1997年(平成9年)2月22日(土)23(日)
〜新潟、石打丸山スキー場〜
し組初!「スキーツアー」の巻 〜柴田組、植原組、島田組、清水組、塩川組〜
今回は清水の企画で、し組初のスキーツアーである。し組と言えばほら、地元は群馬!スキーの萩原選手!スケートの黒岩選手!ウィンタースポーツのメッカ!。我々も幼少の頃からスキーには慣れ親しんでおりましてハイ!ウェーデルンでもヨーデルンでも何でも来いのヨーロレーリッヒ!。と言うのはごく一部の話です。 実は、俺が初めてスキーなるものをやったのは、高校生の時。同級生の竹本に連れられ電車で谷川岳、天神平へ。もちろんスキーウェアも板も持っていなかったので、たしか竹本の父親に貸してもらったような覚えがある。初滑りの出来はというと、これがもう散々たるもので、帰り際竹本に「スキーどうだった?」と聞かれても、もう「スキ、キライ」の問題では無いのだ。「スキー、キライ!」そう、はっきりと「スキーなんて大キライだ〜!二度とやるもんか!」と堅く堅く心に誓った、ハイティーンブギ真っ直中の少年Sなのであった。
それでもその後、就職直前にバイトしていた草津のスキーペンションで二回程、そして今の会社の社員旅行で三回と、元々運動神経だけはなんとか人並み以上の私は(?)年々スキーのレベルも上達し、今では「ハの字」でなら何とか人様の前でも滑れる位になったのだ。(ちっともうまくね〜よ!)
我々の中でスキーが一番上手いのは、間違いなく島田だ。何と言っても中央高校時代、スキー部に在籍していたという筋がね入りである。ここ何年かは滑っていないらしいが、スキーというスポーツは感さえ戻れば何とかなるものである。まあ体力がついていければの話だけど。
初めて見る島田の滑りは確かに見事なもので、スキー板を揃えて右へ左へ「シャッシャッシャッ!」とリズミカルに滑り降りて行く格好は、後ろからケリを入れてやろうかと思うくらい憎たらしいものなのだが、ケリを入れようにも追いつけないのだからしょうがない。こういう時は見て見ぬ振りをするしかないのだ。
その島田も今回はスキー初体験という奥様イウちゃんのコーチ役だったので、思う存分には滑れなかったと思うけど(それでいいのだ)、それにしてもイウちゃんは初滑りのわりには思い切りが良く、なかなかうまいもんだった。(コーチの夫が良かったなんて言わないけどね)。
お次は清水。関東平野のはずれというよりも、ほとんど山のふもとに近い群馬町在住の清水。スキーは毎年何回も行っており、その腕前もなかなかのようである。が、今回は「し組旅行初参加!」の清水家次女「彩香ちゃん」の子守り役、長女「春菜ちゃん」の遊び相手役と、一人何役もこなさなければならない直樹パパは、ウェアも板もバッチリ決めていたけど、スキーどころではなかったようだ。 それは仁美ママも同じことで、結婚して以来数年ぶりというスキーも、今回は帰り際2、3回リフトに乗るのがやっとだった。やっぱり小さい子供がいると大変だな〜と、清水夫妻は良くやってるな〜と、感心したのでありました。
植原夫妻はというと、美佐夫人は昔々?何年も前の事らしいが「ウェアくらいは持っていたワさ」とかで、実際その滑りはなかなかスマートなもので「昔はブイブイ!キャピキャピやってたんだんべえ!」と言いたくなるような腕前であった。
そして肝心の植原夫はと言うと、これがなかなかまたその何て言うかその..それなりの初心者の腕前でしてその..思うようにはいかなかったようです..、ハイ。実際、植原としてはもう十年以上ぶりのスキーとのことで、どうも勝手が違ったようです、ハイ。
植原といえば、二十歳前後、知り合った頃はもう新宿、渋谷のガイドさんよろしく!遊びまわってた奴で(?)清水も俺も「ディスコなんて〜がらじゃなかんべ〜」なんて言いながらも、当時「竹本たかゆき」のそっくりっさんとして「テレビ」にも出演したことがある植原の小判鮫よろしく、くっ付いて遊んでいたワケです(たまにだけどね)。渋谷の「ラスカラ」とか、ふにゃらかうんぬん..。だけど一つ言えるのは、やっぱり小判鮫は小判鮫で、おいしいところはなっ!清水!鮫になりたかったよね。でも、鮫でも小判鮫でもどっちでもいいけど、とにかく植原のおかげで貴重な経験が出来たことは確かです。「またみんなで渋谷に遊びに行ってみるか〜!」なんて先導指揮とれる奴がいたら、あんたはエライ!
