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ベルギー旅行記 | ||||||||||||||||||||||||||||||
アントワープ | ||||||||||||||||||||||||||||||
<グロートマルクト広場> | ||||||||||||||||||||||||||||||
ブリュッセルで買い物を終え、アントワープに向かった。ブリュッセルからは54km離れている。 車でブリュッセルからアントワープまで走った。 到着はちょうど昼頃だったので、中華街に行き中華料理を食べた。 結構な味であった。 それにしても中国人は世界のあちこちに街を作っている。
昼食のあとにアントワープ散策をはじめた。 まず聖母大聖堂に向かったが、途中でグロートマルクト広場がある。 ヨーロッパは市庁舎周辺にこうした広場がある。 これはいい。 民衆はなにか問題が出たときなど、こういう広場に集まったのだろう。 広場には、たくさんのクラシックな建物があるが、ルネッサンス様式の市庁舎がいちばん堂々として建っている。 1561〜65年に建立されたそうで、建設はイタリア人が参加したことから、当時のこの地方では例のないイタリア&フランドル・ルネッサンス様式になっている。 この市庁舎のホールは、童話『フランダースの犬』の中でネロ少年が最後の望みをかけた絵画コンクールの発表があった場所といわれている。 聞けば『フランダースの犬』はこちらでは日本ほど有名ではないらしい。 マルクト広場の中心には1887年のジェフ・ランボー作のブラボー像の噴水がある。 「ブラボー伝説」とは、 その昔、アントワープにはスへルデ川(今も町の西方を流れています)を支配していたアンティゴーンという巨人がおり、いつも船乗りたちに高額な河川の通行料を押しつけていた。 そして払えない者がいると、罰として船乗りの手を切り落としては川に投げ込んでいたという。 それをやっつけたのが古代ローマ人の英雄シルヴィウス?ブラボーということである。 ブラボーは、ひとりで巨人に立ち向かい勝ち、反対に敵の手首を切って川に投げ込んだという。 それでブラボーという言葉ができたのだろうか。 アントワープの人はこの伝説が大のお気に入りで町の名もこの伝説から由来する、「Hantwerpen(手を投げるの意)」で17世紀まで町の名は「Hantwerpen」と綴られていたという。 グロートマルクト広場を横切り、目指す大聖堂に向かった。
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<聖母大聖堂(世界遺産)> | ||||||||||||||||||||||||||||||
アントワープではまず聖母大聖堂に行った。 フランダースの犬のネロとパトラッシュが召された教会だ。 1352年に着手され180年をかけ建立されたというゴシック様式の大聖堂で貫禄がある。 ベルギーで一番大きなゴジック教会という。かつては船の出入りに格好のランドマークだったそうである。 高さは123メートルある。 鐘楼は2005年に世界遺産に指定されている。
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やはり必見なのは巨匠ルーベンスの傑作群である。 『キリストの降架』(1614年)や『キリスト昇架』(1610年)『キリストの復活』(1612年)『マリア被昇天』(1626年)などの絵が贅沢に飾られている。 大聖堂の主役である主祭壇の『マリア被昇天』は、ネロ少年がまだ見ぬ母の面影を重ねたという聖母マリアが、恍惚の表情で天に召される様が描かれている。 またクリスマスの夜にネロ少年が愛犬パトラッシュとともに息絶えたのは、『マリア被昇天』の横にある祭壇画『キリストの降架』の前だったという。 はるか昔に読んだ小説の舞台にいるというのが何とも不思議な気がした。 かつて聖堂内では、『キリストの降架』と『キリスト昇架』の両作品の前に厚いカーテンが覆われており、銀貨を払った人だけに公開が許されていたという。 物語の中でもネロは「きっとルーベンスは、貧しい人に絵を見せたくないなんて思わなかったはずなのに」と悲しむが、『フランダースの犬』の原作者である英国の女性作家ウィーダは、実際に前世紀中盤まで行われていたこの悪しき習慣を、物語の中でネロ少年を通しさりげなく告発しているという。 しかし読んだ時にはそんなことは全く分からなかった。 ありがたいことに現代は、5ユーロでこれら世界的な名画や彫刻を見ることができる。 |
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<ステーン城> | ||||||||||||||||||||||||||||||
聖母大聖堂に行ったあと、川べりに向かった。相変わらずきれいな街並みを抜けていく。 観光用の連結自動車や馬車などが行きかう。狭い道を路面電車が行く。 観光用連結自動車が電気で走るのかは確認できなかったが、この形式の車が普通に走れるということは、電気自動車でも問題ない。 日本の場合は、限られた地域のみである。観光立国をうたいながら、こうしたデバイスの運用には七面倒くさい申請が必要で、いろいろ難癖をつけてなかなか許可してくれないのが日本である。 |
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ステーン城は巨人アンティゴーンが住んでいたというスヘルデ川べりにあった。なかなか姿のいいお城である。 10世紀から16世紀まで使われていた要塞の一部で、約500年間牢獄や刑場としても使用されたという。19世紀に修復が行われ、現在は海洋博物館として公開されていたが、今は内部公開されていない。 13世紀に石造の要塞に改築された際、アントワープ初の石造建造物だったことから「steen(石)」の城と呼ばれるようになったという。石の城というわけである。 城の前には巨人アンチゴーンの銅像があるが、とても悪さをした巨人には見えない。 しかし彼がブラボーに手首を切られたのだ。 ステーン城を出て路地に入ると肉屋のギルドハウスがある。現在は博物館という。 そのあと車でアントワープ駅の前を通り、駅近くのすし屋に向かった。 |
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<寿司屋> | ||||||||||||||||||||||||||||||
すし屋は混んでいて少し待った。 待つ間少し近所を回った。ベルギーらしいオブジェや街並みが続いていた。 すしはスタイルも味も日本と変わらずおいしかった。 もちろん周りは当然のことながら外人ばかりであった。 向こうからすればこちらが外人であるが |
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