「し組」の生い立ちと、ある年の年末のお話しです。・
「はかたより」(その6)の「し組」部分を抜粋・・・
「し組」で〜す!
群馬で〜す。高校卒業が自分出発のスタート地点だったとしたら、尾崎豊風に「支配からの卒業」だったとしたら「し組」はまさにその原点である。この「はかたより」も「し組通信」の延長上にあるものだし、「し組通信」は、し組の「ドライブ報告書」からの続きである。元はといえば、学生時代に島田のアパートで、野生の学校のメンバーでもあった山田興作氏の書いた小冊子「新奥の細道」(ドライブの事が書いてあったと思う)を見たのがきっかけだった。パソコンを購入したのも「し組通信」を書くためにワープロを買おうかと思ったのがきっかけだった。ちょうどその頃パソコンを購入した柴田に触発されたことも大きい。 で、ついでなので、し組の生い立ちについてちょっと触れておきたい。
群馬英数学舘、私文A組、ソフトボール大会、これが「し組」結成のキーワード。ソフトボール大会の打ち上げ、その後、伊勢崎での飲み会。この時みんなの名字が「し」の字で始まることに気付く。しみず、しまだ、しばた、しおかわ。その後東京で柴田の友人だった植原も加わり、野生の学校等も絡んできて、交友関係は大きく広がっていったけど、基本はここ群馬から。
柴田と俺は高校時代2年間同じクラスで、席順も「し」で始まる者同士、俺が前で柴田が後。でも当時は共通の友人はいたものの、よそよそしい会話を交わす程度の仲だった。予備校で再会したのがホント何かの縁。ついでに言っておくと、柴田も俺も高校に対して愛校心なんてものは無い。柴田について言えば、担任の教師と会わず、結局高校にも見切りを付けて、高2が終わった時点で遂に退学してしまった。高3の始業式の日、担任教師が「実は柴田が学校を辞めました..」と発表するまで全くその事を知らず、柴田と親しかった奴に聞いても知らないという。「柴田がフッと消えた..」俺は勝手に想像し、てっきりミュージシャンでも目指し、東京へ行ったのだとばかり思っていた。それが予備校の入学式で再会するとは、縁とは不思議なものだ。聞いてみれば高校自主退学後、行方不明者柴田少年はバイクであちこち旅してみたり、各方面の人々と交流を持ったり、大学受験の資格を取るため「大検」に挑戦、見事合格したりと、平凡高校生には真似の出来ない貴重な経験を積んでいたのだった。
その頃の俺はといえば、地元進学高であるその校風や担任教師にも馴染めず(今思えば自閉的だった俺自身の性格によるところも大きいかもしれないけど)かといって柴田のように学校を辞めるなんて事は思いもよらず、ただ単に目標も無いながら「東京の大学へ行きたい」とそれだけを考え、かといって受験勉強のみにのめり込むのも空しく思い、オタクとまでは行かないまでも自分の個人的趣味の中でのみ自分を出すという暗〜い青春時代を過ごしていたのだ。(今と変わらなかったりして..)