そんな植原は、芸能界、特に映画のエキストラとしても頑張っていた時期がありまして、例えばジャッキー.チェン主演の「大福星」という映画では、冒頭のシーンで新宿駅の混雑したホームが映し出されるのだが、そのシーンをよ〜く見ると、カメラの中心に写っているのがナント!ナント!黒いサングラスをかけたキザな男、「ありゃ!植原くんじゃ、あ〜りませんか!」。その後のシーンも植原に解説してもらいながら見て見ると、何度も植原が写っているのだ。驚き!! 他にも武田鉄矢主演の坂本龍馬の映画「RONIN」などにも出演したとかで、そのへんの話を詳しく聞きたい人は、是非植原本人に直接聞いてみて下さいませ。2時間コース、合宿コースお好きな方をお選び下さいませ。
なんかものすごく話がそれちゃったけど、そんな植原は、ローラースケートも大得意でして、いつだったか二人で後楽園の黄色いビルへ滑りに行ったことがあるのだ(この時ナンパ目的だったかどうかは定かでない)。その当時はまだ「スマップ」はもとより「V6」「TOKIO」とはなんぞや?と、「きゃ〜!きゃ〜!光ゲンジ〜!!」「諸星く〜ん!」といった時代であったと思うが、「東京ボンバーズ」は俺達でも知らないのだ。なんてことはど〜でもいいのだ!。
その時、初めて植原の滑りを目のあたりにした俺は「光ゲンジの次はこいつだな!」と、確信したのだが、そんな時、悲劇は起こったのである。「ゆ〜らゆらゆ〜ら」と第一コーナーを気持ち良く滑っていた俺の横を、「びゅ〜っ!」と、まるで「赤城おろし」のようなもの凄い風と共に抜き去って行った奴が、、、!!「おっ!植原だっ!」と思ったその次の瞬間!。第二コーナーを回ったその、「赤城おろし」の前に小さな小さな障害物が立ちはだかったのである。「あっ!アブねえ!!」と叫ぶ間もなく、植原は、前にいた小学校低学年の女の子にぶつかっていったのだ。ところが!ところが!である。普通なら、そのまま「バーン!」とぶつかって、女の子は植原の下敷き、ペシャンコ!となるところを、植原は後ろ向きに身をかがめたその女の子を抱きかかえ、「くるりっ!」と自分が下になるように半転して、自らの背中をスケートリンクへ打ちつけたのである。「うわっ!」と目をつぶった次の瞬間、小学生の女の子はすぐさま起きあがり何もなかったようにまた滑り出した。「ああ、良かった..」と思ったその直後、植原が硬直して痙攣し始めていく姿が目に入ったのである。一瞬、映画のワンシーンのようにあたりは静まりかえり(そんなふうに感じただけかも)、倒れた植原のまわりの人が、一人一人遠ざかって行く。俺はポツンと一人残された植原に駆け寄り、心臓マッサージ、人工呼吸、、というのはウソで、完全に意識を失った植原を係の人と一緒にリングの外に運び、それでもまだなお意識がもうろうとしている植原を事務所の休憩室まで連れていったのである。
10分か20分位だろうか、意識がはっきり戻ったと思われる植原とローラースケート場をあとにした。結局、植原も大事には至らなかったのだけど、「後頭部を強打しているかもしれないから一度医者に看てもらったほうがいいんじゃ?」という俺の心配をよそに、「もう回復したからまた一丁いくか!」という、植原の言葉が恐ろしかったのを覚えているのだ。
話が、話が、、取り返しの付かないくらいそれてしまったけど、そんなローラースケート狂の植原だったけど、斜面の雪の上では勝手が違ったようです。と言いたかっただけなんです。...。
そして、柴田達でありますが、柴田も十年以上前は何度か滑ったことがあるらしいけど、「今回はパス!」とのこと。「宴会のみ参加!」「し組は酒!酒!酒!」と心に決めているようで、もちろんサエちゃんも柴田と一緒で皆とは別行動となったのだ。ちなみにサエちゃんはスキー未体験とのこと。
そして最後に美弥子さんだけど、九州は福岡出身だけにスキーなんてやったことなかんべと思いきや、以外や以外、少なくとも俺より回数だけはこなしているようで、実際「ハの字」でストックまで「ハの字」にして基本姿勢そのままに「ごお〜っ」と豪快に滑る姿には、正直言って驚きました。
..といったスキー歴、レベルみんなバラバラ、のメンバーでの「スキーツアー」。ようやく!ようやく!ここからスタートするワケです。
「こんなのんびり書いていてスキー場までたどり着くんかい?」という疑問は、実に的を得ておりまして、実際行きの高速道路で大渋滞にはまったりして大変なことになるんだけど、、まあ、そのへんのことは本文にて..
