1996年(平成8年)6月15日(土)

  「塩川くん赤羽在住10周年記念!」を兼ねた
  「バーベキュー大会」
の日

  {メンバー/柴田組、植原組、島田組、塩川組、&ビーグル犬のチェリー}

去年7月、青梅のいくさばたでバーベキューをして以来一年ぶり、久々皆で集まってバーベキューをした。荒川河川敷は、10年前と比べると想像もつかない程きれいに整備され、バーベキュー用のかまどまである。

この日は、梅雨の間の晴れ間で、日焼けしそうな程のいい天気だったのだが、幸い人は少なく、二日酔いでフラフラしながら朝早くから場所取りした俺としては少々拍子抜けだった。

食材は、植原車で「Dマート」にて調達し、お昼頃からビールを飲みながらのんびりと焼き始める。やはりバーベキューの基本は炭火で焼き肉?今回は風が無かったせいか、火力が少々弱く焼けるまでに時間がかかったけど、お味の方はバッチリでした。はまぐりを焼き忘れたのと、肉を大分残したのが残念だったけど、焼きかけの肉は、コーポさつき1F庭に平家建てのワン!ルームを構える、ビーグル犬のチェリーが全部たいらげ、焼いてない肉は、翌日植原家での後夜祭で、きっちり皆の胃袋に収まった。(植原組と塩川組だけネ.)

  後片付けをしている時、バーベキューをしている所の写真を撮りたいというおじさんが現れた。我々はもうおしまいだと言うと残念そうにしていたが、ちょうど隣のかまどでバーベキューを始めたばかりの、二十歳前後の若者達の所に移っていった。隣の若者達は、いま時流行の「チビT」などを着こなす男女数人のグループで、年齢的にはちょうど俺達が赤羽に住み始めた頃の年齢だと思うのだが、ヘアースタイル、ファッションセンス、言葉使い、動き!?、どう見ても当時の俺達とは別の人種であると思われ..こんな所で「し組の十年」月日の流れをふと感じたりしたりした...なんか寂しい...。

  このあと、仮眠をとるという植原達とは一時別れ、その他のメンバーは塩川宅、コーポさつきで休憩。

男性陣、柴田、島田、塩川の三人は「ドラえもん風呂」こと「栄湯」へ。9年ぶりだろうか、実に久しぶりである。ほとんど昔のままだと思うけど、大分狭く感じたのは俺だけだったのだろうか..。なんとなく記憶に残っている番台のおばさんは元気そうだったけど、残念なことに、かつてここの主役だった肝心の「ドラえもん」は、どうやら「タケコプター」で飛んでいってしまったようで、ごくありきたりの風景画になっていた。それと料金の方は、当時たしか250円か280円位だったと思うけど、年々値上がりして370円になっていた。

コーポさつきに戻った我々三人は、昼間のビールと湯上がりの気持ち良さとで、エアコンの下でぐったりと横になる。ウトウトしてこのまま眠ってしまいそうだったけど、ここで眠る訳にはいかないのだ。まだ夕方5時前、スペシャルデー夜の部はこれからなのだ。

それと、部屋に残っていた女性陣はというと、島田夫人、タイ出身のイウちゃんが、生まれて初めて着物を着たそうだ。着付け講師一級の腕前を持つ美弥子夫人が「どうや!」と、鼻高々だったかどうかは定かでないが、せっかくなんだから写真を撮ってあげれば良かったのに..と思ったが、良く考えたら「ドラえもん」風呂で写真を撮ろうと、カメラを持ち出していたのはこの俺でした。すまんっ。

インドネシアの踊りの練習がある深崎さんは一人で出かけ、残り5人は「赤羽名所旧跡ぼろアパート訪問お散歩ツアー」に出かける。

最初はすぐ近く「コーポさつき」と同じ志茂5丁目の「筑波荘」へ。ここは俺がこっちへ来て最初の2年間住んでいたアパートだ。6畳和室と3畳ほどのキッチン、トイレ付き風呂なしで、家賃はたしか3万円程だったと思う。1Fは工務店になっている。時々この近くを通るので、特別懐かしいという気はしなかったけど、それにしても古い..

