1997年(平成9年)6月8日(日)

「さよなら塩川バーベキュー大会in荒川河川敷」の巻。
 〜柴田、植原組、島田組、塩川組、片岡大〜

 ひとまず、これで最後の「バーベキュー大会」。翌日梅雨入りした東京地方だが、大事なこの日を祝福してくれるかのように、なんとか天気はもってくれた。「し組」としては、前回のバーベキューからちょうど一年ぶり。ここ荒川河川敷のバーベキューコーナーも、最近では大分知られてしまったようで、朝8時過ぎに場所取りに行ったのだが、全部で12個?あるカマドも空いているのはたった2つだけだった。ぎりぎりセーフ。植原宅&塩川宅から機材、食材、飲み材?を運び込みながらの場所取り。家から近いのはすごく便利なんだけど、その分近くに住んでいる人(植原、塩川)は、前日の買い出しから、場所取り、運び込みと、一番大変なのだ。みんな分かってる?

  午前11時過ぎ、二日酔い状態の柴田、続いて島田夫妻も到着して、ビールで乾杯!。今回はサエちゃん欠席なのがちょっと残念だったけど、代わりに「し組」の企画初参加の大(はじめ)くんが登場。彼は麦香村(ばっかそん)アルバイト時代の後輩で「麦の会」のメンバーである。ちなみに、群馬の清水にも声を掛けたのだけど、仕事の用事か何かあるとかで残念だけど欠席。

  少々強すぎる位の風のおかげで、炭にもあっと言う間に火が付き、早速焼き始める。結局二つ確保しておいたカマドは、一つは後から来た家族連れグループに譲ってあげて、植原のバーベキューコンロを使うことにした。

  あさりバタービール風味に始まり、焼きおにぎり、焼きトウモロコシ、焼き魚、牛肉はカルビにロース、豚肉はしょうが焼き、鳥もも肉にこてっちゃん、エビとねぎ焼き、じゃがいもとにんにくはアルミホイルで包み焼き、最後は定番野菜入り焼きそば少々砂混じり仕立て。どうです?良く食うでしょ?。

 勿論、飲む方だって忘れておりません。チリビールだって胃袋の中。とうとう酒は底をつき、急きょ追加ビールの買い出しに。みんな良く飲みます。


 「ああ、これでもう最後か..」午後3時過ぎ、残り火にバケツで水をかけながら、川の向こうに建設中の55階建てのマンションを見上げながら、そんなふうに思うと、ふと寂しさが胸をよぎった..。

 植原宅&塩川宅でひと休みをして、夜の部へ。すっかりいい気分で熟睡状態の柴田と植原を残して、居酒屋「千曲」へ。まだ夕方5時前、開店準備中のマスターを手伝って、のれんを出しちょうちんを下げ、座敷のテーブルと座布団を並べ替え、畳の破れを隠し..夜の部開宴、乾杯!!

  酒は日本酒「千曲錦」しかも一升瓶!そのまま冷やで。オレンジジュースぐびぐびのイウ夫人、瓶ビールちびちびの美弥子夫人の冷たい視線を感じながら、加速度的に自分を失っていく島田、はじめ、そして俺。結局柴田と植原が復活して店にやって来た時には既に一升瓶空っぽ。三人で..アホか!調子づいて一升瓶のおかわりをするアホ連中。今晩のスペシャルゲストうっちゃん(野生の学校の懐かしのお友達内田くん)が登場した時には、もうすっかり「もう一人の自分」に支配されていた面々。はじめがはじめに逃げ帰り、逆によりパワーアップする柴田。「もう一つの世界」が見え始めてきた俺。二本目の一升瓶も空になりゲッ!最後には美弥子さんもあきれて先に帰り、「お勘定!」の声も記憶に無い状態でラーメン屋に突入。大酔っぱらいに侵略占拠されたラーメン屋さん、お気の毒様でした。記憶がとぎれとぎれなもんで、その辺のことは良く分からん。ごめん!

 やっとお開き「さようなら!」。柴田も途中眠りながらも、無事サエちゃんのもとに帰れたようで一安心。内臓関係を酷使した長い一日は終わった。END。

 

「時は流れない、積み重なるのだ」っていうウイスキーのCMがあったけど、そんなことはない。時は確実に流れている。流れ去っている。「し組」の時もどんどん流れて行く。でも思い出の時だけは、その時その時が岩淵水門にせき止められる荒川の流れのように、しっかりと積み重なっている。し組各人の心の中に..そして今、俺は流れて行く。皆と共に流れてきた川から別の川へ。荒川から隅田川へ別れるように。でも流れは変わっても、流れる方向は一緒である。「し組」の流れる方向はいつまでも一緒だ。「みんな!海で逢おう!」..シオノカワデネ..

                                 1997、6月 グッドラック塩川より