(で、本文)
「あれっ!うわ〜!まっ、まずい!メ、メモ書きを無くしてしまった〜!」..非常に困った。俺としたことが、あの時捨てたノートだったのか?いや〜今回の旅行の資料が全部「パア!」である。う〜ん本当に弱った。簡単なメモだけど、あれが無いことには、、しょうがないので、本文これにて終了。「これにて一件落着!」と、遠山の金さんのように桜吹雪で締め括りたい心境だけど、う〜ん、折角だしおおざっぱにでも書いてみるか、、。
2月22日(土)朝5時、塩川組動き出す。島田家にモーニングコールをしてやって出発。車は柴田の割引チケットを使って借りたレンタカー、マツダ「ボンゴ」(ブレンビーではない)前の晩に俺が、池袋のニッポンレンタカーで借りておいたのだ。タイヤチェーンも一緒にね(こ、こいつが問題の、コ、コノー!)ま、その問題は後ほど、、。少々寝不足気味の植原夫妻を乗せ、島田宅へ向かう。
ちなみに今日の「予定」を簡単に説明しておくと、まずレンタルワゴン組の植原組、島田組、塩川組計6名様は、直接「石打丸山スキー場」へ。10時頃着予定。昼頃、自宅から現地直行の清水組と、今晩宿泊の「ラ.ファミーユ」前で待ち合わせ。残る柴田組は、東京に残る。否「スキーはパス!し組は酒!酒!」の柴田達は、夕方頃、宴会会場へ直行するという。まあしかし、これはあくまでも「予定」である。「予定」は「未定」である。ホント!。
旧中山道を島田宅へと向かう。北浦和駅を過ぎ、生協を左折。長い下り坂を下りきったあたりの、1Fにスナック「シロ」が入ったビルだというのだが、「えっと〜?」俺も知らないのだ。ちょっと行き過ぎたようで、Uターン。「おっ、いたいた」しかも早くもスキーウェアでビシッと決めて、板と大きな荷物を持って。「おっ、やる気満々ですなあ!」あまりにもやる気満々なので、気付かぬふりしてもう一度通り過ぎてやろうかと思ったけど、寒そうなので止まってやった。特にタイ出身のイウ夫人は、凍え死ぬんじゃないかと思う程など寒そうだった。「やあ!」これでレンタルワゴン組全員集合。埼大通りを所沢インターへ向かう。
途中、コンビニで朝食を買い込み、美弥子さん手作りおにぎりなんかをほおばりながら、関越道へ向かう。荒川を渡る橋の上から、ちょうど日の出が見られたりして、如々に旅行気分は盛り上がる。「よおし、なかなか気分がいいのだ」。
すんなりと関越道に入った我々は、高速道の渋滞情報を見て、目が点に、目が・に。なんとなんと花園インター(深谷)から前橋インターのもっと先まで、何十キロだったか忘れたけど、とにかく大渋滞。前回草津に行った時のことがよみがえる。あの時はたしか、高速に乗る前から大渋滞で、結局一般道で草津まで行ったんだっけ。でも今回は、関越トンネルをくぐるか、三国峠を越えるかの、山の向こう、お隣の新潟県である。ここから一般道というのはちょっと。「う〜む」。
渋滞が始まる花園インターの手前、嵐山P.A付近で早くも渋滞。「なんで?」こんなに早く渋滞が延びてしまったのか!と思ったら、実は事故渋滞だった。乗用車二台。おそらく脇見運転の追突事故だろう。「いや〜、気をつけよう」。
でも結局すぐに渋滞に巻き込まれ、考えた末、一度花園インターで高速を下りて、前橋か渋川あたりでもう一度乗ろう、ということにした。深谷は仕事で毎月来ている所で裏道も知っているので、運転手の俺がほとんど独断で決めさせてもらいました。「ごめんなさい」と、先にあやまっておこう、、、ハハ。たしかこの時点で午前8時頃だったと思う。
チェーンは積んであるものの、出来ればやっぱり使いたくない。運転は慎重にすればなんとかなるとしても、まともに装着できるか?という方が不安なのだ。それでも雪のある所へ行くワケで、雪山でならしょうがない。でもまさか一般道で、それもやっと深谷を抜け群馬県に入り、まだ境町近辺という上武道路で、、。 いきなり降り出した「雪」は、あっと言う間に降り積もり、道路部分にも薄く積もり出した。「ん、ちょっとやばいかな?」と思い始めた時に、赤信号。ブレーキを踏む時が危ないのは分かっていたので、大分手前からブレーキをかけ、スリップしないように慎重にポンピングブレーキをかけたんだけど、それでも「ボンゴ」はお尻を「プリップリッ」と軽く振り、停止線を無視して横断歩道にどっかと乗った位置で止まった。これはもう限界だ。仕方がない、チェーンを装着するとしましょう。
