「しおちゃんのひとりごと」がいっぱい・・・
(2003/11/9)「引越し」
いよいよ明日、引越し。奥さんと子供を連れて17年半ぶりの帰郷。
何度目の引越しだろう・・・
思い起こせば20歳になる月に、父親と亡くなった叔父さん2台の軽トラックで
赤羽のアパートへ引越ししたのが始まりだった
東京へ向かう122号線、あの日のことを昨日の事のように覚えている

それから同じ赤羽で2度の引越し・・
学生から社会人へ、結婚もして、懐かしい思い出一杯の街、赤羽・・

4度目は福岡(大野城)へ、5度目は福岡市南区へ・・
仕事中心の生活ながら、近所の居酒屋さんや常連客に親切にしてもらい
博多の人情深さにふれた。福岡在住6年半の間に子供も生まれた
今後もずっと大事にお付き合いしたい大好きな街だ・・

6度目で現在の さいたま市(関東Uターン)
そして今回、7度目・・7度目かあ〜! 8度目は何処へ? なんて
今から考えてしまったりして・・

新しい仕事に早く慣れて、生活を安定させなければ・・
視野を広く頭は柔軟に・・今までの経験を無駄にしないように
ガンバリマショ!っと!!

(2003/10/20)「さらば痛勤人生2」
「じゃあ行って来るね!」奥さんに抱っこされた1才7ヶ月の息子が「バイバーイ!」と元気よく手を振る
ずいぶんハッキリ言えるようになったなあ、成長したもんだ・・出勤最後の朝、自宅玄関にて
スーツだけではちょっと肌寒く感じるようになったこの頃、つい先日までの残暑が懐かしい
いつものように携帯ラジオでFM79.5を聞きながら南Y野駅へ向かう

別にサラリーマン人生に幕を下ろす訳じゃあないし、感慨深いということもないけど・・
でも駅ホームから久々に眺める、雪化粧の富士山を見つめ、ちょっぴりセンチな気分・・
埼京線は高架線で眺めが良いのが好きだ。今日は日曜日、ゆったり座って富士山を眺める
途中、赤羽駅で高崎線(宇都宮線)に乗り換え。京浜東北線ではない、こだわりがある
ホームから懐かしい赤羽東口駅前の風景、自由の女神も健在である

上野駅でまた乗り換え、今朝は余裕を持って自宅を出た、理由があるのだ
それは・・久々に「立ち食いそば」で一杯食おうと思ったのだ。お目当ての店があるわけじゃあ
ないけど、しかし!メニューにはゆずれないこだわりがある!!

『コロッケそば』 これぞB級グルメの最高峰、懐かしの一品
予備校時代、大澤先生に教えてもらった(授業中)東京・新宿駅にあるという「コロッケそば」なる
魅惑の一品。上京した頃を思い出す。なんてーこたあない!かけそばの上にただ
コロッケがのっているだけ。ただ食い方には流儀がある。上品にコロッケを味わい
麺をすする・・なんてダメダメ!コロッケは最初からグチャグチャにかき混ぜるべし!
そう、石焼きビビンバよろしくである。コロッケそのものは揚げたて衣サクサクなんて
もってのほか!古い油で揚げ置き、厚い衣で良し!でなきゃダメ!
固くなったコロッケの具が、熱い汁の中でじわ〜っと溶け出すくらいで丁度良い
関東風真っ黒スープの中でコロッケの衣と具とそば麺との優しい融合・・
「ずるずるっ!」ん〜っ!なんて美味!!ネギや唐辛子の脇役軍の活躍も嬉しい
今日だけは水を飲まずに食後の余韻まで楽しんでしまった・・・
つい熱くなってしまったけど・・「コロッケそば」は立ち食いそばのホームラン王なのだ!!

