捕らわれたエーディンの解放についての再三の交渉に応えないヴェルダン軍に対し、シグルドは強行手段を取らねばならなくなった。
実力行使というわけである。
できることなら戦いは避けたいのだが、そうも言っていられなくなった。エーディンの無事が確かめられずにいる以上、もう待つ余裕はないのである。
「……ということで、そちらの部隊の指揮はレックスにまかせる。準備が出来次第、出撃をしてくれ」
エバンス城の軍議用の一室で、総指揮官のシグルドは現在の状況とジェノア城の攻略についての説明を、主たるメンバーに告げた。
「承知した。そっちも敵に悟られないよう、うまくやってくれよ」
青い髪の斧兵レックスはニヤッと笑みを浮かべてる。
それに応えるかのように視線を合わせた後、シグルドはひとつ頷いた。
「それでは、各自準備に取り掛かり、先ほど指示した部隊のメンバーとして出撃してくれ。以上!」
その場にいた一同が、一斉に立ち上がった。
◇ ◇ ◇
「ずいぶん張り切っているな、アゼル」
出撃直前のレックスは自分の斧を丹念に磨きながら、隣で戦場に持って行く魔道書の最終チェックをするアゼルに訊く。
「まあね」
短くそう答えるアゼルに、レックスはおやっと首を傾げた。
争い事が嫌いで、戦場に出るのは苦手だと思っていたのだが、今回アゼルはずいぶんと気合いが入っているように見える。長年の憧れのエーディンの危機を救おうと張り切っているのだろうか。しかしそのわりには表情に冴えがない。
「……もしかしてお前機嫌が悪いのか?」
幼い頃よりつき合いがあるレックスは、ふとした表情でアゼルの様子がいつもと違うことに気づく。
「べ、別になんでもないよ!」
そして案の定アゼルはムキになって否定する。
「そう力むところが怪しいな。あぁ、わかった。おおかた、こっちの部隊にミデェールが配置されて、一緒なのが気にくわないんだな?」
「ど、どうして、そんなこと!」
慌ててどもる様子は、間違いなくレックスの言葉を肯定しているように見える。
「お前は正直だねぇ。まぁ、それがお前のいいところなんだろうけど。だけど少しは自分の感情を抑える術(すべ)を覚えないと、この先大変だぞ」
レックスは頭一つ分低いアゼルの肩を抱き、軽く2、3度叩く。
「恋にライバルはつきものだが、それを気にし過ぎるのは良くないぞ。いいか、恋っていうのはな……」
「そうやっていつもレックスの言った通りにしても成功した試しがないじゃないかぁ。自分のことは自分でするよ!」
「おっ、反抗する気だな。わかった、わかった。せいぜい先を越されないよう頑張るんだな」
「言われなくても頑張るよ! 絶対彼よりも先にエーディンを助けるんだから!」
アゼルは魔道書を抱えて、勢いよく部屋を飛び出した。
「まったく極端な奴だなぁ。来る前はあんなにエーディンのことを否定していたのに、ライバルが目の前にいるとなると、あんなに張り切るとは。いつもながらにわかりやすい奴だ」
レックスは楽しそうにそう一人ごちた後、斧を片手にゆっくりとアゼルの後を追った。
◇ ◇ ◇
軍議を終えた直後、キュアンは一旦あてがわれている自室へ向かおうと、エバンス城の回廊を歩いていた。その途中、2、3歩自分の後ろを歩くフィンの様子がふいに気になって振り返った。
「どうした、フィン? 軍議の途中から浮かない顔をしているようだったが。今回は違う部隊となったが、しっかりがんばってくるんだぞ」
「は、はい! 主命しっかりと果たしてきます。しかしまだ私は見習い騎士であり、こんな力不足のままでは皆様の御迷惑になるのではないかと……」
「なんだ、そんなことを心配していたのか?」
フィンを元気づけるかのように、ポンと背中を叩いてキュアンは笑顔を向ける。
