少女がその少年に初めて出逢ったのは8歳の時。
母が病で亡くなり、仕方なく父に引き取られた時だった。
物心つく前から父の存在はなかった。大好きな母と二人、平穏な毎日を送っていたので、父がいなくてもそれほど気にはならなかった。
時折、父がいないことでからかわれもしたが、いつも母が守ってくれていた。
しかしその母はもういない。
流行り病にかかってあっけなく、少女のそばから去っていってしまった。
母の死後、3日ほどたってから少女のところに使者はやってきた。
使者は少女の父から命令を受け、ここに来たのだと言い、そして一緒に来るように告げた。
母以外に身寄りもなく、行き場所のなかった少女は、使者に言われるままに従うことにした。
豪奢な馬車にかなりの時間乗せられ、少女は見知らぬ場所に連れてこられた。
母が亡くなってからずっと、少女は泣き通しだった。
そして今も何もわかないまま、ただただ泣き続けていた。おおきなつぶらな瞳からは、あとからあとから涙が流れてくる。
瞳は真っ赤になり、声もかすれ気味になっている。
大きな屋敷の一室に通された後も、少女はずっと泣き続けていた。
ここで待つように言われ、たった一人広い部屋に残された。
ここで待っていれば父と兄に会えると使者は言っていた。
使者は詳しい説明をしてはくれなかったが、思い掛けなく母の他に家族がいることを知らされて驚いた。
初めて会う父と母の違う義兄(あに)。
緊張していないわけではない。母以外に家族と呼ぶことのできる二人。早く逢ってみたかったのも事実。
しかし緊張よりも何よりも、今までずっと一緒にいた母が自分のそばからいなくなったことが悲しかった。
物音ひとつしない静かな広い部屋にいると、まるでこの世に自分一人しかいないような気がしてくる。
見たこともない高価そうな調度品の数々が並ぶ豪奢な部屋が、急に恐ろしくなった。
いたたまれなくなった少女は、泣叫びながら部屋を飛び出した。
目的地があるわけでもなく、ただひたすらに廊下を駆けていく。わけのわからぬままに少女は走った。
まるで迷路のように続く廊下の先に、明るい光が見えた。
光の先にあったのは、廊下から直接行くことのできる屋敷の中庭だった。
白い花が咲き乱れている。
母の好きな花である。
その花を見て、余計に悲しくなってきた。
「かあさまぁ、かあさまぁ……」
くり返し呼んでも、その返事はない。
少女の姿を隠してしまうほどの長さの白い花の中で、やはり少女は泣き続けた。
「誰だ?」
ふいに声が聞こえてきた。
少女はハッとして顔をあげた。きょろきょろとあたりを見回してみる。
白い花畑の向こうから一人の少年が現れた。少女よりも6つ、7つ年上の少年だった。陽のせいか、黄金の髪がまぶしい。キリッとした瞳が少女を見つめていた。
「どうして泣いている?」
「……」
突然現れた少年に、少女は驚き、声も出せなかった。
「口がきけないのか?」
そう聞かれ、少女はおそるおそる左右に首を振る。
「だったらどうして泣いているのか答えよ」
「かあさまが…」
「母様がどうした?」
「いなくなったから……」
「どこかに行ったのか?」
「病気で死んじゃった……」
その答えを聞いて、少年は少しの間考え込んだ。
「お前の名は、ラケシスか?」
突然自分の名前を呼ばれた少女は驚き、目を丸くした。
「どうしてわたしの名前を知っているの?」
「そうか。お前がラケシスか」
一人納得し、そしてその瞬間から少年の少女を見る瞳が優しくなった。
「おにいちゃんはだあれ?」
「ああ、僕はエルトシャン。君の義兄だ」
「あに?」
ラケシスはきょとんとした表情をする。
「そう。君の義兄で、ノディオン王国の王子」
「王子さま?」
何を言っているのかよくわからないといった顔をして、ラケシスは戸惑う。よくわからないまま、再び涙を流し始めた。
「泣くな。ノディオン王国の血をひく者なら、そう簡単に涙を見せるな」
エルトシャンは少年とは思えぬほどの毅然な態度でラケシスに言う。
ラケシスの方は、そんな風に言われてもわけがわからない。ただ叱られたことだけはわかり、悲しくなって涙を止めることができない。
「これ以上泣くな。僕がそばにいるから。母様がいなくても、僕がラケシスのそばにいてあげるから」
エルトシャンはそう言いながら、ラケシスの頭を撫でた。
エルトシャンがラケシスの頭に触れる瞬間、ラケシスはビクッと怯えたが、撫でてくれる手があまりにも優しくて、そっと顔をあげてエルトシャンを見た。
「……あなたが、わたしの兄さまなの?」
「そうだ」
「ほんとうにそばにいてくれるの?」
「約束だ。だからラケシスももう泣くのは止めるんだ。ラケシスは僕の義妹(いもうと)、ノディオン王国の王女だ。王家の人間はそう簡単に泣いてはだめだ。弱味を見せたらだめなんだ。わかったな?」
ラケシスは首をかしげ、う〜ん、とひとつ唸った後、頷いた。
「よくわかんないけど、兄さまがそばにいてくれるなら、泣かない」
「よし。いいコだ。奥で父上が待っている筈だ。行くぞ」
エルトシャンは小さな手を取り、歩き出した。
ラケシスは隣に並んで歩くエルトシャンを見上げた。自分と同じ黄金(きん)の髪。その髪のせいなのだろうか、まぶしく輝いているように見える。
この時、幼いながらもラケシスは思った。
太陽のような人。もしこの人がいなくなったらわたしも死んでしまうかも。
だから、もう泣かないから、ずっとそばにいて、と。
ラケシスは小さな幼い手で、エルトシャンの手をきゅっと握り締めた。
大きなあたたかい手に引かれて、ラケシスは今までとは違う新しい世界に足を踏み入れた。
Fin
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