チェーンにもいろいろなタイプのものがあるけど、今回借りたのは簡単なタイプで、横からカパッとはめるだけのタイプ、の、はずだった。レンタカー屋の人がそう言ってたはずだった。はずだったのに、、。ああ、空けてびっくり玉手箱。我々の目の前に現れたのは、見たこともないゴムのへんてこチェーン。何で前日チェックしておかなかったのか。しかし、「う〜む」と腕を組んでうなっていても始まらない。なんとしてでも取り付けないと、前に進まない。小雪のパラつく中での格闘は10分、20分?。一度失敗して付け直したものの、なんとか成功。
再び走り出したものの、雪によるのろのろ運転&渋滞は延々と続く。時間からして清水達が出発するのと、俺達が前橋あたりを通過するのと、同じくらいの時間ではないかと思われ「それだったら待ち合わせして一緒にいくか〜!」ということで、清水宅に電話して、前橋インター入口で待ち合わせをすることにした。
途中、後輪駆動車の「ボンゴ」は、伊勢崎華蔵寺公園あたりの細い道で、おしりをズリズリ滑らし「ひやっ」とする場面があったりしながらも、雪がやんだのでチェーンを外すことになり、コンビニに止めてついでに小便休憩。
植原の携帯電話で清水家と連絡を取りながら、前橋インターへ。
午前10時半頃だろうか、料金所手前の駐車場で清水家の「レガシー」とようやく合流。「やあ!久しぶり!」。赤羽を出てナント5時間経過でやっとである。「でもまだ午前中だから、、午後はたっぷり滑れるよ!急ごう!急ごう!」と、この場に及んでもまだ楽観的な人々なのだ。でもホントに急ごう!急ごう!。
さて、愛しの関越道に再会し「よおし、行くぞ〜!」と思った途端の大渋滞!「ガ〜ン!」もう一丁「ガ〜ン!」さらに「ガ〜ン!」。のんびり走ろう上州路。なんかもう呪われたかのように「渋滞」にとりつかれる。不吉な予感が..もしやスキーでケガして「重体」なんてことに..?。ギャグもまったく冴えない。
30分程走ってようやく群馬町。清水宅の近所だ。「清水、30分かかって、たった数百メートルしか進んでいねーじゃねーか」と島田。確かに..。
今回は、清水愛用の超高級最新式通信用スーパー玩具「トランシーバー」を使い(ちなみに千円でおつりが来たとか)連絡を取りながら、無駄話しをしながらちょっとずつ、ちょっとずつ進む。
また雪が降り出し「P.A」で再度チェーンを装着。今度はもう慣れたものだ。しかし実は、最初に装着した時にチェーンの一部をタイヤで踏んでしまい、その時に潰れた金具のせいか、伸び縮みがうまくいかない...「しょうがねーか」。
渋滞も「しょうがねーか」。ちなみに「渋滞の高速ではトイレも渋滞」というのは「渋滞の法則」です。
「ガチャガチャガチャ〜!」高速道路チェーン装着運転開始後まもなく、小さな衝撃と同時にイヤ〜な音が..「しょうがねーか」と甘く見ていた、チェーンの不具合が結局大問題だったようである。「こりゃまずい!」。
次の「S.A」でタイヤの内側に見事に絡みついた、そのゴム&鉄の「ゴミ」を取り除き「いや〜、どうしたものだか」と、腕組みをして白い空を仰ぐ人々。「チェーン!カムバック〜!」。ああ、寒い。
仕方が無いので、ガソリンスタンドで、一番安い一般的な「鉄の鎖チェーン」を購入した。ナント、一番安いはずのそのチェーンは「12000円!」も、しやがった。「この、ぼったくり〜!!」と熱くなるところを、「ぼったくり」という言葉は「ぼる」と「ひったくり」から出来ていて、「ぼる」は「むさぼる」の略でありまして(あっているかな〜?)などと考えながら頭の中がこんがらかって、気分が少しは収まった。単純。と同時に、この「鉄の鎖チェーン」代は、レンタカー屋から貰えるだろうか?と心配になった会計係。