今でもよく食べに来るラーメン屋「大豊」(美弥子夫人いわく、ここのタンメンは日本一うまい!)の前を通り、柴田が住んでいた「山上荘」へ。大家さんが山上商店という駄菓子屋?をやっていたんだけど、今では家を建て替え、お店は無かったが、ジュースの自動販売機があり「ここで
1本!」と柴田くん。                                                   

「山上荘」は「ドラえもん風呂」から徒歩1分の近さだ。学生の頃羨ましかった。部屋は「筑波荘」より若干広く、家賃も少し高かったはずだ。玄関が広く一軒家風の引き戸のガラスサッシだった。
植原が一時、居候していた時期があって、ちょうどその時「野生の学校」の寺口さんからアルバイトの話があり、このアルバイトがきっかけで、植原は消防設備関係の道を歩き始めたのだ。みんなで酒を飲んで泊まったり、誰かが寝ゲロを吐いたり(俺?..)誰かが寝ぼけて台所で小便したり(柴田?..)トイレのドアの鍵が壊れて開かなくなり、わざわざウンコのために「筑波荘」へ来たり、部屋の中をゴキブリが飛んだり、長押の上をねずみがチョロチョロ歩いたりと、思えばいろいろあったもんだ。

2、3軒隣に、玄関の戸が閉まらない程ダンボールやら新聞紙やらでいっぱいの家があり、その中から這い出すように出てきた浮浪者みたいなじい様に「みんなで酒でも飲みに行くのかい?」なんて話しかけられた。気持ちわり〜。しかしそれに受け答えする島田も島田である。

お次は、島田が住んでいたぼろアパートである。七溜商店街の近くなので、少々歩く。途中に「テルメ末広」という、サウナや露天風呂などが付いたおしゃれな銭湯があった。昔はたしか「末広湯」だったかなあ。「ドラえもん風呂」が休みの日など、時々利用していたんだけど、見事な変身ぶりである。

島田が住んでいたぼろアパートは、やはりきれいなアパートに建て替えられていた。当時でも随分古いアパートだったので、予想通りではある。共同玄関、共同便所、共同廊下、そしてその廊下に各部屋一つずつの流しがある。要するに、部屋と台所の間に共同の廊下があるのだ。造りも変わっていたけど、島田の話しでは、住人も相当変わった連中だったようだ。しかし、その中で一番変わっていたのは、実は島田本人であったという事にたぶん本人は気が付いていないだろう。部屋にどろぼうが入ったのに気が付かないっていうのも島田くらいなものだろうし、部屋でお香を焚く奴っていうのもなかなかおりません。

七溜商店街を通り、北本通りを渡り、すずらん通りを赤羽駅方面へ。ごく一部で有名なラーメン屋「めん八」の前で、さりげなく記念撮影!そして時々マスコミにも登場の「らーめん工場」の前を通り(ここのトマトスープラーメンは、お酒のあとに最高!)、餃子も旨いけどラーメンもねの「餃子舗、芙蓉」(美弥子夫人いわく、ここのタンメンは日本一うまい!?)の前を通り、なんかラーメン屋の前ばかり通っているようだけど、実際に赤羽ってラーメン屋が多いのだ。だいぶ前に閉店したけど店と看板は残っている「牛めし屋」の前を通り、ようやく清水が住んでいたアパートに到着。

といっても、以前の建物は取り壊されていて、おそらく大家さん一家が住んでいると思われる一戸建てが建っている。当時、家賃はたしか1万8千円位だっただろうか、「俺の部屋より前にある駐車場の方が高け〜よ!」と清水が言ってたのを覚えている。共同玄関、共同便所、四畳半一間、万年床、鍋兼食器、押入襖取り外し、調味料&レトルト商品入れ兼用冷蔵庫。建物は新しくなったけど、当時、窓があったあたりにちょうど同じように窓があり、遠くから見ると、清水の部屋があるような気がする。           

