Activities






1947.02.05
世田谷区に3人兄妹の末っ子として生まれる。家族は両親、兄、姉、チビ(ネコ)、バンビ(犬)。
1953
区立三宿小学校に1番で入学(後に1番ビリで卒業する)。
1956頃
この頃歌が異常なほど好きでとくに駐留軍放送(今のFEN)ばかり聴いて真似をしていた。 劇団「駒鳥」入団。テレビを始めとする芸能活動開始。 この頃のあだ名は「どりちゃん」、ものすごく気取り屋だったため。 母親に叱られるとなんとなく落語を始めてしまい、母親を吹き出させるまで止まなかったという。
1957頃
代々木童謡学院にて歌の勉強を始める。初めて習った歌は<三角帽子>。 別資料にはキング児童合唱団に入団とも。練習の時「誰かひとりドラ声がいる」と言われて泣く泣く退団。
1958頃
ティーブ釜苑氏(かまやつヒロシの父)に英語の発音を習う。 小学生の頃から米軍キャンプ(立川)巡りをする。米軍キャンプのオーディション合格。 米軍慰問のステージに立ち、軍の機関紙に「天才少女あらわる」と報道される。 この頃のレパートリーは<オーバー・ザ・レインボー>、<マイ・ファニー・バレンタイン>、 <ブルー・ベリー・ヒル>等。
1959頃
この頃、NTV「OK横丁に集まれ」にレギュラー子役で出演。 当時のTV番組はほとんど生で、多くの失敗談があった(マツゲがほっぺたに落ちたままの演技など)。 この頃から栄養過多気味になる?
1960.04
駒沢学園中学女子部。三宿中学校〜駒沢学園高等部という記事もあり。 この頃、童謡研究所(のちに歌劇専門の研究所に)に通いミュージカルを勉強。
NHKオーデション合格この頃?<オーバー・ザ・レインボー>と<アイ・メイ・ビー・ロング>を歌う。
NHK「私たちの演奏会」に出演。
1960.08
フジテレビ<ヒット・キット・ショー>のオーディション、 <オーバー・ザ・レインボー>で合格。番組にて<アレキサンダー・ラグタイム・バンド>を歌う。
木倉事務所に所属(1962.11まで)。 その後、東芝の草野浩二ディレクターに認められる。



1961.09
東芝レコードと契約(当時の雑誌では入社とあるが・・・・)
1961.11
和製ブレンダ・リーのキャッチ・フレーズのもと、 <子供ぢゃないの/悲しき片想い>でデビュー。
『ミュージック・ライフ』11月号新人登場のコーナーに。
1961.12
映画『めぐり逢う日まで』(松竹)。
『ミュージック・ライフ』セーリング・レコード(以下SRとする)に <子供ぢゃないの>9位(29ポイント)。ただし、雑誌掲載は2ヶ月後。



1962.01
SR:<悲しき片想い>5位(95)。
月刊明星『今月のヒット・メロディー・子供じゃないの』
1962.02
シングル<すてきな16才/夢のスウィート・ホーム>、 25cm盤<ヒット・キット・パレード>、 フォノブック<ルイジアナ・ママ/ハロー・メリー・ルー>
NHK「夢であいましょう」今月の歌<ブルージン・ブルース>
『ミュージック・ライフ』2月号にJPO-1150紹介記事掲載。
SR:<悲しき片想い>5位(99)、<すてきな16才>15位(17)。
1962.03
SR:<悲しき片想い>3位(126)、<すてきな16才>16位(15)。
月刊明星『今月のニューボイス・オチャメなミコちゃん』。
1962.04
シングル<カモン・ダンス/恋のエアメイル>
フジテレビ「ヒット・キット・ショー」出演。
SR:<すてきな16才>7位(41)、<悲しき片想い>14位(24)。
月刊明星『特集4人のジャンピング・エージ・リンゴのようなミコ』
1962.05
SR:<すてきな16才>11位(25)、<カモン・アンド・ダンス>14位(21)。
1962.05.28/29
「日米ロック・ツイスト合戦/ボビー・ヴィー・ショウ」(新宿コマ劇場)出演。 このライブには初来日の二人組ベンチャーズも出演。
1962.06
シングル<寝不足なの/ブルージーン・ブルース>、 フォノブック<すてきなミコちゃん>
SR:<かっこいいツイスト>7位(32)、<カモナ・ダンス>14位(21)、 <すてきな16才>17位(13)。
月刊明星『特集ジャズティーン歌のカーニバル・ブルージンの大好きなミコ』
1962.07
シングル<かっこいいツイスト/一度だけのあやまち>、 25cm盤<ヒット・キット・パレード第2集>
映画『すてきな16才』(大映)。 SR:<かっこいいツイスト>7位(53)、<ブルージン・ブルース>18位(16)。
月刊明星『ミコの大阪日記〜ママといっしょに関西への初旅』
1962.08
SR:<かっこいいツイスト>8位(58)、<カモナ・ダンス>11位(28)。
1962.09
シングル<かっこいい彼氏/シェーナ・シェーナ>
SR:<シェーナ・シェーナ>14位(33)、<一度だけのあやまち>15位(32)。
月刊明星『チャキリスと夢のデート〜ジョージ・チャキリス&弘田三枝子』
1962.10
シングル<リトル・ミス・ロンリー/ヴァケーション>
SR:<ヴァケイション>12位(33)。
1962.11
シングル<ミコのジングルベル/ブルー・クリスマス>
SR:<ヴァケイション>7位。
月刊明星『特集'63年型若いトップ・ライバル〜弘田三枝子&中尾ミエ』
1962.12
ソノシート<ヒット・ソング〜アスパラ祭>
SR:<ヴァケイション>6位(58)。
1962.12.31
NHK第13回「紅白歌合戦」<ヴァケーション>。
1962.
ミュージック・ライフ人気投票女性歌手部門4位。
フジテレビ「ハロー・ミスター・ミュージック」、「トップ・アンド・トッ プ・ショウ」、日本放送の「ハイカラ・バラエティー」出演はこの頃?



