ときの ながれの なかに

 

 私は永い時の流れを観ていた。

 少年のころ、海の見える神社で育った。海に面した山門の両側に、大きな人形があって、それをこわごわと覗いたり、神社の建物をよく絵に描いたものだ。瓦の並び、飾り物、彫刻、をみつけては、興味をそそられた。

 古いけれどかなり大きな神社で、その伽藍配置を写しとった古い絵図をよく眺めていた。
何百年も前は、かなり栄えていた様子が読み取れた。今は古びていて静かにたたずんでいるものから、栄華を極めていた頃を空想するのが好きだった。

 スケッチをしていると、一つ一つの飾り物や建物が何かを語りかけてきた。見つめていると、それを造った人々の志が感じられた。

 泣き虫だったが、感の強い子供だった私は、いろいろなものと話をして遊ぶのが好きだった。父を亡くし、祖父のいる九州・日出の神社で暮らした、10才の頃だった。

 今日私が銅を使って製作した様々な仕事で、建築や町並みに関わる仕事をしている原点は、この頃に由来するのだろう。

 神社で見つけた御神体は銅の鏡だったことが、当時の私には不思議だった。今私が銅板をマテリアルに選んでいることと繋がりがありそうで、この素材が私にさまざまなインスピレーションを与えてくれる。............ 永い時の流れを刻むもの、永い時の流れの中にたたずむもの、そんな仕事を今後もつづけたい。そして、私が造ったもので、いろんな人や未来の子供に話をしよう。------------------赤川政由