「おとうさまは、ナンナのことがキライなんだ!」
いつだっただろう。
そう言ってお父様を困らせたことがあった。
まだ本当に小さかった時のことだと思う。
あの頃、私は幼すぎて、お父様の立場も、リーフ様の背負っているものも知らなかった。
お父様とリーフ様。
2人の間には私が入ることのできない深いつながりがある。
今なら私にもそれがわかる。
でも私とお父様にも、リーフ様とお父様の間のつながりに負けない、大切な想いがある。
いつまでも決して変わることのない想いが……。
◇ ◇ ◇
「フィン様、ナンナ様はこちらにいらしています?!」
青色のお下げ髪の少女が部屋に入ってくるなり、慌てた様子で尋ねてきた。
「いや、ここにはいないが。ナンナがどうかしたのか? セルフィナ」
「部屋でお昼寝しているかと思っていたのですけど、いらっしゃらないの。いろいろ探してみてもどこにも姿が見えなくて。ここでもないとしたら一体どこへ……」
セルフィナの不安そうな表情に、フィンにも不安が広がる。
「ナンナいないの?」
絵本を持ったリーフが、フィンの服をひっぱる。
フィンは屈んで目線をリーフと同じくした。
「リーフ様、ちょっとナンナを探してきますから、ここで待っていてくれますか?」
「うん。わかった。でもぜったいさがしてきてよ。ナンナといっしょにこのほんよむやくそくしていたから」
「わかりました。必ず探してきます」
フィンは木で作ったおもちゃをリーフに手渡した。
リーフは嬉しそうにそれを受け取ると、一人で遊び始めた。
「セルフィナ、リーフ様をたのむ」
フィンはそう言うと、セルフィナの返事を待たずに部屋を飛び出した。
◇ ◇ ◇
「ナンナ!」
こんな奥まで一人で来るとは思えなかった。しかし万が一ということもある。
フィンは薄暗い森の中を探し回った。
裏庭から続く森。
アルスター領内の森であるため、帝国軍が入り込むことはないとはいえ、人が足を踏み入れることは少ない。
裏庭の草木の手入れをしていた者から、小さなコが森の方へ歩いて行ったということを聞いたフィンは、慌てて探しに来たのだった。
そろそろ陽が傾き始めてきた。
子供の足でここまで来れるだろうか、と考える。
これだけ探していないということは、森には入らず、どこかで遊んでいただけで、もう城に戻っているのかもしれない。
そう思い、帰りかけた瞬間、小さな子供の声が聞こえてきた。
声……というか、しゃくりあげるような泣き声。
静まり返った森の中。かすかに聞こえる方角へ、フィンは駆け出した。
どうやら声は1本の大木から聞こえてくるようだった。
そばに寄ってみると、木の根元に子供が一人入れるかくらいの小さなうろがあった。
「ナンナ?」
返事はなかったが、鼻をすする音と小さな嗚咽が聞こえてきた。
間違いない、それは大切な娘のものである。
「探したぞ、ナンナ。どうしたんだ? 一人で出歩いたりしたら危ないじゃないか。早くそこから出てきなさい。リーフ様も心配していらしたぞ」
「……」
「ナンナ?」
うろの奥を覗き込むと、膝を抱えて身体を小さく丸めたナンナが、大粒の涙をこぼしていた。
「おとうさまは、ナンナのことがキライなんだ!」
「?!」
突然の娘の言葉に、フィンは驚いた。
「おとうさまはいっつもいっつもリーフといっしょで、ナンナとあそんでくれないもん。おとうさまはリーフのことがだいすきだけど、ナンナのことはキライなんだ」
泣きながら訴える小さな娘の言葉がひどく胸に突き刺さった。
当たり前のことだが、父親として娘のことを嫌いだと思ったことなど一度もない。それどころか、妻によく似た娘をいつも愛おしく思っている。
しかしその思いは娘には伝わっていなかったのだと、初めて思い知らされた。
「おかあさまがいなくなったときも、おとうさまはナンナのそばにいてくれなかったもん! おとうさまはリーフがいれば、おかあさまもナンナもいなくてもいいんだ!」
そう言ったかと思うと、ナンナはわぁーん、と大声で泣き出した。
フィンはナンナにかける言葉がすぐには出てこなかった。