1963.01
SR:<ヴァケイション>9位(26)。
1963.02
フォノブック<歌うミコちゃん>
SR:<ヴァケイション>11位(25)。
月刊明星『座談会・お嬢さん社長が3人寄れば』(森山、弘田、仲宗根)
1963.02.12-19
『森山加代子・弘田三枝子ショー』(日本劇場)
1963.03
シングル<ゆるしてゆるして/涙がいっぱい>、 シングル<想い出の冬休み/マック・ザ・ナイフ>、 シングル<明日をみつめて/そっと一人に>、 25cm盤<スタンダードを唄う>
映画『魚河岸の旋風娘』(松竹)。 SR:<ゆるして、ゆるして>18位(18)。
月刊明星『夢のデート第2回・たのしかったおしゃべりとスタジオ見学』
1963.04
25cm盤<ヒット・キット・パレード第3集>
映画『独立美人隊』(松竹)。
NHK「みんなの歌」※曲目不明
SR:<想い出の冬休み>4位(84)。
『シャボン玉ミコちゃん』、TBS『花の番地』この頃?
月刊明星『弘田三枝子・ミコの新居ステキでしょ』(ゲスト・田辺靖雄)
1963.04.13-14
『うたえ!弘田三枝子』(文京公会堂)
1963.04.28-29
『うたえ!弘田三枝子』(共立公会堂)
1963.05
シングル<渚のデイト/星影で愛して>
SR:<想い出の冬休み>1位(166)、<渚のデイト>4位(56)。
1963.05.07
『うたえ!弘田三枝子』(厚生年金会館)
1963.05.14
『うたえ!弘田三枝子』(文京公会堂)
1963.05.26
『うたえ!弘田三枝子』(共立公会堂)
1963.06
『ミュージック・ライフ』6月号、表紙&「今月のプロフィール」に記事掲載。
SR:<渚のデイト>1位(157)、<想い出の冬休み>3位(116)、 <ゆるして、ゆるして>12位(15)。
月刊明星『サブちゃん&ミコちゃん・グーッといきに三味線流し』
1963.07
シングル<悲しきハート/月影のレナート>
映画『女弥次喜多タッチ旅行』(松竹)。 SR:<渚のデイト>4位(84)、<悲しきハート>13位(18)、 <想い出の冬休み>13位(14)。
月刊明星『ガール・ガール・ガールの男性祭典座談会』(星、三条、五月、仲宗根、弘田)
1963.07.13-14
『うたえ!弘田三枝子』(厚生年金会館)
1963.07.20
『うたえ!弘田三枝子』(厚生年金会館)
1963.07.27-28
『うたえ!弘田三枝子』(日比谷公会堂)
1963.08
SR:<悲しきハート>2位(106)、<渚のデイト>6位(45)、 <マック・ザ・ナイフ>16位(10)。
1963.08.06
『うたえ!弘田三枝子』(サンケイホール)
1963.08.10
『うたえ!弘田三枝子』(文京公会堂)
1963.09
シングル<涙のゴスペル/悲しみがいっぱい>
SR:<悲しきハート>2位(129)、<渚のデイト>6位(41)、 <悲しきゴスペル>8位(26)、<想い出の冬休み>16位(6)。
新宿コマ劇場<喜劇・泥靴ホテル>(柳家金語楼)。
1963.10
SR:<悲しきハート>1位(126)、 <涙のゴスペル>5位(70)、 <想い出の冬休み>8位(35)、<渚のデイト>10位(30)。
1963.11
25cm盤<日本民謡を唄う>、 30cm盤<ヒット・アルバム>
SR:<悲しきハート>1位(176)、 <涙のゴスペル>6位(42)。
月刊明星『男性ノックアウト作戦会議』(和泉、中尾、弘田、九重、本間)
1963.12
シングル<私のベイビー/ティーンエイジ・クレオパトラ>
SR:<私のベイビー>1位(124)、<悲しきハート>2位(120)、 <涙のゴスペル>10位(34)。
1963.12.31
NHK第14回「紅白歌合戦」に<悲しきハート>で出場。
1963.
ミュージック・ライフ人気投票女性歌手部門2位。 10年連続第1位の江利チエミに次ぐ。