そして同じ群馬県内で清水少年は柔道部で、島田少年はスキー部でと、それぞれ群馬県内別々の高校でインチキスポーツマンを気取った青春時代を過ごし、「し組」結成となった予備校で出会ったというワケ。
それで話は今年の忘年会。しかし柴田は念願叶ってのミャンマー行きのため欠席。まったくいつものことながら柴田らしい。以前に一度ミャンマー行きを決めていた事があったのだけど、その時は飲んだ帰り道に自転車で電柱に激突→腕を骨折→入院!という事故で計画断念。そういえば高校時代にも、自転車でがけから転落してケガ→通院!という過去を持つ柴田。どうも自転車を使った体を張ったギャグが得意技、持ち芸のようである。で、植原も仕事で欠席。ちなみに植原は昔、自宅アパート2階窓から転落→入院→脱走!という輝かしい歴史や、自宅アパート2階階段から転落→救急車→入院!などなど決して他人の追随を許さない珍記録を併せ持つツワモノである。結局転落暦の無い(受験は別ね)清水、島田、塩川での、ちょっぴり寂しめながらも「原点」を意識させられる忘年会となったのだ。しかも場所は伊勢崎。島田の地元だ。
とりあえず「くれよんぐー」島田母が経営する子供服専門店兼自宅、要するに島田の実家にて待ち合わせ。俺と美弥子さんが駆けつけた時には、既に清水も到着しており、島田&イウ夫人と共に日本酒でチビリチビリ飲り始めていた。「フライングだぞオイッ!」。しかも俺が着くや否や「ああ腹減った〜!寿司寿司!回転回転!買ってきてくれや!」と島田。「ハイよっ!」と簡単に引き受け買い出しに出掛ける俺は、使いっぱかいな。しかも車で走ること数キロ、目当ての回転寿司屋はファミりーレストランに乗っ取られており「やられた〜!くそっ」仕方がないのでコンビニで普段は絶対に買わない「助六寿司」なんぞを買い込む。
「やあ!」「おう!」「おっ!」半年振りだろうが半世紀ぶりだろうが「し組」の挨拶なんてこんなもんです。清水は女房子供を捨て、否捨てられ、否自宅に置いて、単身伊勢崎入り。着替えはもとより枕ふとんまで(?)持参。一人身パパは気合いが違う!「さ、行こうぜ!」(どこに?)てな具合。一方コタツで丸くなり、テレビとイウ夫人に釘付けのぐうたら島田は腰が重い。そして俺はというと、助六なんていうインチキ寿司で納得がいくワケがない。だいたい「おいなりさん」を「いなり寿司」なんて言うな!「おいなりさんはおいなりさん!」ドン!と、いきなりの冷や酒コップ2、3杯で多少勢いも出てきたところ。
で、とにかく外で羽根を伸ばしたい清水と、ど近場で済ませたい島田と、まともなつまみで飲みたい俺と、ど〜でもいいイウ夫人と美弥子夫人と、てんでバラバラな皆の意見を取りまとめ「隣んちで飲むべえ!」ということに。島田宅の数軒となり「弥生」島田の同級生が店長を務める「魚屋さんの居酒屋」。道路を挟んで向かいに魚屋があり(同じ店)そこから新鮮な魚を直仕入れ。福岡の旨い魚に慣れてしまった俺の舌も、ここの刺身には満足。基本的に魚がまずい「海無し県群馬」にあって、どこから仕入れているのかと思うほど(前の魚屋だってば!)マグロもホタテも刺身はみんな旨かった。ただ何でもバクバク食ってしまう清水にはチトもったいないと思ったけど。「学生時代と変わんねえ〜なあ!」。
そういえばこの清水という男、出会って間も無い頃のこんなエピソードがある。一緒に居酒屋で飲んだ時の話。隣の席で飲んでいた団体客が帰るや否や、店員が片付けに来るより早く、その団体客がいた隣の席に飛んでいく清水。「なんだあ?」とその清水を追った視線の先には、バクバクバクバク!大和田獏!忘れ去られた野沢直子!ではなくこちらは清水の直ちゃん。残った刺身やら焼き鳥やら素早く「食う!」やるねえ!ひたすら食う!「ほれ!食えや!」なんと俺達の分まで確保してくれる優しい男だった。ついでに帰り際、調味料やらグラスやら隠して持ち帰って..おっと、これはヤバイ!俺も同罪だったりして..
