここのおやじとその家族の命はないと思え」
物騒な言葉を言い放ち、ガンドルフはエーディンを店の奥の方のテーブルに座らせた。
そして、自身は自分の居城を目の前にして安心しきったのか、酒場のおやじに次々に上等な酒を注文しては飲み始める。
仮にも王族が、城下の、しかも民の前で酒など飲まなくても、とエーディンは眉をしかめた。
このような目にあまる不作法が、蛮族と呼ばれる所以ではないだろうか。
王族としての威信も気品もあったものではない。
つづくづこの男が王族であるということが信じられなかった。
エーディンはすることもないまま、ただじっと座っていた。
所在なげに窓の外を眺めていると、小太りな店主がエーディンに近づいてきた。
「あんたもやっかいな奴に目をつけられたもんだな。気の毒だとは思うが、悪いことは考えないでくれ」
酒場の店主はすまなさそうな顔をしつつ小声でそう言うと、テーブルの上に1杯の果実酒を置いていった。
薄い琥珀色の液体がグラスに満たされている。
エーディンはそれを手に取り、ふぅとひとつため息をついた。
そして果実酒に一口つける。
上等な味とはいえないが、冷たい果実酒の甘い香りが漂い、口の中にも甘さが広がる。
果実酒をゆっくりと飲みながら、エーディンはガンドルフの様子をうかがった。
相変わらず供の者と一緒に上機嫌で酒をあおっている。
逃げ出すなら今がチャンスではあるが、先ほどのガンドルフの言葉と店主の表情を思い出すと、そういうわけにもいかなかった。
エーディンはガンドルフ達の様子を眺めながら、再びため息をついた。
「大丈夫ですか?」
「えっ?!」
突然のことだった。エーディンはハッとして顔をあげる。自分にかけられた声なのかと、一瞬戸惑った。
見ると、目の前には心配そうな顔をした一人の少女が立っていた。
少女は軽く微笑んでエーディンを見ていた。明らかにエーディンに対して声をかけたのである。
紫がかった銀色の綺麗な髪。クセがあるのか、腰まである長い髪はふんわりとゆるやかにウェーブがかかっている。
瞳は薄い紫色。その大きめな瞳には少し幼さが残っているが、紅を薄く塗った小さな唇や面長な顔の造りなど、全体的なムードは大人っぽい。
しかし大人っぽいとはいえ、歳は16、17歳くらいであろうか。エーディンよりも若く見える。
神秘的なムードのある美少女。
同じ女性のエーディンでさえ、魅入って言葉を失うほどだった。
「あの、大丈夫ですか?」
「えっ、わたくし?」
美少女の言葉はやはりエーディンに向けられていた。
こんな場所で声をかけられるなど考えていなかったエーディンは、思わず自分かどうかを聞き返してしまう。
「ええ。その足、靴ずれかしら。血が出ていますよ」
美少女はエーディンの足下に指を差す。
エーディンは慌てて自分の足を見た。
美少女の言葉通り、かかとの少し上の部分が靴に擦れて皮がむけ、少しだが血が流れている。
遠出用の履物ではなかったせいだろう。ユングヴィ城からこのマーファ城城下まで、途中馬に乗せられたとはいえかなりの距離を歩いてきた。歩き慣れない道のせいもあってか、靴ずれをしてもおかしくはない。ある種の緊張と恐怖で怪我をしていることまで気づかなかっただけであり、改めて言われると急に痛みが感じられるようになった。
「いつのまに……」
「この程度の怪我でしたら、回復の杖がなくても治せますから、少し診せていただけますか?」
「でも……」
まったくの見ず知らずの人に世話になるのは気が引ける。エーディン自身回復魔法を使うことが出来るとはいえ、自分に対しての治療には使うことができない。怪我のことをガンドルフに言ったところで、治療をしてくれるとは思えなかった。
「気になさらないで。この程度の怪我を治すことなど、たいしたことではないですし、貴女もこのままでは不便でしょう?」
エーディンの思惑を感じ取ったのか、美少女は表情をやわらげ、微笑んだ。
「……それでは、お願いしようかしら」