1964.01
SR:<私のベイビー>1位(174)、<悲しきハート>5位(100)、 <涙のゴスペル>7位(34)。
1964.02
SR:<私のベイビー>2位(141)、<悲しきハート>5位(71)。
1964.03
シングル<ダンケシェーン/涙のためいき>
ヘレン・シャピロ来日し、初めての顔合わせ。
SR:<私のベイビー>4位(73)、<ダンケ・シェーン>10位(27)、 <悲しきハート>12位(20)。
1964.04
フジテレビ「歌」出演。
SR:<ダンケ・シェーン>4位(62)、<私のベイビー>6位(57)、 <悲しきハート>13位(13)。
1964.05
シングル<若い街角/気ンなるあいつ>、 シングル<恋と涙の17才/いつでもあなたを>
SR:<ダンケ・シェーン>4位(81)。
NHK「今日の歌」で<ひとつぶの真珠>。
1964.06
SR:<恋と涙の17才>9位(39)、<ダンケ・シェーン>13位(14)。
1964.07
SR:<恋と涙の17才>7位(45)。
ニッポン放送「ごきげんミコちゃん」この頃。
1964.08
シングル<ひとつぶの真珠/きっとね>、 30cm盤<リサイタル>
SR:<恋と涙の17才>8位(39)。
1964.09
SR:<恋と涙の17才>7位(47)。
1964.10
シングル<恋のレッスン/涙の二十四時間>
SR:<恋と涙の17才>6位(45)、<涙の二十四時間>8位(42)、 <ダンケ・シェーン>13位(15)。
1964.11
SR:<涙の二十四時間>4位(63)、<恋と涙の17才>5位(58)。
1964.11.17
東京銀座日航ホテルにてコロムビア・レコードより移籍会見。
1964.12
コロムビア移籍第1弾、シングル<はじめての恋人/砂に消えた涙>
SR:<涙の二十四時間>6位(48)、<恋と涙の17才>11位(20)。
1964.12.31
NHK第15回「紅白歌合戦」<アレキサンダー・ラグタイム・バンド>。
1964.
ミュージック・ライフ人気投票女性歌手部門1位。以後3年間1位。
月刊明星『まんがでスターを』(まるで持物検査のような記事・・・・)



