一昔前のここ赤羽で、数々の愚行伝説を持つ男が帰ってきた。そいつの名は、、、「清水直樹」である。群馬町に戻りマイホームパパに徹していたかどうかは定かでないが、実に7年ぶり?だろうか、浦島太郎のように帰ってきた。
現在小学校の教師を務める清水は、その先生のお勉強とかで、何日間か八王子の方に泊まっていて、その忙しい合間をぬって遊びに来たのだ。
待ち合わせ場所の、赤羽駅東口の改札を出てきた清水は、なかなかオシャレな格好をしていた。おそらく奥さんの趣味であろう。なにせ学生時代の清水の服装といえば、はんてん、どてらにジャージ、または応援団の学生服くらいしか俺の記憶に無いのだから、、。久々に訪れた清水から見た赤羽は、駅前にあった噴水が無くなったりサンメリーのビルが新しくなったりと、当然変わった部分もあるけど、全体としてはやはり赤羽は赤羽で、懐かしいようだった。
ただ残念なことに、今日は柴田が不在だった。またまた日本にいないのだ。しかも何と今回は「北朝鮮」。新聞で取りあげられる程、ちょっとした話題になっった「ピースボート」のツアーに参加しているのだ。米を持って新潟港から船で渡るらしい。まったくあきれるほどに柴田らしい。
ということで、赤羽在住の植原夫妻と塩川夫妻で、今の赤羽をガイドすることになった。ま、ガイドするといっても居酒屋「千曲」で飲んで、カラオケBOXで歌って、ラーメン食べただけだけどね、、、それにしてもとても数年ぶりとは思えない程、夜の赤羽に溶け込んでいた清水だった。
そういえば当時、清水のカラオケの十八番といえば、松田聖子の「赤いスイートピー」で、柴田は井上陽水の「傘がない」を絶唱し、植原は「ダイアナ」を英語で歌ってたっけ。島田はカラオケ嫌いだったけど。一番カラオケ好きだったのは、やっぱり俺かな?。安全地帯、チェッカーズ、中村雅俊、谷村新司etc、、、当時はカラオケBOXなんてものは無く、通信カラオケなんて言葉そのものが無く、レーザーディスク出始めの頃だった。西口のスナック「ニューマックス」や今は無き「らくだ」など、よく通った。どちらの店も、最初は喫茶店「シャノアール」のバイト仲間に連れて行ってもらった店だ。特に「ニューマックス」は、当時まだ8トラック?やカセットテープを使っていて、レーザーディスクは無かったけど、その分新曲がすぐに歌えるのが嬉しかった。二浪目で迎えた成人式の日には、一つ年上の「野生の学校」のドンキーも今日が成人式だって嘘ついて、三千円以上するフルーツの盛り合わせで、ママに祝ってもらったっけ。
なんか話が飛んじゃったけど、清水はこの日、植原家に泊まった。
翌日は、同じメンバーで中華料理「美味香」のランチを食べた。昼間ここで食べるのは初めてだったけど、なかなかいいと思った。というのは、それぞれ別々のコース料理を注文してみんなでつまめば、一品ごとの量は少ないけど、色々な料理を食べることができるのだ。ただ、餃子や焼売など人数分無いものは取り合いだけど、、ラーメンまで分けて食べた。清水もここの味には満足のようだった。ランチビールというのも安上がりで酔えるし。うん、またみんなで来よう。
満腹でもって少々赤くなった我々は、昔、清水が住んでいたアパート(昔の建物はもう無いけど)を見に行って、八王子に戻る清水を赤羽駅で見送った。「たまには遊びに来いよ〜!」
今度、清水が赤羽に遊びに来る時は、俺はもういないかもしれないけど、、、
「いつかまた思い出の赤羽で飲もう!!」