確かこの時、午後1時半頃。「3時か4時には滑れるか、否もしかしたら今日は滑れないのでは?」と、とうとう不安になってきた人々。
日本一長い「関越トンネル」の入口でチェーンを外し、出口で4度目のチェーン装着。「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」ホントに正真正銘の「雪国」だった。これでもかこれでもかの「雪国」だった。スキー場はもうすぐなのに、やっと渋滞も解消されてきたというのに、我々を追い返したいかのように、容赦なくドカドカ降り続ける「雪」。フロントガラスに如々に凍り付き、視界もほとんど効かない状態で、前の車のテールランプだけが頼りの危険な走行が続く。
どうにか無事「塩沢石打インター」で下りて「石打丸山スキー場」へ向かう。そう忘れかけていたけど、今回は「スキー」がメインなのだ。そうだそうだ!。
午後4時頃やっとやっと目的地着。赤羽を出てなんとなんと10時間30分の「超長時間ロングロングドライブはGO」「LongLongTimeAgo」??何のこっちゃ?やっぱ疲れてるワ。
「ラ.ファミーユ中角」。リフトの真ん前に建つプチホテル「白銀の世界へ一番のり。ドアを開ければゲレンデ」さすがスキー好きの清水が選んだ宿。しかしスキーには超便利だが、車が停められない。宿の近くで荷物を下ろし、数百メートル離れた所にある駐車場へ車を停めに行く。便利なんだか不便なんだか..。
部屋は和室で、男と女各一部屋ずつ。長時間の運転で疲れきった体を癒すには、まずは風呂!風呂!風呂も男女別々。湯〜ったり。風呂あがりに缶ビールを一本飲んで、6時の夕食タイムまで部屋でくつろぐ。清水は春菜ちゃんとソリで遊び、我々は清水家次女の彩香ちゃんで、否彩香ちゃんと、遊ぶ。ぷちぷちもちもちほっぺでしおかわおじさんにむかってはいはいするあやかちゃんはとってもかわいいのです。おもわずぜんぶひらがなでかいてしまうほどかわいいのです。
さて、宴会参加の柴田組だけど、夕食には間に合うのだろうか。前回、草津の時は、ギリギリ「やあ!」と現れたけど、、と、心配しているところへ柴田から電話が。水上あたりで渋滞にはまったらしく、6時の夕食タイムには間に合わないという。7時過ぎになりそうなので、先に食べていてくれとのこと。ハイ、言われなくても、そうさせてもらいます。
昼間は宿泊客以外のスキー客も利用できる、1階のレストランで夕食。ビールで乾杯!「いやあ、ホントにお疲れさま!疲れたねえドライブ!もうじき柴田も来るだろうから、今晩はゆっくり飲もう!」と、すっかり「し組は酒!酒!」思考になっている俺に対し、「何言ってるんだい!ナイターだよナイター!」と、元気派のその他大勢組。「そうだそうだ!ビールに枝豆、真夏の夜はやっぱりナイター観戦だ!」という俺の話には誰も耳を貸さず、夕食のビールもそこそこに、ナイタースキーの準備にとりかかる皆様。結局、俺がナイタ....。あ〜あ。
ちなみに夕食のほうは、ボリュームはまあまあだったけど(清水は山盛り3杯も4杯も食ってたし)だけど自慢の魚沼米がちょっと、、おそらく炊き方の問題だろうけど、ぬちゃぬちゃの魚沼米にはガッカリでした。
さてさてようやくメインの「スキー!」。しかも「ナイタースキー」である。8時半で終了とのことで、1時間半位しか滑れなかったけど、初のナイタースキーは、ゲレンデもすいていてなかなかGOODでした。スノーボードのばか者達はちょっと邪魔だったけど。レンタルスキー組は、翌日午後1時までのレンタルということにしてもらって、一日料金よりは安く借りられたようだ。
東京ドームの40数倍という広さの「石打丸山」。「ガーラ湯沢」「湯沢高原」も一緒に楽しめるという超大型スキー場。明日の午前中しか滑れないけど、し組スキーツアー参加の皆様、思う存分楽しむとしましょう。
ナイタースキーから戻ると、柴田とサエちゃんも到着していた。夕食も済ませ、サエちゃんは風呂場でのぼせてぶっ倒れているという。くつろいでますなあ。