1965.01
SR:<砂に消えた涙>2位(108)、<恋のレッスン>11位(37)。
1965.01.28
東京音協<弘田三枝子リサイタル>(東京・文京公会堂)。
1965.01.29
東京音協<弘田三枝子リサイタル>(東京・文京公会堂)。
1965.01.31
新宿コマ劇場公演(自1/31・至2/24)オリジナル・ミュージカル<娘よ、胸をはれ!>、 (菊田一夫監修、松木ひろし作、神津善行・山屋清音楽、北村三郎演出)。 他に三木のり平のマゲモノ大喜劇。
1965.02
シングル<ナポリは恋人/レッツ・ゴー・ベイビー>
SR:<砂に消えた涙>2位(155)、<ナポリは恋人>4位(105)。
1965.03
30cm盤<ヒット・キット・ミコ第1集>
SR:<砂に消えた涙>1位(164)、<ナポリは恋人>4位(90)。
1965.04
シングル<いそしぎ/サマータイム>
シングル<可愛いマリア/君に涙とほほえみを>
SR:<砂に消えた涙>1位(165)、<ナポリは恋人>5位(71)。
1965.05
SR:<可愛いマリア>4位(78)、<ナポリは恋人>7位(56)、 <砂に消えた涙>8位(36)。
1965.06
シングル<太陽の海/夕陽のなぎさ>
SR:<可愛いマリア>3位(83)、<ナポリは恋人>8位(27)。
1965.07.03
アメリカ、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに日本人歌手として初めてステージを踏む。 ニューヨークのジャズ・クラブで今まで以上にジャズ・ボーカルに傾倒する。
1965.07.05
ビリー・テイラー&ベン・タッカーによるジャズのレッスン始まる。 ニューヨークで日本人ではじめての外国録音。
セロニアス・モンクの楽屋を訪ねたり、エラ・フィッジェラルドの養女に乞われたり、 レイ・ブラウンのベース伴奏でスキャットを歌ったというエピソードはこの頃?
1965.07
SR:<可愛いマリア>2位(151)、<太陽の渚>8位(14)。
1965.08
シングル<夜の太陽/夢見るシャンソン人形>
シングル<恋のクンビア/愛の言葉を>
SR:<可愛いマリア>2位(131)。
1965.08.07
「ミコ・ニューポートをうたう」(東京サンケイ・ホール、昼夜)。 第一部これまでのスタンダード、第二部ニューポートの再現、第三部ニューポート後の成果披露。
1965.09
シングル<道/ほほえみを忘れないで>
SR:<夢みるシャンソン人形>3位(104)。
1965.09.16
労音(京都)。
1965.09.17
労音(京都)、颱風24号のため公演中止。
1965.09.18
労音(京都)。
1965.10
シングル<ホワイト・クリスマス/ジングル・ベル>
30cm盤<ヒット・キット・ミコ第2集>
SR:<可愛いマリア>6位(41)、<夜の太陽>9位(15)。SR掲載終了。
1965.10.20
労音(和歌山)。
1965.10.21
労音(和歌山)。
1965.10.22
労音(姫路)。
1965.10.24
NHK「若いリズム」。
1965.10.25
NHK「若いリズム」。
1965.10.27
高崎ウール祭り。
1965.10.27
フジTV「グランドショー」、ラ・セーヌ。
1965.11
シングル<バイ・バイ・ブロンディ/別離>
1965.11.02
新曲レコーディング。
1965.11.04
労音(郡山)。
1965.11.05
労音(郡山)。
1965.11.06
仙台コロムビア一日セールスマン。
1965.11.07
NHK。NET音楽番組「歌は恋人」収録。 制作NET、脚本岡田憲和、演出昌中隆一、主演弘田三枝子、高島忠夫、鹿内タカシ、九重祐三子、 玉川良一、ザ・プリーチャーズ(踊り)、演奏東京ユニオン・オーケストラ。
1965.11.08
NHK、NET。
1965.11.08
コロムビア大行進。
1965.11.10
新曲レコーディング。
1965.11.12
TBSオーナー、NET「歌のミラーボール」。
1965.11.13
新宿コロムビア一日セールスマン、フジTV「グランド・ショー」。
1965.11.15
NHK、NET。
1965.11.17
山形県酒田。
1965.11.18
山形県酒田。
1965.11.20
コロムビア「花のステージ」。
1965.11.21
NHK。
1965.11.22
NHK、NET。
1965.11.25
長崎放送・全国ウール協会主催「長崎ウール祭り」(長崎会館)。公演の合間に原爆病院慰問。
1965.11.26 ?
長崎ウール祭り(長崎会館)。
1965.11.27
ラ・セーヌ(東京新宿)夜の部。
1965.11.28
NHKテレビ「若さとリズム」フィルム撮り。
1965.11.29
NETテレビ「歌は恋人」フィルム撮り。NHK「若さとリズム」音取り。
1965.11.30
新曲レコーディング。
1965.12
TVアニメ<ジャングル大帝>主題歌・挿入歌アルバム発売
主題歌の歌唱の素晴らしさに感動する。
1965.12.01
新曲レコーディング。
1965.12.02
テレビNET「歌は恋人」音取り。
1965.12.03
文化放送公開番組(渋谷公会堂)13:00〜。
東京労音例会リサイタル(厚生年金大ホール)18:00〜。 演奏は渡辺明と東京ユニオン・オーケストラ、小西徹クインテット。
1965.12.04
TBSテレビ「コロムビア・ヒット・ショー」フィルム撮り、14:00〜18:00。
1965.12.05
NHKテレビ「若さとリズム」フィルム撮り。
1965.12.06
NETテレビ「歌は恋人」フィルム撮り。
1965.12.07
NETテレビ「歌は恋人」フィルム撮り。
1965.12.08
東京労音(杉並公会堂)、18:30〜。
1965.12.09
TBSテレビ「グリコ歌の祭典」(?)。
1965.12.10
コロムビア・アワー(?)。
1965.12.11
新曲レコーディング。
1965.12.12
新曲レコーディング。
1965.12.13
NHKテレビ「若さとリズム」音撮り。
1965.12.14
日本テレビ「世界に飛び出せ」。
1965.12.15
「百万ドルの饗宴」(後楽園ホール)、13:00〜22:00。
1965.12.19
東京(日比谷公会堂)、12:30〜。
1965.12.20
コロムビア「花のステージ」。
1965.12.21
東京労音(渋谷公会堂)、18:30〜。
1965.12.22
「100万ドルの饗宴」、18:00〜21:00。
1965.12.23
東京労音(文京公会堂)、18:30〜。
1965.12.24
東京労音(文京公会堂)、18:30〜。
1965.12.25
ホテルオータニ・クリスマスパーティー・後援会二周年記念パーティー (西部レストラン・プルニエ 14:00〜17:00)。
1965.12.27〜30
巨人軍選手の集い(文京公会堂、13:00〜)。
1965.12.31
NHK第16回「紅白歌合戦」<恋のクンビア>。
1965.
ミュージック・ライフ人気投票女性歌手部門1位。