で、まだ通勤途中。最近の上野駅は嬉しく進化しており、朝8時から本屋が開店(改札内!)
ちょっと立ち読みしながら食後の休憩。で、山の手線で一駅の御徒町駅へ
ここでまた乗り換え。今日は浅草(蔵前)に出勤なのだ。地下鉄大江戸線にて・・

そして無事にお勤めを終えた僕は、さいたまへの家路を急ぐ・・・
でも、本当は密かに考えていた事があって・・仕事場から徒歩10分程度の場所に
「並木藪蕎麦」があるので、杉浦ひな子さん流に熱燗一本、出し巻き卵などつまみ、
もり蕎麦一枚、さっ!とたぐって「お勘定!」江戸っ子風に決める。一人祝いをやるか・・
なんて。えっ?何のって最後の出勤、6年ちょっとのお勤めゴクローって奴だ

でも携帯の待ち受け画面でニコニコ(^o^)丿顔の息子の顔を見たら・・
気が付いたら北W駅まで奥さんと息子を迎えに呼んでいた・・
そうそう!帰宅したら、赤飯に刺身に・・ビールに日本酒に・・「お勤めお疲れさま!」
「乾杯〜!」って感じの食卓が用意されて・・いる・・なんてことはなく・・・
帰宅途中に自分で買った缶ビールとチューハイ、日本酒で、
一人静かにチビリチビリと・・・「ひとつの区切り酒」

今週から米国旅行でリフレッシュ、次への準備を考えながら、のんびりしてきます
帰国してからは、17年半ぶりの帰郷、引越し等でバタバタすると思うし・・
その後はHPもリニューアルしたいし、「からっ風通信」なんてダサダサだけど
何かタイトル考えて、新しい発信もしていくつもり・・
乞うご期待!! ってことで 「行って来るね!」「バイバーイ!」
(と元気よく手を振る)


(2003/10/18)「さらば痛勤人生」
東京へUターンして約10ヶ月、東京ってこんなにも電車・人身事故や交通事故が多かったかと改めて驚く
電車に乗れば「○○線××駅にて人身事故のため・・」なんてアナウンスが流れ
車で1時間も移動すれば、どこかで追突事故または救急車が現場へ向かう
「通勤」途中に色んな事件事故に遭遇する 「明日はわが身・・・」
まさに大都会「痛勤」サバイバル! 

例えば、ここ数ヶ月で実際に遭遇した事故現場など・・・
とある夜の渋谷駅あたり埼京線車内にて「○○駅にて人身事故のため・・」との停車アナウンス
「またかよ・・」しかも酔っ払いギュウギュウ詰めのこんな時に。1本でも遅れがでると滅茶苦茶な混雑に
なる。ところで「○○駅」は帰宅途中の駅。運転再開でその駅に着くと、まさに人身事故後の処理中。
ホーム上には布かビニールのような物で巻かれた(恐らく)死体、立ち入り禁止のロープ、
デッキ掃除の駅員。「痛勤」地獄犠牲者1名、脱落・・そんな風に感じた。ザ・サバイバル・・・

別の晩、新宿駅ホームでは茶髪の若者がスーツ姿の酔っ払いオヤジの頭に無表情で拳を
振り落とす。何度も殴り続ける若者、頭から血を流し抵抗しようとする弱者のオヤジ。
電車内では別の酔っ払いベロベロ中年が座ったまま寝ゲロを吐き出す・・
そして別の晩、東京駅あたり山の手線車内にて、30前後の女性が電車を降りようとする中年男性に
後ろから蹴りを入れる「ざけんなよ!!」振り返り「なんだこの野郎!」と反論する中年男性だが、
ロレツが回っていない。痴漢行為を仕掛けた相手がまずかった・・というか自業自得。

「すべてが狂っていく、皆が病んでいく、その事に気づかずに都会に慣らされ呑み込まれる・・」

日曜出勤の朝、南Y野駅近くにて、一台の乗用車が電柱に激突、民家外壁まで破壊し、幅員3メートル
ほど道路を真横にふさぐ形で止まっている。それでも前後に動かそうとする運転手・・事故直後だ。
「運転手さん車降りて!ボンネットから煙出てるよ!」と駆けつけた警察官
運転席から降りたその運転手は、ひたいから血を流し、意識がもうろうとしているのかフラフラに
なりながら路上にへたり込む。茶髪のサーファー野郎風・・
横で「お巡りさん電柱倒れるよ!」と必死に電柱を抑えるサラリーマン2人、その横でうずくまる
被害者らしき男性・・その脇を通り過ぎる「痛勤」途中の俺・・・

