一家4人ででどこかへ旅行をと決めたところが「上海」であった。娘が羽田から、息子は名古屋からそれぞれ関空に集まった。 イギリスやインドと違って飛行時間は短いが、機内食が配られた。 2時間ほどのフライトなので、せいぜいサンドイッチ程度だろうと思っていたが、普通の機内食であった。 飛行機は、上海浦東(プートン)国際空港に着陸した。 入国審査は旅券に入国スタンプを押すだけで、きわめて簡素であった。荷物も全員無検査で通過した。 税関を出ると、どの空港でも同じであるが、大勢の人が出迎えに来ていた。私たちの案内係は50歳前後の男性。 日本語がよくできた。案内されたままバスに乗り込んだ。 ![]() 車は時速100kmを超えるスピードで走っていた。 ところがびっくりしたのがそれをいとも簡単に、すっ飛ぶように抜いていたものがあった。リニアモーターカーである。そういえば、上海の案内書に空港から上海市内まで確か7分と書いていた。それで、市内まではごく近いと思っていたが、それは30kmを時速430kmで走るリニアモーターカーだから出来ることで、車はきっちり1時間ほど走って市内に着いた。市内は大渋滞であった。 バスで来る途中、左手の海岸縁の工場群が解体作業をしていた。 聞けば、上海万博の会場だという。工場を移転し、その跡地で国際万博をやるということである。中国の新しいチャレンジのあらわれで、経済発展のシンボル的イベントになるのだろう。 市内は高層ビルが林立している。想像以上の発展ぶりだがそれ以上に、想像を越えた空気の汚さが気になった。 ガイドさんが、ホテルに行く前にお茶を飲みましょうと提案してきた。「そらきた」という感じであったが、それに乗ることにした。 そのお店は外灘の護岸のすぐしたにあった。まずはお茶セミナーで、いろいろなお茶を説明を聞きながらお茶を飲んだ。 説明をしてくれる人はチャイナドレスを着た女性で丁寧に説明をしてくれた。その後、やっぱりやっぱりのお茶を買えとの売り込みがあった。とりあえずおいしかったお茶をいくつかと、おみやげにリーズナブルなお茶を買った。 外灘を少し散歩したが、結構たくさんの国の違う人々が散歩していた。対岸は有名な浦東のビル群であるが、ビル群はともかく、浦東東方明珠タワーはどうも違和感を感じる。デザインはこれでよかったのかなーと。京都タワーを見るときと同じ感じがするのである。 写真 ![]() ![]() 黄浦江の流れはゆったりしていたが、今の淀川より遙かに汚れている感じである。魚はたくさんいそうな感じであるが、汚れが気になった。近くにある長江(揚子江)の流れもいつか見てみたい。ダムが出来てどう変わるか。 小一時間散策の後、宿泊先のホテルに到着。いちおう三つ星ホテルという。ホテルはクリスマスで、聖歌隊がいろんな聖歌を歌っていた。なかなか雰囲気のあるいいホテルであった。聖歌隊の歌を聴いた後食事をしたが、どれもがおいしかった。 クリスマス会か何かの集まりがあって、まわりは非常に騒がしかった。 中国の人は、こうした宴会などではあまり周囲のことは気にせず、大きな声でしゃべり、かつよく食べる。 言葉が分かれば面白いだろうにと、いつも思う。 ホテルの朝食、これもなかなかおいしかった。 ![]() 中国のこれからの大きな課題はこの空気の汚れをどうするかではなかろうか? 空気の汚れをなくすると言うことは、工場などのモラルの醸成と住む人の問題意識に関わってくる。双方が協力し合いチェックしあわないとこの問題は解決できないと思う。 それは日本で実証済みである。 中国の空気にまで干渉するなと言われるかもしれないが、中国の大気汚染は日本へ流れ込んでくるのである。黄砂が毎年やってくるのもその現れで、以前中国が核実験をしたときには、放射能の雨が降った。このまま汚染が進めば日本にかなりの影響が出ると思う。 朝早くに目が覚めたので、ちょうど出勤時間帯の上海の朝をウォッチングした。 景色はどこも同じで、ほとんど変わらない。自転車がやたら多いことが日本と違うところで、車より自転車の方がエライ感じで走っているのがうれしかった。 街中をぶらぶらしながら、上海博物館に向かった。 途中の街角ウォッチングは面白い。これはどこの国でも街でも同じである。 街を歩けばその国の息づかいが分かるが、今の中国はパワーがあるれてきていることが、私たちのような訪問者でも分かる。 人の表情が明るい。無論それは地方に行けば事情が違ってくるのだろうが、それでもこうした都市の活気は間違いなく地方へも伝搬する。自転車よりも車の方が多くなる日も近いのじゃないか、という気がした。