1966.01
30cm盤<ニューヨークのミコ>
レイ・ブラウン来日、レッスンを受ける?
1966.01.05
ラセーヌ(新宿)12:45〜。
1966.01.06
東京労音(共立講堂、18:30〜)。
1966.01.07
東京労音(共立講堂、18:30〜)。
1966.01.08
東京労音(日比谷公会堂、18:30〜)。
1966.01.12
東京労音(厚生年金会館、18:30〜)。
1966.01.13
東京労音(サンケイホール、18:30〜)。
1966.01.15
東京労音(文京公会堂、18:30〜)。
1966.01.20
東京労音(共立講堂、18:30〜)。
1966.01.21
東京大学帝友会の集い(都市センターホール)。
1966.01.22
東京労音(サンケイホール、18:30〜)。
1966.01.25
東京労音(共立講堂、18:30〜)。
1966.01.27
東京労音(渋谷公会堂、18:30〜)。
1966.01.28
レコーディング。
1966.01.29
TBSテレビ「コロムビア・ヒットショウ」。
1966.01.30
NHK「若さとリズム」。
1966.01.31
TBS「グリコ歌の祭典」。
1966.02
シングル<スーベニールス/そよ風にのって>
1966.02.01
東京労音(渋谷公会堂、18:20〜)。
1966.02.02
NETテレビ「歌は恋人」。
1966.02.03
L盤アワー・ダビング。
1966.02.04
レコーディング。東京労音(サンケイホール)。
1966.02.05
後援会主催誕生パーティー(新宿大飯店ホール、14:00〜)。
NETテレビ「歌は恋人」。
1966.02.06
NHK「若さとリズム」。
1966.02.13
NHK「若さとリズム」。
1966.02.15
レコーディング。
1966.02.16
NETテレビ「歌は恋人」。
1966.02.19
TBS「グリコ歌の祭典」。
1966.02.20
NHK「若さとリズム」。
1966.02.22
コロムビア・アワー(読売ホール)。
1966.02.23
大阪労音。演奏は渡辺明とリズム&ブルーセス、居上博とファインメンツ・オーケストラ。
1966.02.26
大阪労音。この頃フォークを歌い始める?
1966.02.27
大阪労音。
1966.03
シングル<愛のゴー・ゴー/砂の上のひめごと>
1966.03.17
平河町都市センター・ホールにてリサイタル。
バック・バンドは原信夫とシャープ・アンド・フラッツ、 渡辺明とリズム・アンド・ブルーセスで、 この時の録音は<ミコ・イン・コンサート>で聴くことが出来る。
1966.05
シングル<瞳の中の私/悲しみは空の彼方に>
1966.06
シングル<夜明けの海/夢見る乙女>
1966.06.23
東京大学ボクシング部主催「弘田三枝子フォークを歌う!」(サンケイホール)
1966.06.??
京都音協「弘田三枝子フォークを歌う!」(京都会館第一ホール)
1966.07.11
「名鉄ミュージックフェア66」(名鉄ホール)
1966.07.12
「名鉄ミュージックフェア66」(名鉄ホール)
1966.08
大阪朝日放送「てなもんや三度笠」に出演。
1966.08.03
NHK「グランド・ショー」。
1966.08.06
大阪宝塚「ファミリーナイター・コンサート」。
1966.08.07
大阪宝塚「ファミリーナイター・コンサート」。
1966.08.09
コロムビア大行進。
1966.08.14
ラセーヌ(東京新宿)。
1966.08.21
ラセーヌ(東京新宿)。
1966.08.24
コロムビア・アワー(広島)。
1966.08.25
コロムビア・アワー(広島)。
1966.08.26
コロムビア・アワー(福岡)。NHK名古屋「リズムに乗って」放送、12:00〜12:40。
1966.09
30cm盤<ミコ・イン・コンサート>
1966.10
シングル<恋はノン・ストップ/帰ってね、きっと>
1966.10.31
TBS「ヤング720」出演。
1966.12.14
TBS「ヤング720」出演。
1966.12.31
NHK第17回「紅白歌合戦」は欠場。
1966.
ミュージック・ライフ人気投票女性歌手部門1位。



1967.04
シングル<黒いブーツと皮ジャンパー/帰らぬ少年兵>
1967.07
シングル<渚のうわさ/風とオトコのコ>
1967.11
シングル<枯葉のうわさ/悲しみの足音>
1967.12.31
NHK第18回「紅白歌合戦」<渚のうわさ>。
1967.
ミュージック・ライフ人気投票女性歌手部門3位。



1968?
シングル<涙のドライブ/さざ波のバラード>
1968?
シングル<渚の天使/恋のエンジェルベイビー>
1968.05.03
R&B東京ライブ、大手町サンケイホール。
1968.02.03
TBS「ヤング720」出演。
1968.02.19
TBS「ヤング720」出演。
1968.09
シングル<可愛い嘘/砂に埋めた手紙>
1968.10
30cm盤<ミコR&Bを歌う>
1968.12.31
NHK第19回「紅白歌合戦」は欠場。