「災害は誰の身にも降りかかる・・不運?運命?」それって確率の問題??
無抵抗に流される君、逃げるが勝ちの君、自分の道を突き進む君

「超満員電車」に「交通大渋滞」
「痛勤」よ「東京勤務」よ「さようなら!!」


(2003/10/07)「東へ西への秋」
先日、福岡から元同僚(先輩?)の人が母子で遊びに来て、東京ディズニーシーへ遊びに行ってきました。
息子さんがうちの子と同じ月生まれの同級生なのです。(幼なじみってことになるのかな?)で、その日が
また猛烈に暑い日で、平日なのに人は多いしで、散々な目に会いました。熱射病?熱中症?
そんな状態でフラフラになりながら、二人の母親の力強さにタジタジになりながらついて回りました。
ビデオ片手に・・・翌日、眼球が痛かった・・そんな疲れの残り方初めてでございました。

さてさて・・正式に発表しときます!10月いっぱいで6年勤めた会社を辞めます。で、11月に太田へ引越し、
新しい会社でのお仕事と・・なっから忙しくなりそうです・・・っていうか、今すでに忙しいです。
退職が決まってからというもの、鹿児島・福岡へと週末毎に出張で出かけ、平日はきっちり休みをもらって
太田を往復。転職・引越し・諸手続きの準備などなど・・その合間に親しい人への挨拶?
まあいつものようにただ飲むだけだけど、高崎にも出かけました。
さらに今月末は米国西海岸のモントレーに2週間ほど旅行してきます!そんな状況でスケジュールも
埋まってきてますので、東京でお会いできるお世話になった方々、是非ご連絡お持ちしておりますデス!

(2003/08/28)「・・・」

最近、全然更新してなくて・・・面白くなくてゴメンナサイ・・・
「もうちょっと お待ち下さい」
なっから面白い発表ができるかも・・・???

(2003/07/16)「梅雨明け前に・・」
いつものことながら仕事中心の毎日に流され、片道2時間の遠距離通勤で疲れてます・・・
しかしそれでも少しずつ次のステージへの移行準備中・・かな?

先日、大学時代の野球サークルの先輩「虎さん」の結婚披露宴に出席させてもらって、
十数年ぶりに別の先輩ニ人にもお会いした。故郷・名古屋と三重からそれぞれ日帰りで
出てこられたとの事。当時サークル主将の伊藤さんはすっかり「さもんほうさく」と化してたけど、
当時の思い出話しを小学校教師らしく長々と、ユーモアを交えてスピーチされた。
懐かしい気持ちでいっぱいになった。当時、酒の席での話しだけど、伊藤さんの話しで
今でもしっかり覚えていて心に残っている話しがあって、その事を当の本人に話してみた。
「いい事言われるなあ〜って、覚えてる話しがあるんですよ、あ、真面目な話しですよ」
「俺はいつでも真面目だがね〜ガハハハ・・・」と名古屋弁の伊藤さん
「孝行したい時に親はなし・・って話し・・」「ほう!?」
「では親から受けた愛情をどう恩返しするのか・・それは自分の子供に愛情を注ぐことで、
親からの愛情を引き継ぐことで、親への恩返しにもなるんじゃないか・・・って話しですよ」
「おう、それ覚えとるで〜」と二児の父、伊藤さんは目を細める・・・ん?そのまま?
そんな話しができたのも嬉しかった。
もう一人の先輩、森下さんは昔のように無口だけど、お酒が入ると真っ赤な顔して
陽気になって、カラオケがあったらマイク離さないタイプで昔と変わらずだった。
「虎さん、子供作るなら早い方がいいっすよ、もう若くないんだし〜!」

