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大阪 (住吉大社) (23)

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(国宝の本殿)
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(ライトアップされた太鼓橋)
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(かなりの勾配の太鼓橋。少し歩きつらい)
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(朱に青が鮮やかである)
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(竜ではなくうさぎというところがおもしろい)
<住吉大社>

住吉大社は、摂津の国一之宮であり、また和歌の神としても崇敬を集めてきた。
神功皇后が新羅遠征から無事に戻れたため、皇后摂政11年(211年)に住吉三神を奉られたという。
後に雄略天皇の時代に神功皇后も奉り、合計四神として、本殿四棟が建立されている。
本殿四棟は桧皮葺、妻入りの「住吉造り」で、神社建築史上最も古い様式の一つで本殿四棟はすべて国宝に指定されている。
境内には、大きな石灯篭が並んで壮観で、600以上もあるらしい。
本殿などが海に向かっているのは、海上の守護神を意味するものである。
往時の教養人は、この風光明媚な所で、景色を見ながら和歌などを楽しんだのであろう。
定家の『御幸記』では、御経供養・里神楽・相撲などの「法楽」に和歌の披露が行われた事が記されているという。

住吉大社は、本来の古道のルートから少し海側に位置するため、道がわからなくなり、近所の方に道を聞くと親切に近くまで送ってくれた。
その方は住吉大社についていろいろ説明してくれたが、私のふるさとの相撲力士「久嶋海」が、この住吉大社で相撲を取ったことも教えたくれた。ふるさとゆかりの人のことを聞くのはうれしい。

私が訪れたのは夕刻で、裏門はすでに閉まっていたが、たくさんの人が散策していた。
夕暮れで薄暗い、うっそうとした森の中を、玉砂利を踏みしめながらのそぞろ歩きは、幽玄の世界が味わえる。
ここの太鼓橋は、階段の傾斜がかなりあり、少しこわい。
この太鼓橋は、秀吉の側室、淀君が寄進したもので、住吉大社の名物にもなっている。
そういえば、子供が受験するときのお年始は、ここにきた記憶がある。
そのご利益かは知らないが、志望校に受かった。
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2005年の正月も、住吉大社はよく賑っていた。
太鼓橋を渉って、境内に入った。
昔から露店を見るとわくわくしてくる。田舎の串本は、正月の15日成人の日に、お的祭りがあって、露店が出た。
当時は小遣いが50円もらえたらいい方で、その50円をもって露店で買い物をするのが楽しみであった。
特に必要なものはないのだが、露店で買うというところに楽しみがある。
商品はあまり変わっていないところがうれしい。
住吉大社の露店は、串本の5件程度とは比べ物にならず、広い境内に溢れるばかりにあった。
都会の露店でうれしいのは、お化け屋敷や見世物小屋である。ここにもあった。
いかにもという感じがうれしい。
写真を撮りながらウォッチングしていると時間を忘れてしまうので、適当に切り上げたが、お正月のザワザワとした賑いがおもしろかった。
朱印を書いてもらっている間に、お参りをした。
地方の神社とは比べ物にならない大きさの賽銭箱には、一万円もたくさんあった。私も投げたが、金額は書かないでおく。
御屠蘇を振る舞ってくれるところがあったので、志をおきおいしくいただいた。ほんの少しのお酒だったが、すきっ腹によくしみわたり、いい気持ちになった。
家に帰ってテレビを見てると、住吉大社でも偽の1万円札が出たとか。あの中にあったのだろうか。しかし、世の中せちがらいが、こうした犯罪は何百年前から変わっていない。ハードの文明は進んでも、基本ソフトである文化は、ほとんど変わっていない。だから人間なのかもしれない。
神様には、地球が滅びないようにとお願いした。


(ちんちん電車が健在。これはうれしい)

(大にぎわいの境内)

(今年の干支は酉である)

(お化け屋敷。何となく寂しいお化けが入り口に)
後鳥羽上皇一行は、ここ住吉で和歌会を開いている。いくら定家が歌人といっても、和歌会を開くのは大変であったろう。
上皇がくるというので、集められた地元の人たちも大変だったと思う。

住吉大社の裏には、田があって、ここでは御田植の祭事があるという。一度見てみたい。
古道のルートは、住吉大社は少し離れているので、また東に戻り、墨絵小学校を目指して歩く。
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(神田。ここで御田植えが行われる。一度見てみたい)

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