春の途中

「兄上、少しよろしいですか? 義姉上がこれを兄上にって」
 白い花を生けた花瓶を抱えて、ラケシスは兄の部屋に入っていった。
 良く晴れた春の日の午後。
 てっきりくつろいでいると思っていたのだが、エルトシャンは鎧を身に付け、黒光りする魔剣を手に持っていた。
 伝説の12の武器のひとつ、ノディオンに伝わる魔剣ミストルティン。
 剣自身が持ち主を選ぶかのごとく、いつの時代もその鞘から抜くことが出来るのはただ一人であった。
 今、ミストルティンを使いこなせるのは、聖戦士黒騎士ヘズルの血を受け継ぐ若きノディオン王エルトシャンのみである。
 鎧を着て聖剣を構えるその姿は、妹の贔屓目もあるかもしれないが、誰よりも凛々しく、そしてすばらしく見える。
「ラケシスか。どうした?」
 部屋の入り口で花瓶を持ったまま立ち止まっているラケシスに、エルトシャンは声をかける。
「あ、 兄上こそ、どうかなさったのですか?」
 さすがに、兄上に見とれていました、とは言えず、ラケシスは慌てて訊き返す。
「ん、ああ、小ネズミがちょっとシグルド達にいたずらしようとしているらしい」
 エルトシャンは静かにミストルティンを鞘におさめた。
「あら、小ネズミが? まったく小ネズミの分際でシグルド様達を困らせようなんて身の程知らずね。兄上、そんな小ネズミなんて容赦なく叩きのめしてください」
 鎧を身に付け、何ごとかと心配したラケシスだったが、兄の相手が『小ネズミ』だと聞くと、相手にするのもばかばかしいといった口調で言い放った。
「ふっ、お前もなかなか言うな」
「そうかしら? あんな小ネズミごとき相手にするのも汚らわしいわ。でもどうしても相手をしなければならないというのなら、徹底的に叩きのめした方がいいと思うのだけど、兄上はそうは思わない?」
「いや、その通りだと思う。小ネズミは小ネズミらしく大人しくしていればいい」
 同意してくれたエルトシャンの言葉に大きくうなずき、ラケシスは花瓶を窓際のテーブルの上に置いた。
「これ、義姉上が生けたの。あとからアレスを連れて義姉上も来られると言っていたけれど、これから出撃となるとゆっくり一緒に見てもいられませんわねぇ」
「急な話だからな。まぁ、事前に出陣するからと連絡する愚か者もいないだろうが。しかしすぐに戻ってくる。グラーニェにはお前から伝えておいてくれないか?」
「わかりました。義姉上には『すぐに戻ってきます』と伝えておきます」
 そう言ってラケシスはにっこりと笑った。
「そういえば、ラケシス。その小ネズミからまた書状が届いたらしいぞ」
 エルトシャンのその言葉に、ラケシスは一気に不機嫌な表情になる。
「性懲りもなくまたですの?! 小ネズミには学習機能というものがないのかしら」
 ラケシスは辛らつな言葉を口にする。
「誰があんな小ずるい小心者を相手にするものですか! 兄上もそんな書状受け取らないでください!」
「ああ、もちろん門前払いだ。正式に届けようともせず、家僕に金を渡して届けさせようとする輩を相手にする気もない」
「あれで一国の王子だなんて信じられませんわ。わたしでなくても相手にする女性……いえ、男性もいやしないわ! あぁ、もう小ネズミの話なんて聞きたくありませんわ!」
 不機嫌の頂点に達したかのようにラケシスは怒りながら、ドンッと勢い良くソファに座ろうとした。
「ん、何か落したぞ」
 ソファに座ろうとしたその時、ラケシスの上着から何かがひらりと床に落ちた。それに気づいたエルトシャンは拾いあげて、それが何かを確かめる。
 青い封筒の表には丁寧な字でラケシスの名前が書き込まれ、そして裏面を見ると、その隅に見覚えある紋章だけが小さく記されている。左右対象の1対の馬と槍を象ったその紋章は、レンスターのものである。
「あ、兄上、それ!」
 ラケシスは慌てて立ち上がり、その青い封筒を取り返そうとする。しかしエルトシャンはそれを高く持ち上げる。長身のエルトシャンが手を伸ばせば、ラケシスが背伸びをしたところで到底手が届くはずもない。
「小ネズミの書状は受け取らなくても、この青い封筒の書状は大切に持ち歩いているのだな」
 ニヤリと口元に笑みを浮かべる。封筒に差出人の名前がなくとも、すでにエルトシャンには差出人が誰だかわかっているようである。
「た、たまたま上着に入っていただけです! それより早く返してください!」
 どんどんラケシスの頬が赤く染まっていく。頑張って手を伸ばし、ぴょんぴょん跳ねながら書状を取り返そうとするが、なかなかうまくいかない。
 必死になるラケシスに対し、エルトシャンは楽し気な様子でいる。
「この手紙の差出人がいるなら、小ネズミの求婚はなんとしてでもはねのけなければならないな」
「わ、わたしの理想は兄上です! 兄上の足下にも及ばないあんな小ネズミだから相手にしていないだけです! たとえ小ネズミより、字がきれいだとか、封筒の趣味がいいとか、読んでいて楽しい内容だとか、優しいとか、若いとか、顔がいいからといっても、求婚の件とフィンとは何の関係ありません!」
「あぁ、この手紙の差出人はフィンだったのか。知らなかったよ」
 エルトシャンはからかうかのようにくっくっと笑う。
 慌てて口を抑えてももう遅く、自ら墓穴を掘り、言わなくても言わなくてもいいことまで言ってしまったラケシスは、一層顔を真っ赤に染める。
 上目遣いににらむ妹の様子に、さすがにこれ以上からかうのは可哀相かと思ってしまう。
「すまない、許してくれ」
 しかし依然笑いながらでいるエルトシャンに、ラケシスは頬をふくらませて拗ねる。
「兄上なんて、知りません!」
「本当にすまなかった。これは返すから」
 差し出された青い封筒を、ラケシスはサッと奪い取ると、エルトシャンに背中を向ける。
 普段はラケシスを怒らせるようなことは言わないのに、何故ここまで機嫌を損ねさせるようなことを言ってしまったのかとエルトシャンは不思議に思う。やはりラケシスが特定の男性に対してムキになっているのが原因であろうか。
「ラケシス、機嫌をなおしてくれ」
 どんな言葉をかけても、ラケシスはプイッとあらぬ方向へと視線を向ける。
「そうだな……、小ネズミ退治が終わったら、一緒に遠乗りにでも行くか? 東の森の花も見頃だろう」
 その言葉にラケシスがピクリと肩が動く。どうやら良い方向へと流れていけそうである。
「それに、そろそろもっと上手く馬を操れるようにならないといけないだろうから、遠乗りがてらみてやろう」
「……本当に連れていってくださる?」
 エルトシャンに背を向けたまま、ラケシスは訊く。
「ああ、約束だ」
「本当ね? 約束をたがえたりしたら本当に許さないわよ?」
「約束しよう」
「それなら許して差し上げるわ」
 ラケシスはくるっと振り返ると、、嬉しそうにエルトシャンの腕に抱き着く。
 いつもであれば、そんな態度はしないのだが、今ならそれが許されるような気がした。
 エルトシャンもそれに対しては何も言わず微笑んでいる。
 やがてラケシスがエルトシャンから腕を放すと、エルトシャンは腰に備えた剣の所在を確かめた。
「さて、小ネズミ退治に出かけるとするか。ラケシス、城はまかせたぞ」
 そう言った時のエルトシャンの表情は、遊びは終わったというかのようにいつもの厳しいものに戻っていた。
 ラケシスもそれを察して態度を変える。
「はい、兄上。シグルド様のお力になってください。くれぐれもお気をつけて」
 出陣の不安は何もない。今回の小ネズミ相手はもちろんのこと、たとえどんな敵であっても戦いの場で兄は決して負けないという確信がある。『気をつけて』とは言ったが、本当は何も心配してはいなかった。
 エルトシャンにしても、この出陣がまるでただの遠乗りにでも行くかのような素振りでラケシスに微笑み、そしてひとつうなずいた。そしてカツカツと靴音を響かせ扉に近づくと、両手で大きく左右に開ける。
 廊下にはすでに準備を整えたノディオンの精鋭部隊クロスナイツが控えていた。
「よし! クロスナイツ出撃! 敵はハイライン国の王子エリオット。つまらぬ戦だが油断はするな!」
 よく通る声が廊下に響いた。