上海博物館 ![]() 上海の施設では、はじめに上海博物館に行った。青銅器を模した造りの建物である。 ここはガイドブックによれば、38000平方メートルの床面積を持ち、約12万点の文物を所蔵しているという。 中でも青銅器や陶磁器のコレクションは圧巻という。とにかく歴史を彩ったすごいものばかりが陳列されていた。 日本と共通の文様の青銅器や陶磁器が多いのも楽しいし、日本の仏教美術との比較も面白い。 ここも故宮博物館と同じで、きちんと見れば何日もかかると思う。 この博物館あたりは、元は競馬場のあった場所で、いまでは上海市庁舎や上海大劇院などがある政治・文化の中心地である。ここは自由に写真が撮れるのでいい。 どこへ行っても下町を歩くのが好きである。 ![]() 上海の下町で驚いたのは、洗濯物の干し方である。 電話線であろうが電灯線であろうが、ありとあらゆるところに洗濯物をぶら下げている。 木などにもかけられているが、びっくりするくらい高い位置にそれは干されている。こうなると一種のアートみたいな感じで面白い。 パンツなども平気で干しているところがまた楽しい。これだけオープンだと盗んでいくものもいないだろう。 街を歩いて気になったのが路地の入り口にA4サイズの白い張り紙がしてあり、中国語だから詳しくは分からないけれど、「この団地はもうすぐ撤去するので、退去しなさい」と書かれていた。たぶん万博に向けて区画整理などがされるのだと思う。 とある団地の2階から初老の女性が涙を流しながら荷物や家財道具を下ろしていた。 区画整理されたら街は確かにきれいになるけれど、何か大事なものがなくなってしまう感じがする。 大阪駅前の昔と今を思い出して、イメージがだぶった。 街の片隅に古びたシャリーがあった。何の違反かしれないけれど、白バイにつかまったおじさん。三輪リヤカーというところがいい。文化大革命当時であれば死刑もののカップル。上海は飽きない街である。 昼は少し雰囲気のあるレストランでとった。外国人もたくさん来ていた。味も結構よかった。とはいっても私はどこへ行ってもどんなお店に行っても料理はおいしく食べられる。こんな時フレキシブルな舌はありがたい。
聚之坊工芸品市場 ![]() 骨董品が好きなので、聚之坊工芸品市場をぶらぶらた。骨董というのは難しいので手は出せないのだが、見てるだけでも面白い。それが外国であるとなおさらで、ほしいけれど買えない。しかしほしい、買いたいという行ったり来たりの気持ちを引きずりながら、あちこちの店の人とのやりとりをしながら歩くのは、楽しくてしようがない。何でも鑑定団を見ていると、そんな人が多いことが分かる。真贋を見極め、いいものを買えるようになるのにはだいぶ修行がいりそうであるが、おっちょこちょいの私は、きっと損ばかりするであろう。中国の骨董を見ていると、それが偽物であっても結構手の込んだものが多く、値段がそれなりであれば買っておいてもいいと思うものがたくさんある。 そして何より、こういうところはフォトジェニックなのである。写真を撮りたくなるシーンがいっぱいある。骨董の中には、当然の事ながらカメラもあった。 ニコンFが4万円くらいだったので、見るだけだったが、あまりにも無造作に置かれているのでカメラ好きな私にとっては、少し寂しかった。 ![]() 街中のスナップはほとんどザクティだが、ここぞと言うときはOM-1を使った。フィルムはポジで、こうして並べてみると35mmで撮った写真はなんとなくツヤがある。 中国では、やはり毛沢東さんの人気が衰えていないことなのか、他の骨董と混じって彫刻やパンフレット、ポスターなどどのお店にもたくさん置いていた。私は記念にカレンダー?を買った。方位が干支で表されており、磁石で方角をあわせ、季節季節で左右の板を持ち上げ角度を調整することで、時間も日付も分かるというすぐれもの?なのである。まだアウトドアに持ち出してはいない。一度実際に計ってみなければと思いつつ、そのままである。 まちをうろうろしながらいかにも中国らしい壁や窓などを撮ろうとすると、そのどれもにズボンやパンツが写る。それほど洗濯物が町にあふれているのである。歩道を歩いても当たりそうな位置に洗濯物もの干されている。その干し方がいろいろ工夫されていてみるだけでも楽しい。しかしここも区画整理でいずれなくなるだろう。
