いつもいつも思っていた。
私には何ができるのだろう、と。
私には、お母様のようにマスターナイトとなれる程の技も力も魔力もない。
お父様のように武器を使いこなしながら馬をあやつることもできない。
なんとか馬に乗れる程度で、やっとライブの杖を使えるようになった程度で。
いくら努力をしても、私が望むレベルにはならない。
こんな私ではお父様やリーフ様の力にはなれない。
二人の陰に隠れているだけ。
何もできないただの足手まとい。
もっと、もっと役に立ちたいのに、何かをしてあげたいのに。
私は何もできない……。
◇ ◇ ◇
タ−ラを出発してからどれくらい経ったであろうか。あちこちを転々とし、とにかく帝国兵の追っ手を振り切るために、とりあえず東を目指して進路を取っていた。マンスター地方には、トラキア地方と違って多くの森が残っている。高い木々が生い茂った名もない深い森。追われている身では街道を通ることができないため、森の中の暗闇にまぎれてここまで来たのだった。
ここまで来ればと思っていたのだが、ふいに行く手を阻む者達が3人の前に現れた。
身体を被うローブにはフリージ家の家紋のついた留め金が付いている。それは敵の証。
ここを通ることを見越していたのか、それとも不運にも偶然出くわしてしまったのか。どうやら目の前の敵を倒さずには、先へは進めないようである。
魔導書を手にした、ざっと20人もの敵が、フィンとナンナ、そしてリーフの3人に襲い掛かってきた。
高位魔法の使い手ではなかったことが幸いしてか、フィンはリーフとナンナを守りながら、敵を倒していく。しかし数が数だけにこのまま2人をかばいながらでは、全員を倒すのは無理であると思われた。
フィンは2人に逃げるように言った。戦いに不慣れな2人がここにいるよりも、とにかくこの場を離れて身を隠す方が賢明だと判断したのだった。
リーフとナンナは戸惑いながらも、フィンの指示に従った。
ただ一人敵の前に残ったフィンは、勇者の槍と呼ばれる名槍を巧みにあやつり、敵に向かって行った。
◇ ◇ ◇
「ナンナ! 来るな!」
その声に、ナンナは慌てて手綱を引いて馬の足を止める。
あと一歩先に進んでいたら、サンダーの魔法に直撃するところだった。その場に生えていた草が真っ黒に焼き焦げている。
「何故戻ってきた?! 今は逃げろと言った筈だ!」
残り1/3ほどになった魔導士達のうちの一人の身体を槍で貫きながら、フィンは娘に怒鳴った。
いつもは穏やかで寡黙な父の怒鳴り声に、ナンナはサンダー直撃の恐怖よりも驚いた。
「お父様、私……」
「リーフ様のお側を離れるな! 早く行け!」
「でもお父様も怪我をなさっているのに……」
暗闇ではっきりとはわからないが、フィンの青い服のところどころに黒いシミのようなものが見える。それは血のあとではないのだろうか。
「これくらいの怪我など治療するほどのものではない。ここは私が食い止めるから、先に行くのだ!」
「でも……!」
「ナンナ! リーフ様のお側にいろ!!」
鋭い視線とともに怒鳴られる。
有無を言わさぬ視線に、ナンナは泣きたくなりながらも、手綱を引き、馬を走らせた。
また私は何もできなかった。
それどころかお父様を怒らせてしまった。
やっぱり私は何の役にも立たない……。
ポトンッと手に冷たいものが落ちてきた。
いつの間にか涙が流れていた。
こんなところで泣くなんて、そう思ってぐいっと涙を手の甲で拭う。しかし涙はあとからあとから流れてくる。
リーフのところへ着くまでには泣き止みたいと思っているのに、ナンナの涙はなかなか止まらなかった。
視界が涙でぼやける。その時。
「ナンナ、危ない!」
「えっ?!」
風のようにさっと木の陰から飛び出したリーフが、ナンナの脇を通り過ぎて行った。
「やーっ!」
リーフのかけ声と同時に悲鳴があがる。
振り返ったナンナが見たものは、鞘から抜いた剣を手にしたリーフと、彼の足下に倒れている一匹の獣の姿だった。リーフの身体半分ほどの大きさのある獣。腹を空かせた獣がナンナの馬を狙ったのだろう。