その数日後、日帰りで奈良まで行って来た。うちの奥さんが下の妹に会いに行く付き添い・・・
妹、日奈子さんは二児の母、要するに夕馬のいとこがいるわけ、奈良に。
男の子二人、夕馬が真ん中、まさにダンゴ三兄弟。武丸と武寅!トラの字は違うけど、
先日結婚した先輩と、珍しい名前で同名。「マル!トラ!」って呼んでるらしい。
その「マル」はメチャクチャやんちゃで、奈良公園では鹿と一緒に走り回ってた・・・
その「マルとトラ」を抱えてお腹の中に三人目の日奈子さん・・・母は強し!って言うけど、
恐れいりました!ちなみに夕馬は武丸に二回程突き飛ばされて二回泣いた。
仕事で忙しい「マルトラのパパ」(ウルトラマン父みたいになるなあ)と
会えなかったのが残念・・・また今度!

奈良へは京都経由、新幹線「のぞみ」で往復したんだけど、それでも片道
ドアツードアで5時間位かな?日帰りの距離じゃあねえです!!

夕馬は電車に興味があるらしく、移動中「アー!アー!」って指を指して見てた。
今まで見たこともないような、思いっきりの笑顔をふりまいて目を輝かしてた。
それ以来、電車を見ると「アーアー!」言ってる。
今日も京浜東北線を見せてたら札幌からの「北斗星」が通って、嬉しそうに見てた。
18日〜の北海道旅行で飛行機に乗るので、
今度は飛行機に「アーアー!」って言うんだろうな、きっと。

(2003/06/03)「今年もまた6月・・」
今年もまた来てしまった・・6月。相性最悪の6月。1年前にも似たような事書いてるけど、なぜか嫌な事が起こる6月。昨日は、ばあちゃんの3回忌で太田ヘ。ばあちゃんの命日は10日。亡くなって2年で3回忌って言うんだね。3と7が縁起の良い数字らしく、7回忌、13回忌って続くらしい。
で、嫌な6月、まずは実家で約20年間も飼っていた「りる」が死んだ。「りる」の鳥かごが無いので、嫌な予感がしていた。「りる」は「おなが鳥」で、カラス科なので頭の良い鳥だった。その「りる」がネコにやられたとのこと・・・「鳥かごを地面に置いとくからだろ〜が!」と父を責めたくもなったが、「りる」を一番可愛がっていたのはその父であり・・「母が亡くなった時以来の悲しみだ・・」なんて言っているのを横で聞いていると何も言えなかった・・ばかネコが鳥かごの外から手を入れたらしく、「りる」の背中には傷があったらしい。最後は父の手の中で息をひき取ったとのこと。(番犬がいたはずなのに・・オイ!まめた!)実は「おなが鳥」は飼ってはいけない鳥なんだけど、たしか巣から落ちてしまった赤ちゃん鳥を、父が拾ってきたのが最初だった。家族の一員となって20年も長生きをした。実は「りる」の前にも同じような理由で飼われていた「おなが鳥」がいて「りる」は何代目かの「おなが家族」だった。(本当に巣から落ちていたのか??)高校を卒業してすぐに買ったボクのバイクの音が分かるらしく(ちなみに父の車の音も)遠くからエンジン音が聞こえてくると「ピーピぴぴぴ!」と鳴いていた。晩年は視力も衰えて、鳥かごの中の餌も良く見えなくなったらしいけど、耳は聞こえるようでボクの声もちゃんと分かっていた。高校を卒業後1年で上京したので、実家にはいないことの方が多くなったけど、それでも帰郷した時は「ピーピー!」と嬉しそうな声でボクを迎えてくれた。外を自由に飛び回れなかったけど、野生のおなが鳥では口にできないような贅沢な食べ物を食べていた。カラス科で雑食なので、刺身でも肉でも何でも食べた。ご馳走は鳥かごの下に敷いた新聞紙の下に隠してみたり(たまに隠したことを忘れてたみたいだけど)本当に頭が良かった。考えてみると、専業主婦の母親と「りる」が一番長く家にいたんだなあ〜・・・長年住んだ実家には、今は誰も住んでいないけど、また今度帰ったら「ピーピぴぴぴぴ!」と「りる」の鳴き声が聞こえてきそうで・・・ばあちゃんの3回忌に・・・天国ではじいちゃん、ばあちゃんと一緒だろうか・・・丹波鉄郎の「大霊界」を信じているボクとしては、天国でまた先に逝った人たちと会えることを信じている・・・「りる」にも会えるでしょう・・・