そこまで言われ、好意を無にするのも悪い気がして、エーディンはそっと足を美少女の方へ伸ばした。
美少女は傷口をさっと診たあと、そこに手をかざした。それからちょっとした短い呪文を唱えると、美少女の言う通り、あっという間にエーディンの傷は癒えていった。
「ありがとう。助かりましたわ」
「いえ、これくらいお礼を言われるほどのことではありません」
そう言って微笑む表情は、やはり人を魅了する魅力があった。エーディンはこの美少女に興味を持った。
「あなたはこのあたりに住んでいる方なの?」
「いえ、もう少し西の森の方です。今日はおばあさまのおつかいで果実酒を買いにきたんです。それよりも貴女はこのあたりの人ではありませんね?」
「……ええ。ユングヴィから連れてこられたのです。あそこで飲んでいるヴェルダン王子に」
エーディンは表情を曇せ、視線を店の中央へと向ける。
ガンドルフは他の客の迷惑など何も考えることもないまま、酒を飲んでいる。すでに何本もの空いたビンがテーブルと床に転がっている。
「あぁ、ガンドルフですね。今までも良い噂は全然聞きませんでしたけれど、他国の女性まで連れてくるなんて……」
毛嫌いするように眉を寄せて美少女はガンドルフを見た。
「今のうちに逃げてしまった方が良いのでは?」
美少女はエーディンに顔を寄せ、声を小さくしてささやく。
エーディンは残念そうに首を横に振った。
「それはできないの。わたくしが今逃げればこの酒場の店主にご迷惑がかかりますもの」
「でも……」
「そんな気になさらないで。わたくしは大丈夫。それにきっと……、シグルド様が助けに来てくれるはずですから」
「シグルド……様?」
「ええ。わたくしの故国ユングヴィの隣、シアルフィ公国の公子ですの。ガンドルフに城が襲われた時に知らせが行っているはずだから、きっと出撃されていると思うの。ですから今は無理をせずに助けを待った方が良いかと思って……」
自分の危機を知ったシグルドならきっと来てくれるはずである。
すでにユングヴィに着いたであろうか。
ユングヴィ城は、ミデェールは、一体どうなったであろうか。
シグルドの出撃を信じてはいるものの、不安要素が多々あり過ぎて思わず表情が曇りがちになる。
「その方、本当に助けに来てくださるのですか?」
エーディンの不安な表情を見た美少女がそう訊いてくる。
それに答えるのに一瞬間があいたが、エーディンは自分で不安を振り払うかのように大きく頷いた。
「ええ。シグルド様ならきっと助けに来てくださるわ。彼とは幼なじみなのだけれど、わたくしがこのようなことになって放っておくような方ではないの。聖戦士バルドの血を継ぎ、剣技に優れたお方。青い髪と青いマントをなびかせながら、白馬に乗って来てくださるわ」
青い髪と青いマントをなびかせて、白馬に乗って……。
その言葉を聞いた美少女の表情がふっと変わったのに、エーディンは気がついた。
「どうかなさった?」
「あ、いえ、なんでも……」
かすかに頬が淡く染まった感じに見えた。
それをごまかすかのように、美少女はあっと小さくつぶやいた。
「わ、私、そろそろ行かないと。そのシグルド様が来てくださるまで、どうか御無事で……。では」
美少女はもう一度微笑んでそれだけを早口で言うと、荷物を持って早々に駆け出した。
「あ、待って! お名前を……」
美少女はエーディンの呼び掛けには気づかず、そのまま酒場を出て行った。
エーディンは立ち上がって追い掛けようとするが、立ち上がっただけで思いとどまる。
小さくため息をつき、そして再び椅子に座りなおす。
「不思議な方だったわ。いつかちゃんとお礼を言えることができれば……」
「おい! 何ごちゃごちゃ言ってやがる。そろそろ行くぞ、立て」
いつの間にか背後に近づいていたガンドルフは、エーディンの腕をつかみ立ち上がらせる。
そして強引にひっぱるようにして、エーディンは再び連れていかれた。
Fin
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