さてここからが夜の部メインの「お酒」である。柴田が買ってきてくれた日本酒&紹興酒、缶ビールにチューハイ。各自好き勝手に飲みながら、かわきものなどつまみながら、久々の全員酒豪、否全員集合の「宴」は静かに幕を開ける。
し組旅行といえば、今までいくつかの告白が「実は私..脱いだらビールっ腹なんです」なんていうのは無いけど、くっついただ、生まれるだなんのっていう話があった。で、今回は俺達塩川組が、赤羽在住者としては最後の旅行参加になるであろうという告白、発表があったのだ。ほとんどみんな知ってる話ではあるけど、こういう機会に「告白、発表」なんていうところが、バカバカしくも真面目で妙にじ〜んときて、そんな自分がかわいいと、福岡行きを決意した自分を、自分で誉めてあげたいと思ってしまうのだ。そして結局「しめしめ..」とほくそえんでいる妻、美弥子さんを「エライ!」と思ってしまうのだ。
そんな塩川組に、清水から素敵な素敵な懐かしいプレゼントが。それは何かというと、群馬県人なら誰でも知っていて群馬県人以外はほとんど知らない、全国にもあまり例を見ない優れ物であるのに、当の群馬県人はその偉大さに気付いていないというもので、大人から子供までみんなで楽しめて、この大会まで開かれるというものである。小学校で教えるところもあるという。小学生のいる家庭では正月遊びの定番であろう。ここまで書けば、だいたいの群馬県人は分かると思うが、群馬県人以外はまず分からないであろう。「お..太田金山子育て呑龍」「く..草津よいとこ薬のいで湯」そう!「上毛かるた」である。群馬県各地、有名人、名産物などを「かるた」にしたもので、この「上毛かるた」で小学生は字を覚え、群馬県の歴史や地名なども覚えられる。「ち..力合わせる170万」の数字の部分をいくつで覚えているかで、年代が分かるという。ちなみに、この数字は群馬県の人口で、今では200万人を越えた。偉大なる「上毛かるた!」。この「上毛かるた」を持ってきてくれた清水も、実は偉大な奴なのかもしれん!柴田も植原も島田もみんな懐かしがっていた。忘れかけていた大事なものを思い出したようで、嬉しかった。「是非、上毛かるたを福岡で広めてくれ」と清水。それはまず無理だろうけど、でも「かるた」はなかなかいいぞ!と、いつの日か、「し組かるた」なんてものを作れたらいいなあ〜!と発想は膨らむのであった。「し組をかるたでかたる」なんてか〜。うん、これはちょっと考えてみよう。
しかし、これだけ「上毛かるた」を誉めたたえておきながら「よし、みんなで上毛かるたをやろう!」とは誰も言い出さないところ、我々も一応さめた現代っ子なのか、あるいは「かるたより酒!」なのか..それはえっと、つまり「かたるなら酒」ってとこです。
11時をまわり、一人また一人と消えていき、12時をまわると結局いつもの柴田、清水、俺というメンバーだけになり、島田もたった今横になり永遠の眠りについた。さて三者三様に酔っぱらい、部屋に持ち込んだ酒も遂に底をつき、「しょうがね〜、外に飲みに行くか〜!」と誰が言い出しっぺかは忘れたけど、「よっしゃ行くべえ!」と、こういうことは実にまとまりのある人々。
しかし時間はもう1時を過ぎ、しかも外は雪。ゲレンデで一杯というわけにもいかない。居酒屋でもスナックでもいいけど、果たして田舎町でこんな時間にやっているのだろうか?という疑問はシラフだからでこそ湧くのであり、この状況、状態では、三人共全くの単細胞。「しゅっぱつしゅんこ〜!」ってな具合である。 ところが、宿の玄関で気付いたのだけど、俺の靴が無いのだ。レンタルでスキーブーツを借りたので、代わりに俺の靴はレンタル屋で人質、否靴質になっているのだ。そうか、すっかり忘れていた。じゃあ、この暖かそうなスノーシューズにするか、こんな靴があるなんてすっかり忘れていた。あ〜良かった(もちろんこの靴がアカの他人のものであることを、すっかり忘れている酔っぱらいです)。