(2003/05/24)「咳・風邪っぴき親子」
もうだいぶ終焉に近づいているとは思うのだけど、ものすごい強烈な「菌」がボク(父)の体に入り込んだようで、家族仲良く風邪をひいていたのだ、この5月は。
とある日の仕事中、急に悪い空気(エアコン?)に喉をやられた。それはもう「うわっ!たった今ものすごい強烈な菌が喉の奥に張りついた!」って自覚できるほどの症状で、みるみるうちに鼻は出てくるわ!熱っぽくなるわ!で、自分でも信じられないほどに短時間で、しかも自覚しながら風邪をひいていった・・・そして狭い我が家で奥さん、子供に風邪がうつってしまったのは当然の出来事だった。なんて「しょ〜がねえだろ」的発言をしてしまうと、また奥さんに(子供からも)文句言われそうだけど、うつしてしまった。
子供の風邪は一度良くなりかけて、鼻水もずるずる状態からネバネバ状態になったのだけど、また調子悪くなってしまったようで、保育園から「熱がでた!」という電話連絡で迎えに行ったりした。ボク(父)が休みの日に、初めて一人でこども病院に連れて行ったら、先生から「お父さんお母さんに両方から風邪の菌をまかれたら、子供が風邪ひかない訳ないでしょ!」と言われ、簡単な診察であっさりと3日後の状態まで予言されてしまった。その予言どおり(熱が出るという予言は外れたけど)子供の風邪は良くなったようでひと安心だけど、奥さんからは「いいねえ〜薬飲めて!私は母乳あげてるから飲めないんだよ!薬」なんて嫌みを言われた。(ビールはいいの?)
ボク(父)は実に数年ぶりに、風邪っぴきで病院に行った。そしてうがい薬と咳止めの薬をもらってきたのだ。市販の風邪薬でも買おうかと思ったけど、子供にうつしてしまった反省からキチンと病院で診てもらおうと思ったのだ。診察時に「咳が出るんですね」「はい!」「タンは?」(一瞬、何かタンって汚いイメージだなって思いが頭をよぎって「大丈夫です」って言いかけたけど、結局素直に)「あ、少し・・」と答えた。「キレは?」(な、なんとキレときた!)「あ、キレはいいです!」(オイオイ!そのあとに「コクは?」「ノド越しは?」なんてくるんじゃねえだろうなあ〜)「ノドはそれほど赤くはないですね・・」と期待外れの会話になった、タンタンと・・??
そして薬を飲んだわけなんだけど、うがいもこまめにやってみたんだけど、治らないんだなあ、これが。喉チン○奥あたりにへばりついて離れない今回の強烈な菌は、びしっと張り付いたまま。そしてボクはゲホゲホゲホゲホ・・・食べた物を吐き出してしまうほど、腹筋が痛くなるほどにゲホゲホ・・・終いにはノドから血まで出てきた・・・ホント苦しい。通勤時電車内でも会社でもマスク着用の日も。しかしSARSとやらが流行っている昨今、周りの視線が冷たく突き刺さる、ゲホゲホ・・。もしかして、SARSじゃないにしても、何か別のウィルスじゃ?ポリープとか?ノドの病気?都会の空気が合わないのか?喋れないと仕事にもならないよ、ど〜しよう!?会社辞めて、空気のきれいなところへ引っ越せってかあ!???
大きな病院か、専門の咽喉科に行かないとダメかな?などといろいろ考えているうちに、今晩は多少良くなってきたかな?ノドの違和感はあるものの、咳はさほど出なくなった。
このまま治りますように!そうしないと、会社辞めなきゃならないし・・・田舎に引っ越さないといけなくなるし・・・
ああ、ど〜しよ〜!?へへへ・・・???焼酎飲んで寝よっ!(酒がいけないんじゃないのお〜!と奥さん?)