二軒目はお決まりのカラオケ。身重のイウ夫人は先に帰り..アッ!しまった..これ部分的に内緒だったっけ?いいよね?めでたい話だもんね。清水に続いて島田も今年の夏前にはパパになる。否パパというよりやっぱり「お父ちゃん」だな、島田の場合。タイ出身のイウ夫人の子供だったら、きっと彫りの深いハーフ独特の顔立ちをした可愛い子供になるだろうなあと、勝手に想像すると同時に、間違っても島田にウリふたつなんて悲しい運命を背負ってしまうことが無いようにと「し組」メンバーとしては願わずにはいられないのである。
で、二軒目のカラオケ。そういえば学生時代、島田は頑なにカラオケを拒んでいたっけ。イウ夫人に連れられ、渋々カラオケ行ったのは最近のことだもんな。清水とは男二人でカラオケボックス行ったなんつー悲しい過去もあるけどね。昔の友達と一緒だとどうしても古い歌中心になる。198□年メドレーとかね。
そして仕上げはやっぱりラーメン。なんでこんな場所に?と思うような駐車場の一角に屋台ラーメン。のれんをくぐったのは最後まで残った清水と塩川夫妻。実は隠れとんこつ党だったという清水がニヤリ。ここの屋台のラーメンはとんこつ専門だったのだ。ほう!群馬のラーメンとしては珍しい。俺はさっぽろ味噌党なので元々味噌ラーメンにはチトウルサイのだが、福岡で暮らすようになり最近ではとんこつラーメンについても物言える位に成長しているのだ。福岡のラーメン屋は九割九分とんこつ味なのであ〜る。本場博多のとんこつラーメンを食べ歩いている俺の舌を満足させることが、果たして出来るのか?ま、ここはお手並み拝見といきますか。俺達と同年代と思われる、ちょっと頼りなさそうなマスターの腕前をチラチラ盗み見しつつ、改めてビールで乾杯!しかしちょいと遅いのが気になる。麺がのびる..スープが冷める..酔いが回る..「はい!お待ち!」「はい!待ちました」スープをずずっとひとくち、麺をずるずるっとふたくち。美弥子さんと目を合わせてみくち。一度箸を置き小声で悪くち。「う〜っ!ゆ、許せんっ!!こげんラーメンば、とんこつやなかろうもん!」麺はふにゃふにゃ、さらにスープはぬるくてコクもない。「なあ清水!」と同意を求めようと思ったら「おにいさん替え玉!」だってさ「やっぱとんこつは替え玉だよな!」だってさ。どうやら一人で御満悦の様子。この人どうやら何でもかんでもいけるくち。
と、まあこんな風に久しぶりの伊勢崎での「し組」忘年会はお開きとなった。相変わらず無神経の島田と、塩川家の状況(妻の性格)を全く理解していない清水のヒヤヒヤ発言に、妻の顔色を伺いながら酒を飲むのは、はっきり言って疲れたワ。その上「私がいて邪魔して悪うございましたあ!」なんて最後に妻の捨て台詞。オイオイ!「いったい俺はど〜すりゃいいんだい!?」(私は運転手!..妻ヨリ.)
「し組」としては「年に一度くらいはみんなで旅行に行こう!」というスローガンを掲げているので、なんとか夏休み頃にでもまた計画したいところ。前回(去年)のスキーツアーからもう一年経ってしまったものね。(つづく..)
次の日は高崎へ行き、永田さんと一緒に大沢先生宅におじゃまして、昼間からまた飲んだ。そして実家でまた飲み、年が明けて新年の挨拶回りで、親戚の家でまた飲む。それにしてもこれだけ連日連夜の酒攻撃にやられてしまっては、胃薬を大量投入してもあまり効果はない。覚悟はしていたものの、さすがに辛かった。 滅多に胃の痛みなど感じない俺だけど、久しぶりにお会いした懐かしいような痛み。しかも寝ている間にやってくるから質が悪い。眠い目をこすりながらも「うう!」と起きてお迎えするしかない。「シクシク..」泣いているワケではない。胃の痛みだ。腹痛と違ってじんわりとやわらかな、遠慮がちで引込み思案な胃痛くん。「はっきりせい!」と怒ったところで「シクシク..」胃痛くんの態度に変わりはない。そうかそっちがそういう態度ならこっちだって「あれえ?痛て〜んだか痛くね〜んだか?よく分かんね〜んさ!」と、ごまかすしかない。20代に池ブクロで胃ブクロを酷使したツケかあ?なんてギャグもハッキリしない。そして胃痛くんが帰ったのかどうか良く分からないうちに、いつのまにかまた眠りに就いている。今後あまり会いたくないヤツだけど、きっとそのうちまた現れるんだろうな〜。イヤだなあ。くれぐれも親分肌の肝臓くんが怒り出さないようにしないとネ。
「し組通信」でも書いたけど「のんべえは 大事にしなきゃ 胃肝臓」..?
最近改めてそんな心境。酒は体力!!しかしまあ、酒、酒、酒「何でそんなに飲むのか?」下戸の人は絶対に理解できないだろうなあ。その弁解否自己正当化の答弁として某新聞の一文を拝借。「アルコールのまたの名はスピリット。魂や精神を呼び起こす触媒である」。要するに俺の場合も、自分自身の心の奥底に眠っている魂を呼び起こしたいと、いつでも最も自分らしくありたいと、そう強く思う気持ちがアルコールへと導いているのではないかと、推論できるワケでアール。そして、こうして書きながらも焼酎をチビチビやってるのでアール。ぐびっ..