1969.
映画『栄光の黒豹』(松竹)。
1969.06
シングル<人形の家/あなたがいなくても> <人形の家>ミリオンセラー、日本レコード大賞歌唱賞受賞。
1969.07.16
R&Bライブ、京都会館
1969.11.02-24
コロムビア企画「アリタリア航空・有名スターと行くヨーロッパ旅行」。 都はるみ、弘田三枝子、島和彦と招待10名のツァー。
1969.12
30cm盤<ミコ・ベスト・ヒット・アルバム>
1969.12.31
NHK第20回「紅白歌合戦」<人形の家>。



1970.01.29
「ミコのカロリーブック」 150万部を越える大ヒット。
1970.04
シングル<燃える手/鍵を捨てたの>、 アルバム<ポピュラー・ビッグ・ヒッツ '70>
1970.04.07
TBS「ヤング720」出演。
1970.04.28
TBS「ヤング720」出演。
1970.05.18
TBS「ヤング720」出演。
1970.05.27
TBS「ヤング720」出演。
1970.07
アルバム<all about miko>
1970.08
シングル<ロダンの肖像/恋愛専科>
1970.09.01
TBS「ヤング720」出演。
1970.11
アルバム<ミコ/ロダンの肖像>
1970.11.11
TBS「ヤング720」出演。
1970.12
シングル<できごと/ささやき>
1970.12.31
NHK第21回「紅白歌合戦」<ロダンの肖像>。



1971.02
<ヤングアイドル・弘田三枝子をあなたに>
1971.03
シングル<バラの革命/失われた月光>
1971.03.01
TBS「ヤング720」出演。
1971.03.23
TBS「ヤング720」出演。
1971.05.30
すわ労音5月例会<弘田三枝子リサイタル>。北沢会館にて。 演奏は仲野彰とニューシャープス。
1971.06.12
サンケイ・ホールにて<原信夫とシャープ&フラッツのすべて>に出演。
1971.07
アルバム<ミコより愛を込めて>
1971.08
アルバム<ミコ・ロックの歴史を唄う>
1971.11
シングル<裏庭の出来事/恋人時代>
1971.12.24
リヴィエラ・ライブ。
1971.12.31
NHK第22回「紅白歌合戦」<バラの革命>。



1972.04
シングル<美しかった場所/恋はフィーリング>、 アルバム<MIKO LOVE>
1972.06
アルバム<弘田三枝子の世界>
1972.10
シングル<都会の女/誘惑>
1972.12
シングル<バラキのテーマ/ダニエルとマリアのテーマ> アルバム<愛の歌>



1973.03
シングル<花の咲く朝/危険な関係>
1973.04
アルバム<ミコ・ライブ '73>
1973.07
アルバム<JAZZ TIME>
1973.10
アルバム<ベスト・アルバム>
1973
ブルガリア音楽祭にゲスト招待。50分のワンマン・ショーがTVで放映される。
1973.
リヴィエラ・ライブ。



1974.02
アルバム<Yesterday Once More>
1974.04
シングル<蝶の雨/ひとりぼっちの海>
1974.06
アルバム<The Nearness of You>
1974.09
アルバム<Good Old Days Forever>
1974.10.07
中野サンプラザ< JAZZ VOCAL GREAT HITS>。 雪村いづみ、マーサ三宅、弘田三枝子が歌い、前田憲男&鈴木宏昌がアレンジ。
1974.10.25
アルバム<Golden Double For You>
1974
渡米、シカゴ・プレイボーイクラブ出演。



1975.01.15
渋谷ジァン・ジァンにて<ジャズタイム '75>。 <サテン・ドール>、<ニアネス・オブ・ユー>、<フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ>など。
1975.02.15
渋谷ジァン・ジァンにて<ジャズタイム '75>。
1975.02.25
シングル<女の癖/別れた男(ひと)>、 アルバム<愛のめぐり逢い>
1975.03.15
渋谷ジァン・ジァンにて<ジャズタイム '75>。
1975.09.25
アルバム<私の好きな唄>
1975.10.01
シングル<胸さわぎ/あなたの口紅>
1975.10
アルバム<ゴールデン・スター・ワイド・デラックス>
1975.11
シングル<MIKO Best Jazz Album>
1975.12.15
渋谷ジァン・ジァンにて<弘田三枝子コンサート>。演奏は日野元彦グループ。