豫園・豫園商城・外灘ライトアップ 上海に行けば、ここ豫園は欠かせないところらしいが、知らなかった。1559年に造園が開始されて18年の歳月がかかって完成したという。ところが、時間が遅くなりすぎて入れなかった。またの楽しみにという感じである。 しかし豫園を取り巻くショッピング街は、クラシックな建物が建ち並び面白い。レトロな建物が建ち並ぶ様は、千と千尋の神隠しのシーンを思い出した。行き交う人々は楽しげで、よく食べていた。私たちはごま団子を買い、食べたあとマクドナルドでコーヒーを飲んだ。ガイドブックに載っているお店には人が並んでいた。ショッピング街では、パンダの模様が入ったネクタイを買った。1000円ほどで安かった。一通り見終わった頃は陽も落ちて暗くなっていた。 豫園を見たあと、これまた上海観光の定番である外灘の夜景を見に行った。 ![]() 7時からライトアップされるということで、寒い中待った。川面にはきれいなイルミネーションを施した船が行き来していた。7時を過ぎると、ふわふわという感じで次々に灯がともり、クラシックな銀行建物群が浮かび上がってきれいであった。 昼来た時よりも大勢の人がいた。スモッグが何となく不健康な感じでたれ込めている昼間より、それが見えない夜の方がいいのだろう。いろんな店があり、それらを見て廻るだけでも面白い。アベックもたくさんいた。 三脚を持っていなかったので、かなりスローシャッターを切ったが、こんな時オリンパスOM-1はブレが少ない。 ほんとにいいカメラである。 外灘の景色を堪能したあと、南京東路を歩いて抜けた。このあたりは高級ブランド店があるのだが、パス。 おなかが空いたので地下鉄の駅前にある大衆中華料理店(当然であるが)で食事をした。 やはり旅をすると一回はこういう街の普通の店に入らないと、気が済まない。味もよく何よりも安かった。 4人で腹一杯食べて飲んで、2000円でおつりが来た。 地下鉄は新開路駅から乗って、ホテルまで帰った。地下鉄料金は日本の常識からするとかなり安い。
上海新天地・街角いろいろ 最後の日は、あちこち歩きまわり、上海新天地とおぼしきエリアに入り込んだ。飲食やショッピングのある娯楽センターであった。青煉瓦と黒煉瓦造りの建物が軒を並べている。シックな中にもしゃれた店が連なっている。 ここで、中年の品のいい紳士に呼び止められ、「そこで美術展をしているので見に行きませんか?私はこういうものです」と名刺を渡された。名刺には何とか美術大学教授と書いていて「日本にも行ったことがあります」という。 しかし、どうもうさんくさく、適当に受け答えして精一杯話をさせた後断ると、渡してくれた名刺を戻してくれといい、そそくさと立ち去った。どうも日本人はカモにされやすく、特に私はカメラを提げて眼鏡をかけて、あちこち眺め回しているので、声をかけやすいのかなと思う。 いろいろまたもや珍道中であったが3日間の上海旅行は終わった。2010年には上海万博があるが、それに向けて急ピッチで工事をしていた。もう昔の面影をとどめる懐かしい町並みは消えているだろう。 経済成長著しい中国の、その先端を行く街を見ることが出来てよかった。今は自転車が道いっぱいだが、もし次回ここに来ることがあったら、自動車と自転車の比率は逆転しているかもしれない。しかしそうなれば今よりさらに空気が汚れるだろう。 実は、この旅行で私は軽い気管支炎になった。とにかく3日の滞在中喉のいがらっぽさが消えず、日本でさらに悪化してしまった。息子はさらに悪くなっていた。 経済発展もいいが、日本の高度経済成長の悪さ加減を知ってもらって今から空気を綺麗にするための手を打ってほしいと思った。しかし中国独特のパワーと明るさが楽しくまた来たいという気にさせるいい旅であった。
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