◇ ◇ ◇

 エルトシャンが部屋を出た後、ラケシスはそのままエルトシャンの部屋に残り、窓から外を眺めていた。やがて、黒い鎧を身に付けたクロスナイツを率いるエルトシャンが見えてきた。
 遠目で見ても、馬上の兄は姿勢正しく、堂々としているのがわかる。
「いってらっしゃい、兄様」
 兄の姿を見つめながら、小さくつぶやく。
 そしてラケシスは手に持った青い封筒に視線を移す。
「今はシグルド様達と一緒にいるのよね……」
 そうつぶやきながら封筒を上着のポケットにしまおうとする。が、一瞬ラケシスは躊躇する。持ち歩いたままだと、また誰かの前で落してしまうかもしれない。誰もが兄のような態度を取るとは思えないが、そんな態度を取られるのも、オロオロする自分も嫌だった。
「やっぱりちゃんとしまっておいた方がいいかしら。いつもの引き出しというのもなんだし……。そうだわ! 確かこの封筒が入るちょうどいい大きさの小箱があった筈。誰の目にもふれないようにしまっておきましょう」
 ラケシスは青い封筒を大切そうに両手で胸の上で持つと、早足でエルトシャンの部屋を出て自分の部屋へと向かっていった。
 誰もいなくなった部屋で、春を告げる白い花が陽の光を受けていた。

 

         Fin

ちょっとフリートーク

 からかいはしているものの、反対しているようではないということは、すでに兄公認の仲?!
 それはさておき(笑)、こんなふうに兄妹がじゃれあうようなことは珍しいかもしれませんね。
 エルト兄様は『妹にすごく甘い兄』になってしまったかも(^^;)
 タイトル『春の途中』は『春=恋』という感じからつけました。
 ラケシスの恋はまだまだ本気ではないかな。気になっていると好きの間くらい。
 エリオットの恋は……って全然望みはないですね(笑)しかも散々な扱いです(^^;)
 エルトのラケシスへの思いが少しずつ私が思っているのとは違う方向へ行きそうな感じ……。
 さて、これからどんなふうに進んでいくのか、私にもわかりません(笑)