あとがきのあとがき...

..と、まあ振り返ってみると随分あちこち行ったんだな〜と、感慨深くなる。 「十年ひと昔」って言うけど、し組もその「ひと昔」を過ごして来た訳で、ひと昔分の思い出が刻み込まれた訳である。赤羽全員集合時代を簡単に振り返ってみると、、、

1986年、まず最初柴田が「山上荘」へ、続いて俺が「筑波荘」へ。基盤を作る。この二つのアパートは、今もなおしぶとく残っている。その後、小岩方面にいた清水と植原も引っ越して来て、島田も群馬から出て来て、赤羽全員集合黄金時代を過ごした訳だ。

なにしろ十年が経過しているので、その頃の赤羽とは随分と様変わりしている。
歴史的建造物「旧岩淵水門」の辺りもきれいに整備され、水門自体も塗装し直された。水門の上で酒を飲み、警官に追いかけられたあの頃とは別の場所のようだ。他にも、赤羽警察署は移動し、忠実屋はDマートに変わり、西友からEPOに変わったビルは、METSという名でレンタルビデオと本屋が入り、西口は再開発で以前とは全く別の街のようで、イトーヨーカ堂が出来、もうじき赤羽駅は高架になり東口と西口がつながる。ラーメンゴールドはコンビニに変わり、ニューマックスは経営者が変わり、ザ.プライスは酒のサリに変わり、らくだはインド料理の店に変わり、おいしかったお好み焼きの夕子は無くなり、変わりにもっとおいしい味仙に行くようになり、Aトレインは居酒屋に変わり、駅前のサンメリーや喫茶店梅の木は新しいビルになり、ドラえもん風呂はそのままだが隣の酒屋はきれいになり、開店半額の時何日も通った居酒屋大都会は無くなり、弁当屋デリカぱくぱくはボヤで燃えてリサイクルの店になり、サンチェーンはローソンになり、セブンイレブンやファミリーマートも新しく出来、あちこちにパーク24が出来、地下鉄南北線が開通し、俺達が上京した年に開通した埼京線は恵比寿まで延びた。
そして居酒屋千曲や美味香の常連客となる..なんのこっちゃ?。いろいろ挙げたらきりがない。なにしろみんなの住所や環境だってそれぞれ変わっているのだから。ちなみに清水と植原のアパートは今はもうない。

 

  それぞれ個人個人はというと..

まず柴田は練馬で福祉関係の公務員になり、豊島園のすぐ近くに住んでいる。相変わらず海外旅行通で、旅行業取り扱い主任者の資格を取った程である。自転車で電柱に激突して骨折、入院という体を張ったギャグでみんなを笑わせてくれたりする。清水は故郷群馬町に戻り印刷会社に勤務、そしてなんと家を建て、女房子供を養うマイホームパパである。島田は環境調査の仕事を自営し、つい最近タイで結婚式を挙げた。植原は何度か引っ越しを繰り返し、現在赤羽岩淵町在住。防災エイジェントの代表を務める。そして俺はというと、志茂一丁目に五年半住み、現在は岩淵水門のすぐ近くに住んでいる(部屋から見えるよ)アルバイト時代から縁のあるキンカ堂グループで真面目に働いているのだ。

結局、今赤羽に住んでいるのは植原夫妻と、塩川夫妻だけになってしまった。以前と比べると寂しい限りだけど、とりあえず今のところ、赤羽を守り続けているので、いつでも遊びに来てくださいな。グルメの植原夫妻と共に、おいしい店にご招待致します。

これから先も、年に一度位はみんなで旅行でもしたいものだし、家族ぐるみのおつきあいを末永く続けていきたいものである。十年後、二十年後どうなっているのか想像もつかないし、自分自身近い将来、大きな動きがある可能性もあるし、ホント先のことは分からないけれど、何があろうと..

    「し組は永遠に不滅です」といきたいものである。

                               〜  ’96春 桜の花咲く岩淵水門脇より


 追加..

1996年、ゴールデンウイーク。一戸建ての清水宅を訪問した。メンバーは柴田、植原夫妻、新婚の島田夫妻(初登場の奥さん)、そして俺達、塩川夫妻。  道の確認のため、清水の実家の前にあるコンビニで清水へ電話をしている時、偶然、清水のおふくろさんと出会った。相変わらず元気そうだった。

  そして、清水家に次女の彩香ちゃんが誕生したことと、なんと清水が転職して、現在小学校の先生をしていることを付け加えておく。
                                     とりあえず今、1996年5月。

                                      まだまだ続く......