(2003/04/23)「春・麺麺」
ここ最近「うどん」にはまってしまって。特に「讃岐うどん」ネ。都内各地に激安讃岐うどん店が登場して大ブレイクしてるけど、そういう店にはまだ行く機会がなくて、もっと本格的な有名店、そして手打ちに凝っているんですネ。きっかけは「ダンチュウ」っていうグルメ雑誌。蕎麦特集の時は必ず購入してる雑誌なんだけど、うどんは得集は初めて。たまたま本屋で立ち読みしてて目に留まった「讃岐うどん特集」のバックナンバー。思わず購入。
 そして休日の朝、パラパラとページをめくっていて行ってみたくなったのが、北区十条の「すみた」。どこかで聞いたことがある店だな。そうだ、オールアバウトジャパンのうどんページを担当している人(うどんMLも)お薦めの店だ。東京の讃岐うどんを語る上で、どうしても外せないというその店に、早速その日の昼に家族で行って来た。東十条駅近くのパーキングに車を停めて、夕馬は連れて入れないので交代で食べてきた。昼12時を少しまわり、店の前に数人並んでいた。狭い店内、厨房も狭いがその中で注文毎に揚げている天ぷらも旨そうだ。麺はしっかり!というよりかなり固め。揚げたてのかしわもアツアツで、冷たい麺をカミカミ、かしわをホクホクと・・「旨かった!」。「かしわざる」750円ナリ。
 ちなみにこの時は余談があって、うどんだけでは腹いっぱいにならないという誰かさんにそそのかされてもう1軒、学生の頃からよく食べに行ってた赤羽(隣街)の「大豊」へ。「ここのタンメンは日本一!」と奥さん絶賛の店。ボクはいつも味噌ラーメン。何年ぶりだろうか?福岡から上京した時に一度寄った覚えもあるけど。今ではおばちゃん一人できりもりする店。初めて夕馬を連れて入った。おばちゃんはボク達のことを覚えてくれていて、夕馬も抱っこして可愛がってくれた。17年程前、学生の頃から知ってる店で、結婚してから夫婦で、そして子供ができて家族3人で、なんだか縁を感じる懐かしいお店で、おばちゃんも元気そうでよかったよかった。
 そして讃岐うどん第2弾は、川崎市宮前平の「綾」(あや)。何と、今仕事で行ってる所のすぐ近くじゃないか!ということで一人で昼飯食べに出かけた。讃岐人も認めるほんまもんの讃岐うどんというこの店は、「すみた」に負けず劣らずの本格派。といってもうどん屋さんの場合、気取っていないのが良いネ。値段も庶民的だし。「しょうゆうどん大」450円ナリ。幹線道路脇という立地からして駐車場がないのは残念。広めの厨房を囲むようにゆったりとしたカウンター席。うどんを茹でるのもよく見える。若い夫婦で息の合った連携プレー。純粋に「旨かった!」
 続いて第3弾は、埼玉・寄居の「イーハトーボ」。「ズームイン朝」だったかな?先日TVで紹介されていて、一度行ってみようと思ってたお店。自宅から車で約1時間半。決して近くはないけど行ってみる価値はありそう。軽度の障害者などのための自立ホームをつくるために開店したという、ちょっと変わった店で、「うどんを残したら入店禁止」「つゆは残さず飲んで」など店前にもルールが張り出してあり、「守れないならどうぞ他のお店へ・・」などといった事が書かれている。こういうやり方はあまり好きじゃないけど、店に入ってから嫌な思いをするより、店にとってもお客にとっても分かりやすいかもネ。ルールを守って良いお客さんとして美味しくいただいた。「ひやひや大」麺もだしの効いたつゆも「旨かった!」うどんは打ち立てのようで、丁度店主が打ち場で作業しているのも見えた。お店は山の中の住宅地にあり、平日なのに店の周りには路上駐車の列、そして順番待ちの客の列。次回も良いお客さんとして出かけて参ります・・・うどん粉1キロも購入した。
