フィアナ村にたどり着いてから約半年後のことだった。
いつものようにフィンとナンナが用意した昼食がテーブルの上に並べられている。一緒に住んでいるエーヴェルは村の周辺の見回りに、そしてマリータも義母とともに外出中だったため、その日はフィンとナンナ、そしてリーフの3人だけの昼食だった。
フィンが温かなスープを皿に注ぎ終えた後、それぞれの席に着いた3人は食べ始めた。
その直後、いつもなら美味しそうに食べるリーフがほとんど口につけないままでいるのに、フィンは気がついた。
「リーフ様? お食べにならないのですか? それに先ほどからずっと私を見ていらっしゃるようですが、いかがされました?」
その日、朝からリーフはいつも以上にフィンの後を追っていた。何か用事があるというわけでもなく、ただフィンの行く先々に付いて回っている。
はじめはそれほど気にしていなかったフィンも、さすがに昼食の間もずっと上目遣いに自分を見つめるリーフが心配になってきた。
「……別に」
リーフはフイッと横を向く。
今までこんな態度を取られたことがなかったフィンは、急に心配になる。
何か気に障るようなことをしたのかと思い出してみるが、特に思い浮かぶようなことはない。
「何か心配ごとでもおありですか? 私でよければお話ください」
「……」
しかしリーフは横を向いたまま、答えようとはしない。
「リーフ様?」
「なんでもないよ!」
いきなり怒鳴るリーフに、一緒に食事をしていたナンナが思わずフォークを落とす。
「ごちそうさま!」
食べ始めたばかりでほとんど食事に手をつけていないのにも関わらず、心配顔のフィンをよそに、リーフは立ち上がって部屋から出ていった。
「リーフ様!」
フィンとナンナの声が重なる。
二人はこのまま追うべきかどうしたものかと顔を見合わせた。しかしお互いにふぅと小さくため息をつく。
「……お父様、リーフ様の嫌いなものを入れたのが、ばれてしまったのかしら?」
テーブルの上の料理のひとつを見つめながら、そうつぶやくナンナを見て、フィンは苦笑するしかなかった。
◇ ◇ ◇
リーフの不機嫌の原因、それは昨日の深夜のことだった。
暑苦しさに目を覚ましたリーフは、何か飲み物でもと思って台所に向かおうと部屋を出た時だった。
フィンとリーフが使っている部屋のななめ向かい、ナンナとマリータが寝室として使っている部屋から灯がもれている。ドアがほんのすこし開いていて、そして何やらぼそぼそと話声が聞こえてくる。
2人ともまだ起きてたんだ、と、なに気なく思いながら部屋の前を素通りしようとした時。
「やっぱりお父様みたいな方がいいわ」
突然耳に飛び込んできたナンナの声。
声をひそめながら話しているはずなのに、リーフの耳には、はっきりと届いたのだった。
その言葉に、リーフは心に何かが突き刺さるような思いを感じた。
リーフはそっとドアに寄り、聞き耳をたてる。
「そうよね。叔父様、素敵だもん。強くて優しくて頼りがいがあって。お嫁にいくなら、叔父様みたいな人のところががいいわよねぇ」
「ふふ。マリータもそう思う? わたし、お父様はずっと小さい頃からの憧れの人なの。お父様以上に強くて優しい方じゃないと、やっぱり……」
リーフはそこで急いで部屋に引き返した。そしてベッドの中に潜り込む。
隣のベッドでは、静かに寝息を立てているフィンがいる。
リーフの目から見てもフィンは確かに頼りがいのある強い男だと思う。リーフ自身もフィンに憧れている部分が数多くある。
そうとはいえ、さきほどのナンナの言葉から、彼女の中にはフィンしかいないのだと思うと、無性にフィンがうらやましくなった。
ナンナに自分の存在を認めてもらうには、フィンのようになるしかない。
リーフはどうしたらフィンのようになれるかと、一晩中考え込んだのだった。
◇ ◇ ◇
部屋を飛び出したリーフは、眉を寄せ、唇をとがらせ、見るからに不機嫌そうな表情で廊下を歩いていた。
朝からずっとフィンを見ていたけれど、どうしたらフィンのようになれるかわからない。
そのうちフィンの顔をみるだけでくやしい思いしか浮かばなくなってきた。
そのくやしさも、何故浮かんでくるのかがわからない。
釈然としない思いをかかえたリーフは、とにかく、急にフィンとナンナのそばにはいたくなくなり、部屋を飛び出したのだった。
これからどうしようかと思い、外へ出たところだった。エーヴェルが村の周辺の見回りから帰ってきた。
