自分はこんな生き方しかできないのだろうか。
自分の望むことと、実際の行動が合っていない。
今の自分は、何もない広い海に一人放り出されたようで、頼れる人は誰もいない。
それどころか誰の言葉も信じることはできない。
何をどうすればいいのかわからないまま、自分は時の流れに乗っている。
このまま自分の意思とは無関係に、流されてしまうのだろうか。
◇ ◇ ◇
森と湖の国ヴェルダン。
その領内の城のひとつジェノア城は今まさに戦場と化する寸前であった。
ジェノア城よりも北、グランベル国境沿いに建つエバンス城は、同じくヴェルダン所有であったがつい最近グランベル王国のシアルフィ公子シグルドが城主となっていた。
そのシグルド公子率いる軍がジェノア城を今まさに攻撃しようと進軍を始めたのであった。
それに備え、ジェノア城では、斧兵で構成される前線部隊が出撃を開始する。
その前線部隊の中に、珍しい黒髪の女剣士が一人混ざっていた。
イザ−クを出奔し、逃亡生活に身を置くイザ−ク王女アイラである。
逃亡生活の末、身体を壊した彼女の甥シャナンを救うため、アイラはジェノア城城主キンボイスに雇われる形となった。
しかし、傭兵として契約はしたものの、いつの間にかシャナンを人質に取られてしまい、否応無しに戦場へと借り出されることとなってしまったのだった。
アイラは薄曇りの空を見上げた。
南西の方角には、黒い雨雲の姿がある。あと少しもすれば雨が降り出しそうな、そんな天気であった。
空を見上げたまま、アイラはため息をひとつ漏らす。
この戦いに何の意味があるというのだろうか。
戦いの理由も教えられず、ただ敵を討て、そう言われての出撃。
敵は何を思って攻撃をしかけてきたのか。
本当に敵は悪意を持って、城を攻略しようとしているのか。
戦いの理由を知らないまま、戦場には出たくはなかった。
しかし大事なシャナンの命を秤(はかり)にかけられては、それに従うほかはない。
卑怯な方法を取るキンボイスを、本当に守る価値があるのかどうか、アイラは考えられずにはいられなかった。
結論を出せないまま、やがて城の東側で戦いは始まった。
「おい、ちゃんと加勢しろ! 敵に逃げられているじゃねえか! ぐずぐずしていると、あのガキの命はねえぞ!」
ジェノア城の斧兵がアイラに怒鳴る。
「言われずともわかっている!」
思うように剣をふるえない、そのいら立ちを抱えながら言い返す。しかしそうは言っても、剣の使い手であるアイラは手斧や弓を使えないため、接近戦には強くてもこういった遠距離から繰り返される攻撃に反撃できる術はない。
うまく間合いを詰めて一気に倒すか。
そうしようかと敵に近づくと、相手は攻撃の手を止めて離れていく。
妙だと思った。
敵は真正面から戦おうとはしていない。ある程度近づいたかと思うと、すぐに離れていく。それを何度も繰り返し、気がつけば城からかなりの距離まで来てしまったようだ。
敵の動きが読めず、アイラとしてもなかなか思うように手が出せなかった。
◇ ◇ ◇
一方、ジェノア城を攻撃するシグルド軍。
部隊の一部を仕切りながら出撃したレックスは、行動を共にする幼なじみの魔道士アゼルに戦況を聞く。
「状況はどうだ? アゼル」
「うん、前線部隊はみんなこっちに向かっているよ。うまく距離をあけながら少しずつ敵を減らしている。味方に死者は出ていないし、せいぜいかすり傷程度にしか被害は出ていない」
「作戦通りだな。あともう少し東に誘い出して、あの森で一気にカタをつけるぞ。みんなにもそう伝えてくれ」
「うん。わかった」
アゼルはファイア−の魔法を、レックスは手斧の遠距離攻撃を繰り返しながら、本来の目的通りに動いていた。
やがて、ジェノア兵達を鬱蒼と木々が生い茂る東の森に誘い出せた時、レックスは声を張り上げた。
「だいぶ数も減ってきたな。そろそろ行くか。全員、総攻撃を開始だ!」
レックスのかけ声に呼応するかのように、部隊の全員が叫び、一斉にジェノア軍へと猛攻撃を開始する。
急に接近戦となったために、ジェノア兵は虚をつかれ、体勢を崩す。