1976.01.15
渋谷ジァン・ジァンにて<弘田三枝子コンサート>。演奏は日野元彦グループ。
1976.02.28
渋谷ジァン・ジァンにて<弘田三枝子コンサート>。
1976.05.01
シングル<絵空事/後悔>
1976.05.10
アルバム<My Funny Valentine>
1976.05.11
中野サンプラザ・ホールにてリサイタル<Mieko in Person>。
1976.05.25
アルバム<ポップスの世界>
1976.07
アルバム<MIEKO in Person>
1976.07.16
名古屋CBC ハウス歌のスーパーめぐり。
1976.07.21
大阪ミナミ。
1976.07.22
東京12チャンネル「奥さん2時です」録画。
1976.07.23
金沢。
1976.07.31
神戸国際ホール。
1976.08.01
鹿児島。
1976.08.07-08
飛騨高山原山スキー場< '76ジャズ・イン・高山>に出演。
1976.08.22
別府スギノイホテル。
1976.08.24
新宿ムーランドール。
1976.08.29
紀伊国屋ホールにて<Mieko in Person 3Days in SINJUKU>。演奏は鈴木宏昌トリオ。
1976.08.30
紀伊国屋ホールにて<Mieko in Person 3Days in SINJUKU>。 演奏は原信夫とシャープ&フラッツ。
1976.08.31
紀伊国屋ホールにて<Mieko in Person 3Days in SINJUKU>。 演奏は石川晶とカウント・バッファローズ。
1976.09.25
高田馬場 BIG BOX 9F ビクターミュージックプラザホールにて 後援会発足記念第1回コンサート。 演奏は鈴木宏昌トリオ+1。
1976.10
アルバム<ゴールデン・スター・デラックス>
1976.10.15
渋谷ジァン・ジァンにて<ジャズタイム '75>。 <サテン・ドール>、<ニアネス・オブ・ユー>、<フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ>など。
1976.10.30
渋谷公会堂<原信夫とシャープ&フラッツ・ジョイント・コンサート>。
1976.11.15
渋谷ジァン・ジァンにて<ジャズタイム '75>。
1976.12.01
札幌プリンスホテル。
1976.12.02-03
LP新曲レコーディング。
1976.12.04
フジTV「ミュージックフェア」録画。
1976.12.10
新宿パブディスコ。
1976.12.11
横須賀?
1976.12.15
渋谷ジァン・ジァンにて<ジャズタイム '75>。
1976.12.17
仙台電力ホール。
1976.12.19
大阪ジャズコン。
1976.12.21
<コロムビア大行進>録画。
1976.12.22
名古屋東レ・スポーツ・センター。
1976.12.24
帝国ホテル<クリスマス・ディナーショー>。
1976.12.25
大阪ロイヤルホテル<クリスマス・ディナーショー>。
1976.12.26-30
札幌クラブ。



1977.01.01
シングル<川の向こうに/他人事みたいに>
1977.01.15
渋谷ジァン・ジァン。
1977.01.17
「スイング・オン・バードランド」JOLF?
1977.01.19
下館労音。
1977.01.22
新宿ムーランドール。
1977.01.25-30
(東北公演「奥羽労音」)
1977.03.25
アルバム<In My Feeling>
1977.06
渡米。コロムビア・レコードとの契約解消。
自主制作アルバム<STEP ACROSS THAT LINE>をアメリカで録音。 アメリカではCBS、日本ではCBSソニーより発売。
1977.07.01
シングル<マイ・メモリ/ドーベルマン刑事のテーマ>
1977.08.25
アルバム<Like The Rockn' Roll Music>
1977.11
アルバム<ベスト16>


1978
アルバム<Step Across>



1979.07
帰国。ラ・フォーレ原宿にて帰国コンサート。



1980.02
小澤音楽事務所グループの(株)グローバル・レコードに所属。
1980
東芝EMI移籍<ミスター・シャドウ>を発売。
DAM<MIEKO HIROTA 76/45>



1981.10
アルバム<ベスト>



1983
キングレコード移籍LP<タッチ・オブ・ブリーズ>発売。
シングル<愛のNOKORIGA/IN THE MOOD>、 シングル<O・KAY/も・いちど>



1984
三菱ランサーCMのシングル<WITHOUT YOU/愛のブルートレイン>発売。



1985
FM北海道『弘田三枝子のランドスケープ』レギュラー番組スタート、 93年まで続いた長寿番組。



1986.01
CD<BEST HITS Vol.1>
1986.02
CD<BEST HITS Vol.2>
1986
RFミッドナイトクルージング『弘田三枝子のザッツ・ミュージック・タイム』等 ラジオレギュラーでも活躍。



1987
NHK『ザッツ・ミュージック』TBS『だうもありがと』等に主演、 ホテルニューオータニ、クリスタル・ルームにてスペシャル・レビューショーに主演。
SFCのLP<弘田三枝子 GREATEST HITS>



1988
ホテルスペシャル・ディナーショーを始めオールディーズの女王として 『札幌ミッドナイトライブ』等のライブ活動も活発化。
1988.07?
自主制作カセット<ミコ・イズ・バック>発売。
1986.10.21
CD<アンコール・ベスト・シリーズ>



1989
クリスタルルーム、コルドンブルーにてスペシャル・レビューショー。
第3回日本ジャズエイド出演。6月『ミコ・ライブイン赤坂』開催。
1989.09.21
ヤクルト・ホールにてオリジナル・ジャズ・ミュージカル<Moonlight Beauty>。
1989.09.22
ヤクルト・ホールにて<Moonlight Beauty>。
1989.09.23
ヤクルト・ホールにて<Moonlight Beauty>。
1989.11.26
戸田市文化会館にてゴールデン・ジャズ・コンサート。