「エーヴェル! 剣の稽古をして!」
エーヴェルを見つけたリーフは、承諾を得る前に強引に彼女を剣の訓練場として使っている少し広い庭へと引っ張ってきた。
そして剣を構えると、エーヴェルに向かっていった。
最初はずいぶんと練習熱心なのだと感心しながら相手をするエーヴェルであったが、やがてリーフがいつもと違うことに気づきだした。
リーフの剣はただ剣を振り回しているだけで、型も何もあったものではない。何かを忘れたいがために、無我夢中で剣を握っているようであった。
そう感じたエーヴェルは、急に剣を鞘に収めた。
「リーフ様、今日はやめましょう」
「始めたばかりじゃないか! まだやれるよ! それにこんなんじゃ全然足りない!」
「そんな剣では訓練にはなりません。リーフ様は今何を考えていらっしゃいますか? 剣のことではなく、別のことを考えていらっしゃるのではありませんか?」
「……」
図星を差されたリーフには、返す言葉がなかった。
「何があったのですか? 私でよければお話ください」
悔しそうにうつむくリーフに、エーヴェルはそう言って微笑んだ。
一瞬躊躇した後、リーフは小さな声で話し出した。
「どうしたら、フィンのようになれるかな?」
「フィン、ですか?」
「そう。僕はフィンのようになりたいんだ。そうだ。槍の練習をしようかな。そうすれば少しはフィンに近づけるんじゃないかな?」
「リーフ様、フィンと同じ武器を使ったからといって彼のようにはなれないんじゃありませんか?」
とがめるような視線をはずすように、リーフは下を向いた。
「……じゃあ、どうすればフィンのようになれる? どうしたらフィンみたく強くなれる?」
力なくつぶやくリーフに、エーヴェルはふっと小さくため息を吐く。
「リーフ様がフィンにこだわるその原因はナンナ様?」
「な、なんでそれを!」
とっさの事でそう叫んでしまった。慌てて口元を押さえても、あとのまつりである。リーフの顔が真っ赤に染まる。
「昨夜、マリータとナンナ様の会話を聞いたのでしょう? 私もその場におりました。話の途中で人の気配がしたと思ったのですが、それはリーフ様でしょう?」
「き、聞く気はなかったんだ! ただナンナの声が聞こえてきて。ぐ、偶然なんだよ、だ、だから」
リーフは真っ赤になりながら言い訳をする。
「そのように慌てなくても大丈夫ですよ。リーフ様がわざと盗み聞きするような方だとは思っておりませんし、マリータもナンナ様もリーフ様が聞いていらしたことは知りませんから」
その言葉にリーフはホッとする。
偶然とはいえ、やはりナンナには昨夜の会話を聞いてしまったことを知られたくはない。
「それで、リーフ様はフィンをどのように思っているのですか?」
「僕? そうだな、いつも冷静で、誰よりも頼りがいがあって、そのうえ武器の扱いもうまくて強い。どんなに困難な時でもフィンと一緒にいれば、どんなことでも乗り越えていけると思う」
「では、リーフ様はそのような男性になれるようにがんばればよろしいのではありませんか?」
「簡単に言うけれど、それができないから困っているんじゃないか。それにがんばるって言ってもいつフィンのようになれるかわからないじゃないか。僕は今すぐフィンのようになりたいんだ」
「何をそんなに焦っておいでなのですか? 」
「だってぐずぐずしていたら……」
「いつまで経ってもナンナ様は自分の方を振り向いてくれない?」
「……」
リーフはエーヴェルの言葉を否定しない。肯定するかのように黙っていた。
「確かにナンナ様はフィンのような男性が理想だとおっしゃっていました。しかし最後にこうおっしゃっていたのですよ。『一番大事なのは、誰よりも自分を大切にしてくれる人、そして一番好きでいてくれる人』だと」
「誰よりも大切にしてくれる人、自分を一番好きでいてくれる人……」
リーフはエーヴェルの言葉をくり返す。
「リーフ様はまだ14歳。そしてフィンは貴方の倍以上のお年です。フィンだって最初から強かったわけではないはず。長い年月を経て、今のフィンがいるのです。焦らずとも、努力次第で武器の扱いに関してはいずれはフィンのようになれるでしょう。でも、ナンナ様が求めているもの、リーフ様が目指そうとしているのはそういうことではないはずです」
リーフは黙ってエーヴェルの言葉を聞いていた。