「リーフ様!」
ナンナは慌てて馬から降りてリーフに駆け寄る。
「お怪我はありませんか?!」
「うん、大丈夫。それよりどうしたんだ? ぼんやりとして。ナンナらしくもない」
「リーフ様……」
「ナンナ? 泣いているの? どうして……、ナンナ?」
リーフはうつむいたナンナの顔を覗き込むようにして、優しく聞く。
その時、急にナンナは両手で顔を覆いながら泣き出した。
今までに見たこともないほどに泣くナンナを見て、リーフはどうしたらいいのか戸惑った。
「私、何もできなくて……。ただリーフ様やお父様の邪魔になっているような気がして……」
「泣かないで、ナンナ」
リーフはこぼれる涙をそっと拭う。ゆっくりと顔をあげるナンナに向かって、リーフは優しく微笑む。
「僕はナンナのこと邪魔だなんて思ったことないよ。何もできないってナンナは言うけれど、ナンナはいつでも一生懸命がんばっているじゃないか」
「……」
「でも、ナンナはいつでも自分一人でがんばろうとしている気がするんだ。もっと僕やフィンに頼ってもいいと思うんだ」
「リーフ様?」
「僕じゃフィンと違って頼りないかもしれないけれど、僕にも君を守らせてよ」
「リーフ様?! 私がリーフ様に守られるなんて!」
それでは立場が逆です、とナンナは言おうとした。それをリーフはそっと制する。
「僕だってフィンに迷惑ばかりかけていると思うよ。まだちゃんと戦うこともできないし。だけどナンナと一緒にいると僕はがんばろうって思うんだ。だからナンナも一人でがんばろうとしないで、一緒にがんばろうよ。一人じゃなくて、一緒に」
力をこめてリーフはナンナに言った。
「そうだぞ、ナンナ」
「お父様!」
「フィン! 大丈夫なのか? 敵は?」
先の戦いを終えて少し疲れた顔をしたフィンがやって来た。そんな彼のところへ、ナンナとリーフが駆け寄る。
「大丈夫です、リーフ様。さきほど襲ってきた魔導士達は全て倒しました。しばらくは追っ手も来ないでしょう」
「お父様、お怪我は?!」
ナンナは心配そうに顔をあげてフィンの顔を見上げる。
「大丈夫。かすり傷程度のものだ。それよりも、ナンナ」
「はい……」
「そうやって一人で思い込んで先走るのは、お前の悪いくせだぞ」
「……」
「お前がいてくれて、どれだけ私が助けられているか、わからないのか? 確かにお前はまだラケシスほどの能力(ちから)はない。だが、お前の笑顔は私に力を与えてくれるのだ」
「笑顔?」
「そうだよ、ナンナ! 僕もナンナの笑顔を見ていると、どんなにつらくても頑張れるんだ!」
ナンナを励ますように、リーフは元気良く言う。
「この逃亡生活の中、楽しいことなどないのかもしれない。つらいことの方が多すぎるかもしれない。たが、お前にはいつも笑顔でいて欲しいし、お前の笑顔が必要なのだ」
「私の笑顔……?」
「そうだ。お前の笑顔を見ているだけで、私はがんばれるのだ。リーフ様を守らなければならないという使命と同様に、ラケシスと同じようなその笑顔を守るために、私はがんばれるのだ」
笑顔というにはすこし遠い感じのする表情。でも優しさの感じられるあたたかなものであった。
「お父様!」
ナンナは思わずフィンの胸に抱きついた。大きな暖かな腕の中で、ナンナは自分の居場所がちゃんとあったことを知った。自分にもできることがあることを知った。
「フィン、一人占めはずるいよ。僕もナンナの笑顔は大好きなんだからね!」
リーフの笑い声が久々に響く。それを目を細めながらフィンが見ている。
苦しい状況の中での、わずかなしあわせな時間だった。
◇ ◇ ◇
今はまだ力のない私。
そんな私に今できるのが2人に笑顔を見せることなら、私は笑顔を忘れずにいよう。
いつかもっともっと力をつけて、きっと役に立つその日まで。
それまで、いえ、そのあとも、私は笑顔を忘れない。
Fin
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