1990.05.11-13
30周年を迎え、Theater V Akasaka『ミコ・ライブ赤坂2』を開催。
1990.05? <ミコ・イズ・バック>レコードデビュー30周年記念CD化。
1990.06
CD<BIG ARTIST BEST COLLECTION>
1990.11.21-25
札幌FM録音。
1990.11.30
宇都宮。
1990.12.01
筑波。
1990.12.07
京王プラザ。
1990.12.08
仙台。
1990.12.09
宇都宮。
1990.12.15
武蔵野市民会館、ジャズ・フェスティバル。



1991
ホテル、各企業などのスペシャル・ディナーショーで精力的に活動。
1991.01.12-15
札幌FM北海道、録音。
1991.02.24
後援会食事会、新宿「ドンキホーテ」。
1991.07.06-08 (04-07?)
Theater V Akasaka『ミコライブイン赤坂3〜弘田三枝子アナザーステップ』。
1991.09.07
札幌チャリティ・ゴルフコンペ(雲仙被災地に寄附)。
1991.12.28
渋谷サウンド・フォーラム、スペシャル・ライブ。



1992.01.10-02.29
ホテルニューオータニ、クリスタル・ルームにてショー。
1992.01.24
NHK衛星放送『我が心のポップス』出演。
1992.12
新曲<WA・KA・RE〜別離>発売。



1993.01.27
CD<ミコちゃんのHit Kit Parade>
1993
すべての営業活動を停止し、デビュー以来初めての休養、充電期間。
1993.09.21
CD<ベスト・セレクション>



1994
活動再開、CMソング「ハウス食品〜六甲の水」はごろもフーズシーチキン、オンエア。
1994.03.21
CDシングル<定番ベスト4シリーズ>
1994.04
ネオ大和歌<出船の港>。
1994.05.06
新宿カーニバル・ポップ・ライブ。
1994.05.27
銀座スイングにてジャズ・ライブ。
1994.07.21
大塚「とん味とんび」、後援会食事会開催。
1994.09.02
新宿カーニバル・ポップ・ライブ?
1994.09.14
銀座スイングにてジャズ・ライブ。
1994.10.03
『天球回遊〜星へのバラード・弘田三枝子35周年リサイタル』を朝日新聞社主催、 直木賞作家高橋克彦氏の作演出により浜離宮朝日ホールにて上演。 あがた森魚が音楽監修を担当。
1994.12.15
銀座スイングにてジャズ・ライブ。



1995
「バヤリースオレンジ」CM。赤坂クリスタルルームにてスペシャルレビューショー開催。 各種ライブ活動活発化。
1995.01.27
阪神大震災チャリティー・コンサート(東銀座ホテルフェニックス)。 当初のディナー・ショーを急遽変更して。
1995.02.17
南青山マンダラにて35周年記念ライブハウス公演。
1995.02.27
南青山マンダラ。
1995.03.03
銀座スイングにてジャズ・ライブ。
1995.03.24
銀座ホテルフェニックス、ディナーショー。
1995.04.01-29
ホテルニューオータニ、クリスタル・ルームにて April Revue Show。
1995.06.13-18
ハワイ・ポップス・ツアー。
1995.09.09
南青山マンダラ<スペシャル・ライブ>。
1995.09.22
銀座スイングにてジャズ・ライブ。
1995.12.22
<スペシャル X'mas Jazz Live>、アリマックスホテル渋谷。



1996.03
3月よりポップスクィーンとして、全国<KENTOS>ツァー開始。
1996.03.18
川崎ケントス。



1997.02
2月より<KENTOS>ツァーIIで全国20ヶ所で公演。



1998
芸能生活40周年を迎える。
1998.01.21
アルバム<弘田三枝子〜筒美京平ウルトラ・ベスト・トラックス>
1998.04.25
MSIよりジャズのライブ・アルバム<MICO / JAZZ LIVE IN KITAKYUSHU>
1998.06.25
アルバム<ミコ・イズ・ポップス・クイーン>、 アルバム<華麗度>
1998.05-06
三度目の<KENTOS>ツァーで全国へ。
1998.07.09-10
銀座博品館劇場にて40周年記念コンサート。ジャズ・ユニット。
1998.07.16-17
銀座博品館劇場にて40周年記念コンサート。ポップス・ユニット。
1998.10
漣健児/ルーツはシックスティーズで様々な企画CDに収録。
1998.11.26
メルパルク・ホールにて40周年記念コンサート。
全く新しいコンセプトでのコンサートを計画中。



1999.02.27
高橋克彦60'sポップスレコードコンサート@盛岡つなぎ温泉ホテル大観
1999.05.21
ミニ・アルバム<TOKYO 27:00 / mico>