そこをレックス達は一気に攻め立てた。
楽勝だな、そう確信しようとした時だった。
大剣を構えた女剣士が、自軍の兵の一人に切り掛かろうとしているのに、レックスは気がついた。
隙のない構え。どうみても相手の方に分があった。
「ちっ」
レックスは急いで兵の前に馬を走らせ、切り掛かってきた女剣士の剣を自分の斧で受け止めた。
カキーンと金属音が響く。それと同時に斧を持つ右手にほんの少ししびれを感じる。
女性の持つ剣と思って軽く考えていたせいか、それに驚きつつも、レックスは兵に指示を与えた。
「ここは俺が相手をする。お前は向こうの加勢を頼む」
「わ、わかりました」
死の直面を救われた兵士は、蒼白い顔色のまま慌てて駆け出していった。
女剣士はその兵を追おうとはせず、レックスを見上げた。
「ふぅん、私と勝負するか? 女だと思って甘く見ていると、かすり傷ではすまないぞ?」
「それはこっちの台詞だ。命が惜しくば、剣を置いて去れ」
「我が剣を手放す時は、この命がつきる時。覚悟!」
そう言って女剣士はレックスへと向かっていく。
素早く振りかざされる剣。レックスは器用に馬を操りながらも、彼女の剣をかわし、そして受け止める。しかし繰り返される剣は早く、なかなかこちらから攻撃を仕掛けることができない。
「ふっ。どうした? かわすだけで精一杯か?」
「いや。これから本気を出さなきゃならないと思っているところだ」
2人はにらみ合い、お互いに言いしれぬ笑みをもらす。
「名前を聞いていいか?」
「聞いてどうする?」
「死んでいく者の名前くらい聞いておいてもいいだろう?」
「ふっ。では『死んでいく者に』おしえてやろう。我が名はアイラという」
「俺はドズルのレックスだ。こんなところにお前のような腕の剣士がいるとは思わなかった。行くぞ」
「望むところだ」
武器を構え、にらみ合う。どちらも隙がなく、お互いにどう攻めていいのか迷っていた。
その時、急に木の陰からアゼルが飛び出してきた。
「レックス!」
加勢するつもりだったのか、ファイアーの魔法を唱えようとしている。
「仲間か?! 悪いが私の邪魔をする者には容赦はしない!」
アイラは剣を握り直し、目標をレックスからアゼルへと切り替えた。
アイラの素早い剣が相手では、アゼルの魔法の詠唱は間に合わない。
「馬鹿、アゼル!」
レックスは思わず馬からそのままアイラに飛び掛かった。
「なっ?!」
飛び掛かかられた拍子に、アイラの右手から大剣が離れる。
ごろごろと転がり、そしてレックスがのしかかるような形でアイラの動きを奪った。
「この、馬鹿アゼル! 不用意に敵の前に飛び出すな! とっとと本隊に合流して、シグルドにこっちは片付いたって知らせてこい! それからその剣を持っていけ!!」
アイラを押さえつつ、レックスはアゼルに向かって怒鳴りつけた。
「わ、わかった」
アゼルはレックスの言葉に素直に従い、アイラが手放した大剣を手に取ると、慌てて駆け出した。
レックスはアゼルが本隊のいる城の方へ向かったのを確認すると、自分の身体の下にいるアイラに視線を向けた。
「離せ!」
大きな手がアイラの細い手首を掴み、そして地面に縫い止めている。
アイラは怒鳴り、なんとかレックスから逃れようとする。しかし抵抗しようにもやはり男女の違いか、レックスのその強い力のせいで、簡単にどかすことは出来ない。
さらに、のしかかられた身体の重みのせいで、身動きすらできない。
「離せと言っているだろうが! 本隊とはどういうことだ?! まさか今頃!」
「そう、今頃は俺達とは別の本隊が城を攻略しているはずだ。俺達はおとりだったってわけだ」
「離せ! 城に戻らねば。シャナン!」
必死で抵抗を試みるが、どう足掻いても身体は自由にならない。それどころか、レックスは右手1本で軽々とアイラの両手を押さえ付け、左手で彼女の喉元を軽く締めつけた。
「くっ」
「抵抗するならここで死ぬことになるぞ」
剣さえあれば、身体が自由であれば、こんな男などすぐに倒せるのに!