最後は、植原のアパートだ。赤羽警察署の真ん前にあり、赤羽駅までも徒歩5分もかからないという近さだ。共同玄関で、皆と同じく風呂は付いてなかったけど、間取りは2Kで、部屋が2つあるアパートというのは、し組ではここだけだった。よく2Fの窓から、警察に連行される酔っぱらいどもを見物しながら、酒を飲んだ。今では赤羽警察署も移転して、アパートも建て替えられた。植原が転げ落ちて病院にかつぎ込まれた、思い出?の階段も今はもう無い。

さてさて、1時間程の「お散歩ツアー」を終えた一行は、中華料理の「美味香」へ。読み方はずっとミミカだと思っていたら、実はミミコウであることが最近分かった。まっ、愛称ミミカって事にしておこう。中国人夫妻が経営するこのお店は、赤羽の隠れた名店である。旨いわりに意外とお客が少なめなので、ゆっくり飲み食いできる。ひとくちに中華料理と言ってもいろいろだけど、この店は広東料理と台湾料理の旨いところがミックスされている。なんでも旨いけど中でも水餃子は絶品である。この日は紹興酒のボトルを冷やで相当飲んで、酔っぱらった。  ここでお開きにしておけばいいのに、いつもの悪い癖で「もう一件いくか〜!おお〜っ!」ってな勢いで、すぐ近くの居酒屋「千曲」へなだれ込む。

さてさて、ようやく出て参りました居酒屋「千曲」。その名からも分かるように、マスターの土屋さんは長野県出身で、千曲酒造の「千曲錦」という日本酒のおいしいお店である。かれこれ、この店で飲むようになって3年以上経つ。最初は「ニューマックス」の飲み友達の、ライダーヤッくんとサンちゃんに「赤羽一安くて旨い居酒屋」という事で紹介してもらい、ここの「軟骨」と「鳥皮」と「砂肝」と、そしてマスターの人柄にはまり(?)以来夫婦共々、近所の植原夫妻共々、利用させてもらっている。カウンターと二人掛けのテーブル二つ、それと十人程度で利用できる座敷と、こじんまりとしたお店だが、それ故にマスターと常連客の結びつきは深い?。

それと、このお店に来てもらえればすぐに分かる事だけど、マスターが「ヤクルトスワローズ」の大ファンで、それもそんじょそこらのファンとは訳が違い、神宮球場のボックスシートを持ち、自ら内野席で応援旗を振る、熱狂的なスワローズ応援団なのだ。今シーズンも何度か神宮球場に連れていってもらい、一緒に応援したけど、残念ながら2年連続の優勝は逃した。ちなみに去年優勝した時は、なんと「樽酒」無料飲み放題だっただけになお更残念である。来年は、なんとしてもチャンピオンフラッグを奪回してほしいものだ。マスターは気付いてないかもしれないけど、スワローズが負けると、お客の方が気を使うのだ。

このお店のことを細かく書くときりがないので、この辺で終わりにしておくけど、ひとつだけ書き加えておく。なんとこの「千曲」で、ナポレオンのボトルをキープし、うな丼を食うという食の達人がいるのだ!その人の名は、、、。あ、そうそう、俺たちの結婚式の二次会の後「スパイシー」で飲んだ後最後にたどり着いたのも、ここ「千曲」だったっけ。 あ、そうそう、その人の名は、、、知る人ぞ知る植原くん。自称洋酒党の彼だったのだ。いつも、「純」や「樹氷」をちびちび飲んでいる俺からみたら、うらやましい限りである。俺が時々酔っぱらって焼酎を飲むふりをして、ナポレオンを飲んでいるということは、ここでは内緒にしておこう。

どうして、お店やマスターのことばかり説明しているのかというと、それは、「美味香」で紹興酒を飲み過ぎたため、その後の記憶がほとんど無いのだ。ハハ。