父親としての愛情は言わなくてもわかっているものだと思い込んでいた。
これまでにどれだけ娘が淋しい思いをしていたのか、フィンは知らなかった。
妻であるラケシスがいた頃はそんな思いはしていなかっただろう。いつもナンナのそばには母親がいた。
しかし、彼女が旅立ってからは……。
突然失ったあたたかな手に代わるものをナンナは探していたのかもしれない。
娘のことを考えなかったとは言わないが、やはり主君の子息であるリーフ様のことを第一に考えてきたと思う。自分は父親として娘の気持ちに気づかず、何もしてやれなかったのかと、フィンは後悔した。
ふいにラケシスが言っていた言葉が思い出された。
『貴方は私が欲しいと思う言葉を言ってくれるのね』
昔はラケシスに思ったことをちゃんと伝えてきた。
ただ、だんだん言葉が少なくなり、相手の瞳を見るだけで何を思っているのかわかるようになってきた。そしてそれは彼女も同じだった。
言葉にしなくても伝わることがある。
そういうことに慣れ過ぎていたのかもしれない。
言葉にしなければ伝わらないこともある。
それを忘れてはいけないとフィンは思った。
「ナンナ、よくお聞き。私はナンナが大好きだよ。ラケシスも……お前のお母様も大好きだ。それはこれからもずっと変わらないよ」
「ホント……?」
「ああ、本当だ」
「ナンナといっしょにあそんでくれる? ナンナをひとりにしない?」
「一緒に遊ぶし、ナンナを一人にはしないよ」
「ホントに、ホント?」
すぐには信じられないのか、ナンナは何度も確かめる。
「ああ、本当だ。約束するよ」
「……おとうさまぁ!」
やっとうろから出てきたナンナがフィンに飛びつく。
フィンの大きな胸にしがみついて、ナンナは泣いた。これまでためていたものを全部出すかのように、思いっきり泣いた。
フィンはナンナの気が済むまで、黙って優しく背中を撫でていた。
「ナンナ、大好きだよ」
フィンは大切そうにナンナを抱きかかえながらもう一度言った。
その言葉で、やっとナンナに笑顔が戻ってきた。
◇ ◇ ◇
お父様……。
お願いだから、どうかお父様を助けてください。
私から大好きなお父様を取り上げないで。
トラキアの東の海岸沿いにあるフィアナという小さな村。そこを束ねる女剣士エーヴェルの家の一室で、ナンナはひたすら祈っていた。
帝国軍に襲われ、リーフとナンナを守るために命に関わる大怪我をしたフィン。
なんとか追っ手から逃れ、フィアナ村に逃げ込んだ2人は助けを求めた。
あまりに切迫した表情の子供2人を見て、エーヴェルはとりあえず治療を試みると言ってくれたのだった。
治療に入ってからどれくらい時間がたっただろう。
ナンナの隣に座っていたリーフは、じっと待つことに我慢できなくなり、様子を見てくる、と言って部屋を出たっきり戻ってこない。
一人待つナンナは不安で不安で仕方がなかった。
「お父様……」
そうつぶやきながらナンナは昔のことを思い出した。
いつもそばにいてくれて自分を大切にしてくれた父。その父がいなくなることなど考えられない。
お願いだから、お父様を助けて……。
ナンナは必死になって祈った。
「ナンナ!」
大きくドアを開けてリーフが戻って来た。
「リーフ様! お父様は?!」
「フィンならもう大丈夫だって。あとはゆっくり休ませて、体力が回復するのを待てばいい、って言っていた」
「よかった……」
ほっとしたナンナの瞳から涙が流れる。
手当てはしてみるが、助かるかどうかはわからないと告げられた時、ナンナは自分も死ぬかと思うくらいに胸が痛くなり、そして息が詰まった。
本当に、本当に苦しかった。
「私、お父様のところへ行ってきます!」
「あ、ナンナ!」
急に駆け出したナンナに、リーフは止める暇もなかった。
「ナンナは、本当にフィンの事が好きなんだなぁ。お父様か……。僕の父上はどんな人だったんだろう……」
リーフはそっと小さくつぶやいた。
Fin
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