悔しさに、思わず涙が流れそうになる。しかしアイラはそれを必死で耐えた。
「どうする?」
「……私はこんなところで死ぬわけにはいかない!」
キッとした力強い瞳がレックスを睨み付ける。
漆黒の、闇のごとき深い色の瞳。
何ものをも吸い込んでしまいそうな、そんな底の見えない深い闇。
身体の動きを奪われはしたものの、アイラはその力強い瞳で必死に抵抗していた。
2人はじっと見つめ合う。
アイラの射抜くような真剣な瞳。
レックスはその瞳から視線をはずすことができずにいた。
2人は見つめ合ったまま身動きしない。
どれくらい時間が経っただろうか。長く感じらるし、一瞬なのかもしれない。
やがて漆黒の瞳に捕らわれたレックスが、やっとの思いでぼそっとつぶやいた。
「……殺すには惜しいな」
「それはどういう意味だ! 私を女だと思って愚弄するのか?!」
「そうは言っていない。お前のような瞳の女は初めて見た。だからただそう思っただけだ」
「訳のわからないことを言っていないで、さっさとどけ!」
怒鳴りながらもがこうとするが、やはり体勢は変えられない。
「お前がおとなしく俺に従うというなら、どいてやってもいいが」
今だ優位に立っているレックスは、そう条件を投げ付ける。
「私に命ごいをしろというのか! グランベル人に従うくらいなら、この場で舌を噛み切ってやる!」
「まるで手負いの獣のようだな。そんなに警戒しなくても、武器を持たないただの女に何もする気はない。それに、お前は死にたくはないのだろう?」
「……」
「さっきのお前の剣はどこか迷いが感じられた。急所となるようなところを狙ってこなかったし、本気で俺を殺す気などなかった。違うか?」
「……」
アイラは口を一文字に結んだまま、黙っている。
「キンボイスに雇われでもしたのか? それで仕方なく戦場に出た、とか。それにお前、ヴェルダン出身じゃないだろう。このあたりじゃ珍しい黒い髪に、瞳。見たところ、その容姿はイザークの……」
「うるさい男だな。剣があったらその口叩き切るところだ」
アイラはそう言って、レックスの言葉を最後まで言わせなかった。そしてすっと視線をレックスからそらした。
「観念したってところか?」
「こんなところでお前と言い争っても時間の無駄だ。お前の言うように大人しくしよう。ただ、ひとつだけ聞いて欲しいことがある」
「なんだ?」
「私をお前達の本隊のところへ連れていって欲しい。そして指揮官に合わせて欲しい」
「本隊にはもちろん連れていくが、指揮官……シグルドに会ってどうするんだ?」
「城には私の大切な人が捕らわれている。ヴェルダンとは一切関係のない人物だ。こんな他国のいざこざに巻き込ませたくはないのだ。私としてもいいかげんキンボイスとは縁を切りたいと思っている。彼さえ取り戻せれば、これ以上お前達の邪魔はしない。約束しよう」
「すいぶんと込み入った理由がありそうだな。いいだろう、シグルドに会わせよう。こっちとしても関係のない者を巻き込むつもりはないからな」
レックスはアイラの申し出に了承した。
これでやっとこの体勢から逃れることができると思い、アイラは小さく息をもらした。しかしすぐに離されるかと思ったレックスの手は、今だアイラの両手を押さえ付けていた。やや待ってみても、離す気配はみえない。
いつまで経ってもどきそうにない様子に、アイラはしびれを切らせた。
「何をしている? さっさとどかないか」
そう言われながらもレックスはすぐに手を離そうとしなかった。何か言いにくそうにしながら、どうしたものかと戸惑う表情を見せた後、ぼそっとつぶやいた。
「その大切な奴って……、お前の男か?」
レックスは自分でそう言いながら、何故か胸の奥が締め付けられるような思いを微かに感じた。
「何を考えている! 勘違いするな! 彼は10歳の私の甥だ!!」
すぐさま、アイラは真っ赤になって反論した。その様子は、さきほどまでのぶっきらぼうな答え方ではなく、少女の恥じらいのようなものを含んだそんな可愛らしさのあるものだった。
そんなアイラの返答に、レックスは思わずホッと安堵する。
「そうか。まぁ、子供ならシグルドが発見したとしても殺されることはないだろう。ただ混乱にまぎれてジェノア城の者どもが手を下すとも考えられる。早く城へ行った方がいいな」
そう言って、レックスはアイラから手を離し、素早く起き上がった。
やっと自由になれたアイラだった。しかし何か釈然としないのか、半分身体を起こしながら、不思議そうな表情でレックスを見る。
「……今の私の話を信じるのか?」
これが全て自由になるための嘘だとは疑わないのだろうか。
自由になった途端、隠し持っていた短剣で襲われたら、などと思わないのだろうか。
つい今まで敵として対峙していた者の言葉を、何故こうも素直に受け止めることができるのだろうか。
そんな思惑が沸き起こるアイラとは反対に、レックスはすっきりとした表情でアイラの顔を覗き込んだ。
「嘘なのか?」
そう訊きながらも、言葉には疑いのかけらはない。レックスはふっと口元に笑みを浮かべる。
「真っ直ぐに俺を見るお前の瞳には嘘がなかった。俺はそう感じた。だから疑う必要はないと思った」
その言葉にアイラはハッとする。
この男は理屈や思惑など関係なしに、目の前にいる自分という存在だけを見て、そして信じてくれた。
卑怯な取り引きもなく、言葉を交わしただけの約束。
レックスがアイラの言葉を信じたように、アイラにもレックスの言葉に疑うべきものをみることはできなかった。
言葉通り、指揮官に会わせ、そしてシャナンを渡してくれる。
そう確信できる何かをアイラは感じ取ることができた。
「ぐずぐずしていると置いていくぞ。そのせいでお前の甥っ子がどうなっても俺は知らないからな」
レックスは落とした自分の斧を拾い、そして馬にまたがると、すっと右手をアイラの方へと伸ばした。
「ほら、乗りな」
こんな男は初めてだ。
差し出されたの大きな手を見つめ、そう心の中でつぶやきながら、アイラはレックスの右手を取った。
Fin
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