狭くて暗い雪道を数十メートル下り、石打丸山のメインストリートに出る。元々単なる小さなスキー町で、昼間でもたいして賑わっているという程でもない。温泉街のように飲食店があちこちに、、というわけでもなく、なんとか劇場があるわけでもない。そんな町でこんな時間にふらふら歩いてどうするのか?という疑問はシラフだからでこそ、、ハイ。でも悲しいかな、酔っぱらい三人衆に分かるのは、夜道は暗いということと、雪は冷たい、ということだけであった。
あきらめ悪くウロウロヨタヨタ歩き回り、夢も希望も失いかけた三人衆。そろそろ宿に戻ろうかと思いかけた時、まさにその時、天の声が!。「車で走ろうではないか!車で店を捜そうではないか!」と、柴田の声。一瞬、地獄の声かとも思ったが、飲み屋は無理だとしてもラーメン屋ならきっと、、という最後の望みを天に、否柴田に託し「よし行こう!行こう!」と清水&塩川。
熱燗一転、頭の中熱々ラーメンで一杯になってしまった三人衆の熱い想いは、冷え切っていたであろうエンジンを一気に暖め、凍り付いたワイパーさえもぐいんぐいんと動かす。きっとどこかで待っているであろう、魚沼産こしひかりラーメンの「麺が延びないうちに早くいらっしゃ〜い!」という甘いささやきに心奪われているのだ。うん。「だけど今は、心奪われても、柴田の運転で命を奪われてはいけないのだ!」と、すっかりお酒に脳細胞を奪われてしまった酔っぱらい。
数キロ走ったけど結局愛しのラーメン屋には出逢えず、傷心気分の三人衆は、コンビニの兄ちゃんの「こんな時間じゃどこもやってないヨ!」の一言で、トドメを刺される。「も、戻ろうか、、トホホ、、」。
でも「アコード」くん、コンビニ駐車場の雪壁への後ろ蹴り、交差点での一回転半雪上ワルツ。見事だったよ。アリガト。命守ってくれてホントにアリガト。
宿に戻った三人衆は、三人酒。コンビニで買ったおにぎりなど食いながら、自動販売機で買った缶ビールをしみじみドリンク。やがてコタツにうつぶせになったまま動かなくなってしまった柴田を眺めながら、「いつかは動かなくなるこの体、この頭。動くうちはこき使ってあげなければいかんのだ。」などと人生論じみたことを語ったかどうかは定かでないが、清水も俺もここで力尽きる。
それでも午前三時の雪は力尽きることなく、しんしんと降り積もるのだった。
とっくに日付は変わっているけど、目が覚めて2月23日、日曜日の朝。
「さわやかな日曜〜ふりそそぐ太陽〜オーオーオー、イッツアビューチフルデイ〜!」。さわやかな目覚めというわけにはいかなかったけど、天気だけはいいようだ。朝食を済ませ、午前中いっぱい朝寝、、といきたいところだけど、今回は「スキー」がメイン。エイヤッ!と気合いを入れ、スキーウェアに着替え、チェックアウトを済ませていざ出陣。「さて美弥子さんそろそろ行きますぞ、、あれっ?」見あたらない。さっさと朝スキーに出かけたようだ。は、薄情ものめっ。 島田組もさっさと朝スキーに消え、リフトで上の方へ行ってしまったようだ。清水組はスキーというより雪遊び、ソリで春菜ちゃんと遊ぶ直樹パパと、彩香ちゃんの子守りをする仁美ママ。植原組と、妻に先立たれた俺はスキーもちょっと楽しみながら、春菜ちゃんと遊ぶ直樹パパに付き合う。そして柴田組は、我々より一歩先に出発。得意の単独行動攻撃で、どこかの温泉に寄ってから帰るらしい。帰り道、高速の途中で我々をまちぶせするとかしないとか、、。
そして、来た時と同じメンバーで「レガシー&ボンゴ」は昼過ぎに出発。GSとみやげもの屋に寄って、関越道で帰路に。チェーンを外し、スイスイ流れる上り車線を快適に走る。行きはそれなりに賑やかだった「ボンゴ」の車内も、帰り道はやはりスキー疲れ又は飲み疲れの面々で、静かなものだった。清水の玩具、トランシーバーから聞こえてくる「レガシー」車内の会話が、よく聞き取れる。春菜ちゃんのはしゃぎ声、彩香ちゃんの大音量の泣き声、投げやりの直樹パパ、結構上州かかあ殿下路線モードの仁美ママ。幸せなファミリーの一家団欒を盗み聞きしているようで、なんだか恐縮してしまうのであった。