 この3店共通して言えるのは、どのお店も本場四国の有名店で修業した若い店主が数年前に開店したということ。今は讃岐うどんブームの波に乗っている部分も大きいかもしれないけど、しっかりとした実力が備わっているこういうお店は、口コミだけでも末永く繁盛し続けるのだろうと感じた。讃岐うどんというのは、本当に麺がしっかりしていて、固さの中に軟らかい弾力がある。美味しい麺はグミのような食感がある。独特の薄味だしもよろしい。そしてこんなに美味しいのに価格が安いのが素晴らしい。やはり「安くて旨い」のはうどんに限ったことではなく、食の基本ですネ。
 さてさてまたまた後日、讃岐もいいけど、群馬だってうどんじゃ負けられねえんべ!と登場するのが「水沢うどん」。この雑誌「ダンチュウ」にも「群馬に個性が光る二大うどんあり」と取り上げられていた「水沢」と「桐生」。ちなみに桐生のうどんは特に地元では意識されてなくて、ごく普通に食されている地味なもんなんだよね。お隣、館林うどんの方が知名度は高い。で、今回は地元群馬町在住の「し組」の清水君と一緒に、数年(10年?)ぶりの水沢うどんをはしごした。
 最初に行ったのが「元祖・田丸屋」。「水沢観音に向かって右側奥から元祖!」と清水。その一番奥に位置するのが「田丸屋」、ちなみにここ水沢うどんは、うどん御殿と言いたくなるような立派な店構えのうどん屋さんが14件も集まっている。「田丸屋」も立派立派!うどん屋繁盛でお金も「田丸」!?しか〜し!価格が高い!普通盛で1000円!うどんの価格かヨ!?「観光客用価格だかんな」と清水君。「お客さんでも来なきゃ、近くても食いに来ねえよ!」だって。納得。でもうどん自体は美味しかった。讃岐うどんにはない、しなやかさがあるモチモチ感。これが水沢うどんの特徴でしょ。食べ終わって上げ底のざるを見て納得、この辺がお金の「田丸」理由。これも企業努力?
 次に行ったのが、そのお隣「始祖・清水屋」。元祖とか始祖とかど〜でもいいんだけど、ここ「清水屋」は皇室ご用達だということで400年以上の歴史があるっていうから本物。メニューには「うどん」と「む」が小さく書かれている。なぜか博多の老舗うどん屋で「かろのうろん」というお店を思い出した。「ろ」を「ど」に変えて読んでみて・・話しがそれた。「始祖」のうどんは、つるんとした手打ちの麺を、胡麻ダレでいただく。「旨い!」しかし・・中盛1155円、大盛1365円。観光客価格とはいえ、水沢でも少なくなった手打ちとはいえ、「なっから」お高い価格設定。価格も皇室ご用達価格なのかしらん?けしからん! 
 その日、お邪魔した高崎の先輩、永田さんも言ってたけど「蕎麦・うどんは500円が上限!高くて旨いのは当たり前!その点では水沢うどんは失格!」同感です。だけど永田さん「蕎麦で500円って訳にはいかねえですよ。そば粉って高いし」
高崎(前橋?)で人気の「大黒屋」っていう、安くて旨いうどん屋があるそうで是非今度ご一緒しましょ。太田には「かどや」っていう蕎麦屋があるので、そっちも是非。量と安さでは負けません。うちの奥さんはキライらしいけど。確かに味は一茶庵系の「石切庵」みたいにはいかないけど。なんか、ローカルネタで失礼・・・
 という訳で、今回は細く長くコシのある?「麺」ネタにお付き合いいただきありがとう。「イーハトーボ」で買って来たうどん粉で打った「しおちゃんうどん」は、粉の良さもあって一応食べられるうどんができたよ。1キロ分終ってしまったので、また寄居まで買いに(食べに)行かなくちゃ!この春、ボクの麺食い道、麺打ち道は、南風に誘われてまたまたムクムクと始まったのだ。もちろん主役は「蕎麦」でありたいし、佐野のラーメン(ついでに宇都宮餃子も)なんかも久しぶりに行ってみたいし「あ〜腹減った!」。東京復帰で5キロ減った体重のリバウンドが怖いけど、麺好きはやめられない・・・