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熊野古道 和歌山

熊野古道陸路はいよいよ中辺路のメインルートです 

峠をいくつも越え熊野三山への参詣道を歩きます。
熊野古道の奥深さを感じながら歩きます。

ギャラリー

継桜王子・とがの木茶屋
明治末年の神社合併で、近野に合祀されていたご神体は昭和25年にこの社に還った。
野中地区の氏神でもある王子社で、社殿は石段の上にある。
境内の斜面に一方杉の巨木があり、県指定の天然記念物である。
明治の神社合祀で各王子社にあった古樹はほとんど伐採されたが、南方熊楠の運動でかろうじて残ったのが、高原熊野神社の大楠とこの継桜王子の杉だったという。

王子名のもとになった名木の継桜が早くから社前にあり、それが秀衡桜と呼ばれて植継がれてきた。
今は東方100mの所にあり、やはり威風堂々としている。
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋 熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
秀衡桜(ひでひらざくら)は、継桜王子社から約100m東の道端にある。
平安時代後期、奥州の豪族、藤原秀衡が滝尻の岩屋に残したわが子の無事を祈念して、そこにあった桜を手折り、別の木にその桜を継いだという伝承があり、植えつがれていまの桜は何代目かになるという。
ちょうど通りかかった語り部さんの話では、年々咲く桜の花の量が少なくなっているという。
ここで思ったのは、中辺路にしろ大辺路にしろ、どの木も樹勢が衰えてきている。
これはやはり適当に間引きしないからである。
その語り部さんも都市から中辺路に嫁いできた当時は、薪の木を山に切りに入ったという。
重労働であったががんばったと言うことである。
私も子供の頃はリヤカーを引いて、山のウバメガシを切り出しに行った。
木を切っても次の世代を見越したもので、切っていけない木と残し方を、教え次いできたのだが、最近はそのやり方を知らない世代が増えてきている。
もちろん私も切りには行ったが、そういうノウハウは教えてもらってない。
でもこの熊野古道の周辺については、世界遺産でもあり、周りの林のことなども気配りして、保護し維持していかなければならないのではないかと思う。  
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋 熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
この秀衡桜の木の下に、高浜虚子の句碑があるが、驚いたことに親子3代にわたって碑がある。

高浜虚子の碑には、

「鴬や御幸の輿もゆるめけん」

とあるが、ウグイスが鳴いているので熊野詣の天皇も御輿を止めて聞き入った情景が浮かんでくる。
おつきの藤原定家も同じように鳴き声に聞き入ったであろう。
星野立子は虚子の次女で、

「うぐいすの句碑守る老に別れ惜し」

これは作者の優しい思いやりが伝わるすてきな句である。
稲畑汀子は虚子の孫で、

「中辺路は峡深き里暮れ早し」

と詠っている。
中辺路を歩けば夕闇が早くおとずれるのでびっくりするが作者も夕暮れの早さに驚いたのだろう。
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
(高浜虚子の句碑)
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
(星野立子の句碑)
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
(稲畑汀子の句碑)
<野中の清水>
継桜王子の前の断崖の下に野中の清水がある。
全国名水100選にも選ばれている。旧国道311号線脇にあり、きれいに管理されている。
旅人がこの湧き水との縁を歌枕に数々の歌や句を残している。

  いにしえのすめらみかども 
     中辺路を越えたまひたり 残る真清水

(昭和9年 斉藤茂吉)

斎藤茂吉の句碑の傍らには、松尾芭蕉の門人、服部嵐雪(はっとりらんせつ)の、

すみかねて道まで出るか山清水

の句碑がある。
宝永2年(1705年)に仲間とともに伊勢と熊野を詣でたあと、田辺に向かって歩く途中、ここに立ち寄り詠んだ句という。

新しい311号国道が出来るまでは、ここが新宮から田辺への主要ルートであったため、よくここで休憩した。
水は滾々とわき出ており、おいしい。手前に階段があり、水が汲みやすくなっている。

日本名水百選のひとつに選定されている。
現在も地元の人たちの貴重な飲料水・生活用水として使われている湧水である。日本もこういう湧き水があちこちにあるが、すでに枯れているところもたくさんある。
こうした貴重な水源をこれからも守り続けて行かなくてはと思う。
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋

熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋

熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
 <とがの木茶屋>
継桜王子の近くにある茶店。
見晴らしのきく茶店の前からは、眼下に野中の里。それに続く山並みが眺望できる。
古道ブームで、ここの女将さんはテレビ出演も多くなっている。
20年ほど前にここを訪れたときは、ひっそりとした佇まいであったが、今は母屋の縁側も開放している。
おそらく、それぞれの王子社近くにはこうした茶店が建ち並んでいたのであろう。
これからもずっと残っていてほしいと思う。

2009年10月4日に数度目の訪問した折りに、女将さんに、ここの茶屋は昭和53年(1978年)に建てたということを聞いた。
ということは、私が初めて熊野古道を歩いたのは、まさにこの年であったのがわかった(いつだったか忘れてしまっていたのである)

この茶屋の近くに、野中伝馬所跡がある。
いまなら公設宅急便のような感じで、郵便局と運送の二つを掛け持っていたのかもしれない。
いずれにしろこのあたりはいろいろな史跡がある。
それだけ街道では重要なポイントであったのだろう。
それは今でも変わっていない。
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
(2001年)
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
(2009年)
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
(元気に前の道を掃除する女将さん。2009年)
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
(折から中秋の名月のお供え)
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋
熊野古道 継桜王子 とがのき茶屋