赤城高原SAで遅い昼食を取るつもりだったけど、あまりにも混雑していたので、みんな適当にやきそばなど食べることにして、そして清水一家とはここで別れることにした。「じゃあね〜!」「ばいなら!」?さてクエスチョン。昔ちょっとだけ流行った「ばいなら!」とは誰のギャグ(?)でしょうか?..答えは赤羽岩淵町、植原宅の近所、朝日屋米店のせがれ、どこに行っちゃったんでしょうね〜の「斉藤清六」でした。
植原夫妻はたまに赤羽で見かけるとかで「清六さ〜ん!」と声を掛けると、「どうもどうも!」とニコニコするとかしないとか。実は俺もだいぶ昔の話だけど、赤羽の喫茶店でバイトしてた時に会ったことがあって、お客さんの清六さんにお冷やを運び注文を聞くと「あめりかん!」と、ちょっとニカッとした笑顔で注文されたのを良く覚えている。その「あめりかん」に砂糖とミルクをたっぷり入れていたかどうかは定かでない。ちなみに赤羽西口の公団には、林家ペー、パー子夫妻が住んでいる。
だからどうしたと言われそうなので話を元に戻して、それでは、みんなで一緒に「清水〜!ば、い、な、ら!」。 半分冗談だと思っていた、柴田組のまちぶせの件だが、本当に「途中のSA(サービスエリア)で落ち合おう」という。植原の携帯電話で連絡が取れたのだ。高坂SAあたりにしようか。柴田組より10分程度の遅れで、俺達「ボンゴ」も着けると思ったのだ。しかし、実際には途中高崎を過ぎてから渋滞にはまり30分以上も待たせてしまった。でもSAで会ったからといってどうするということもないだろうに「なんで待っているのだろう?」..実は、柴田くん、宿の部屋にジャージを忘れておりまして、そのジャージは我々の「ボンゴ」に乗っているのです。「な〜んだ、まぬけだなあ!」ハハ。ん?でもちょっと待てよ、そんなことくらいで、自分達も夕方の渋滞に巻き込まれる危険を犯してまで、待っているだろうか。ジャージなんて今度会った時でいいのだろうし。「も、もしかして、、嫌な予感が、、」。柴田が買ってきた「酒代」まだ精算していないのだ。それを思い出したのだろうか。そうだとしたら、「SAに入り損ねたフリして通り過ぎますかっ!」というわけにもいかず、、結局落ち合う。が、柴田くん「酒代」のことはすっかり忘れているようで、ジャージを受け取り去って行った。「あ〜よかった!」..でもこのこと書いたら、、やべっ!。「忘れて、ばいなら!」
ここまで運転し通しだった俺から、美佐夫人にドライバーチェンジ。外環道を使い、川口駅へ。島田達には申し訳なかったけどレンタカー「ボンゴ」の返却時間のこともあるので、島田達には北浦和駅まで電車を使ってもらうことになった。「お疲れ〜、ばいなら!」
ここまで来れば、もう我が街「赤羽」はすぐそこだ。荒川を渡るだけである。なんだかホッとする122号線、荒川大橋。「それでは植原くん、南山苑で恒例の、お疲れさま焼き肉パーティーといきますか!」といきたいところだけど、時間はもう「ボンゴ」返却時間である午後7時をまわっている。残念だけど、焼き肉はまた今度ということにして、今日はお別れ。「それでは、ばいなら!」
午後8時、無事「ボンゴ」を池袋のニッポンレンタカーに返却。壊れたチェーンの件も、前もって電話連絡しておいたので何の問題もなく、購入したチェーン代は全額出してもらえた。ホッ。「ボンゴくん、ばいなら!」
一人、埼京線で赤羽に戻り、今回の「渋滞克服ドライブ、メインはスキーそれとちょっとだけお酒ネ編」は無事、幕を閉じた。えっ?美弥子さん?ああ、あの人なら、行きの車でも帰りの車でも寝ていたけど、今もきっと家でぐっすり寝ているはずです。そんなもんです。
それでは「し組」のみなさん、お疲れさまでした。来年もまたどこか行きましょう。島田と、韓国あたり行きて〜なあなんて話していたんだけど、それも近い将来実現させよう!それまでには少しはハングルも覚えておくから。今は植原夫人、美佐さんに先を越されているけどね。それから清水くん、今回は宿の手配等ありがとう!
では最後に、みなさん一緒に大きな声で、ハイ!「ば、い、な、ら!!」..「くどい!くどい!くどい!」..でも本場博多のとんこつらーめんはそれほどくどくはないのですと、無理矢理博多の香りを漂わせながら..「ばいならっ」。
1997春 塩川