「誰かの真似をすることは楽なこと。でもそれでは自分というものがなくなってしまいます。フィンを目標としていても、リーフ様はリーフ様であって、他の誰にもなれません。ですから無理にフィンを目指さずに、リーフ様はリーフ様として成長していけば良いのです。無理をずリーフ様ができることからがんばれば良いのではないでしょうか? そしてリーフ様なりにナンナ様へ想いを伝えることが大切だと思います」
焦ったところで、それが良い結果を生むとは思えない。
自分がどれだけのことができるかもよくわからない。でも今は少しずつでもいいから、できることからがんばればいいのだ。
いつかちゃんとナンナに、他の誰でもなく、『自分』の存在を認めてもらえるように。
エーヴェルの言葉をリーフは素直に受け入れた。
「でもやっぱり僕はフィンみたいになれるようにがんばるよ。ナンナがフィンを理想だって言ったからじゃないよ。あ、ちょっと……、そういうこともないわけじゃないけど。フィンはやっぱり僕の目標なんだ。フィンのような強さを持った男になりたいと思う」
「そうですか。私もできるかぎりの協力はいたしますから」
「ありがとう、エーヴェル」
やっとリーフに笑顔が戻った。
「広場にマリータやオーシン達が武器の訓練をしていましたよ。リーフ様もみんなと一緒に訓練なさってはいかがですか?」
「うん。行ってくる!」
エーヴェルに手を振りながらリーフは駆けていった。
エーヴェルはそれを笑顔で見送る。そしてリーフの姿が見えなくなると、くるっと振り返った。
「そろそろ出てきてもよろしいのでは?」
「気づいていらっしゃいましたか」
そう言って苦笑気味なフィンが大木の陰から出てきた。
「御感想は?」
「リーフ様ならすぐに私など追いこしてしまうでしょう。リーフ様はキュアン様とエスリン様のご子息。私などを目標とされなくても、いずれは立派な騎士、いえ王となられるはずです」
「でも少しは嬉しいのではなくて?」
「それは……」
苦笑しながらも、目もとは嬉しさが隠し切れていない様子である。
「子供が親を目標とするのは、親にとってこれほど嬉しいことはないわ。でもあらゆる面で追いこされないよう頑張らないといけないわね」
エーヴェルは『あらゆる面』というところを強調しながら、軽くウィンクをする。
フィンの武器の扱いが、槍に片寄っていることを暗示しているかのようである。
「それにしてもリーフ様がナンナ様をお好きとは……。あなたは気づいていらしたの?」
「いいえ。考えもしませんでした」
「これからどうするおつもり?」
「私が口出しすることではないでしょう。ナンナの気持ち次第です。とはいっても、まだ娘を手放す気はありませんよ。大事な一人娘ですからね。たとえ相手がリーフ様であっとしても」
「あらあら、リーフ様は本人よりも前にもっと手強い方を相手にしなければならないようね。これは前途多難かしら?」
エーヴェルはクスクスと楽しそうに笑う。
「お父様!」
リーフの後を追ったフィンがなかなか帰ってこないのが気になったのか、ナンナも家から出てきた。
「リーフ様は見つかった?」
「ああ、村の広場の方へ行ったらしい。一緒に行くか?」
「ええ!」
そう笑顔で返事をしたナンナは、フィンの腕に抱き着く。
「では、ちょっと行ってきます」
「行ってきます」
嬉しそうにフィンと腕を組み、ナンナはエーヴェルに笑顔を向ける。
ナンナの本当に嬉しそうな笑みを、エーヴェルは微笑ましく思った。
ナンナにとって、父と2人だけで並んで歩くようなことは今までほとんどなかった。リーフに多少なりとも遠慮があったといえばそうなのだが、それについてリーフに不満があるわけではない。ただナンナにとってわずかな時間とはいえ、フィンを一人占めできたようで嬉しいのであった。
「仲がよろしいこと」
微笑みながら二人を見送る。
その時、エーヴェルはふと何かを感じた。
フィンとナンナの後ろ姿を、どこかで見たような憶えを感じる。
今のフィンよりも体格の小さい青い髪の少年、そして同じ色だけどナンナよりも長い髪の少女。
楽しそうに並んで歩く誰かを思い起こさせる。
いったいどこでだったのか。
いつのことだったのか。
それともただの気のせいなのか。
その時のエーヴェルにはどちらなのかはわからなかった。
Fin
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