「まだ騎士の叙勲を正式に受けていないとはいえ、お前は槍の使い手として十分に通用するぞ。そうだ、まだ出撃に時間はあるな。それまで少し見てやろう」
「本当ですか?! ありがとうございます!」
フィンは嬉しそうにいつもの使い馴れた槍を持ち、キュアンの後をついて行った。
出撃前の短い時間ながらも、キュアンはフィンの弱点を指摘し、それを気をつけるよう言い渡した。そして一足早く出撃したフィンを笑顔で見送った。
それからキュアンは、自分の出撃準備のため、その足で厩舎へ向かう。少し歩いたその時、ポンッと背後から肩を叩かれた。
「どうした、キュアン? 背中がずいぶんと淋しそうだぞ?」
のんびりとしたいつもの調子でシグルドは笑顔を向ける。
「ああ、シグルドか」
キュアンはふぅとひとつため息をつく。
「なんだ、フィンがいなくて淋しいのか?」
「おいおい、変な言い方は止めてくれよ。私はただ単にあいつのことを心配しているだけだぞ。あいつ一人を出撃させるのは初めてだからな。しかもまわりは面識のない者達ばかりだ。みんなに臆せずがんばれるかとちょっと考えていただけだ」
「フィンはもう16歳なんだろう? 子供の年齢ではないのだし、いい機会じゃないか。いつまでも主君の陰にばかりいるのはどうかと思うぞ。それにあまり過保護過ぎると、彼の成長の妨げになる」
「兄様もそう思うでしょう! キュアンったら、時々私のことなんて忘れて、フィンばっかり構うのよ!」
並んで歩いているシグルドとキュアンの間を、突然エスリンが割って入って来て叫んだ。
「お、おい、エスリン。君まで誤解を招くような言い方はしないでくれ。私がフィンのことを心配して構うのは、あいつを弟みたいに思っているからだぞ。両親も兄弟も亡くしたあいつには家族と呼べるものがいないから。だから私は……」
「そんな慌てて言い訳しなくてもわかっているわよ」
エスリンは楽しそうにクスクスと笑う。その笑顔は一児の母とは思えないほど愛らしい。
「私もフィンのことは弟みたいに思っているから、その気持ちはわかっているわ。ただ、時々ちょっとずるいなって思うのよ。キュアンは全然剣の相手してくれなくて、フィンにばかり稽古しているんだもの。キュアンが一番に考えているのが私じゃないのかなぁとかつい思ってしまうのよね」
少し拗ねながら、上目遣いに見つめるエスリン。そのかわいらしい態度の彼女の両肩に、キュアンは手を置いた。
「どんな時でも私が一番に考えているのは、エスリン、君のことだけだよ。フィンはかわいい弟だが、君は私の『最愛』の妻だ。この先何があろうとも、それだけは永遠に変わることはない。愛しているのはエスリンだけだよ」
真剣な瞳で見つめながら、キュアンは語る。その情熱に満ちた言葉に、エスリンは瞳をうっとりとさせる
「キュアン……」
エスリンはキュアンの胸にそっと身体を寄せる。
「エスリン……」
すっぽりと腕の中におさまる妻を、キュアンは優しく抱き締めた。
そんな二人に、偶然だろうか、風に乗ってきた薄紅色の小さな花びら達がふわりと舞い降りる。
何も知らない者が見たなら、その光景は幸福な物語のワンシーンのように思えるだろう。
しかし、今それを見ている者は、事情を知らない者でも、夢物語を楽しむ子供でもない。
「これから戦場に行くっていうのに、この夫婦は……。はいはい、それ以上はジェノア城を落してからにしてくれよ」
すっかり存在を忘れられた呆れ顔のシグルドの、そんないやみな言葉も、互いしか見えていないキュアンとエスリンの耳には届いていなかった。
Fin
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