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熊野古道 和歌山

熊野古道陸路はいよいよ中辺路のメインルートです 

峠をいくつも越え熊野三山への参詣道を歩きます。
熊野古道の奥深さを感じながら歩きます。

ギャラリー

近露王子・牛馬童子
<牛馬童子>

大坂本王子を過ぎ、逢坂峠道を下る国道311号線と古道が接するところに、中辺路道の駅がある。
そこから古道は再び山に登る。
箸折峠である。
坂の入り口にはきれいな掲示板がありわかりやすい。
箸折峠は中辺路ルートでも人気のあるところで、道がいかにも古道らしいこともあるが、さらに牛馬童子が古道紹介の写真などで評判になったからである。
いまや熊野古道のシンボル的存在である。

「花山院の旅姿」をあらわしたとされるこの像は、明治22年のにこの付近に住んでいた人が残したものだという。
牛馬童子の傍らには「花山院の経塚」といわれるものがある。

花山法皇は、藤原氏の策略にあい、出家とともに皇位を失い、呆然とした心境のまま都を離れ熊野御幸に旅立ったという。
「箸折」、「近露」それぞれの地名もすべて花山法皇が熊野詣での折り、ここで昼食の箸を求めて萱を折ったことにちなんだものであり「箸折」、その萱の軸が赤く染まっているのを見て「血か露か」と訪ねられたので「近露」。
旅行中に箸の一本も持っていないとは考えられず、さらに赤い軸を見て血かそうでないかを判断できないほどだめな人だったんだろうか?
ま、いいか。
それより、花山法皇が、西国33カ所と熊野詣での道とがあちこちでクロスするところが面白い。
建仁元年の後鳥羽上皇一行は、ここでも和歌会を催している。
京都を出てから10日目であり、大きな坂をいくつも超えてきた病弱な定家にとっては大変な作業を任されたことであろう。
 熊野古道 牛馬童子
(熊野古道のシンボル的存在の牛馬童子)
熊野古道 牛馬童子
(宝篋印塔(県指定文化財))
熊野古道 牛馬童子
(道脇にあるかわいいお地蔵さん)熊野古道 牛馬童子
(一里塚跡)
熊野古道 牛馬童子 熊野古道 牛馬童子
(木漏れ日がきれいな古道)
 
古道にまつわる伝説を調べていると、マリア様の処女懐胎より荒唐無稽なものがある。
それがまた面白いのである。
牛馬童子を過ぎてまもなく視界は一気に開け、きれいな休憩所もあるところに来る。
ここから近露の集落を、眼下に一望することができる。熊野古道 近露王子
近露王子は旧国道311号線の道筋に社殿があり、出口王仁三郎の書になる碑が建っている。今は、国道311号線も位置を変え新しく広くなり、交通は便利で早くなった。古道は新しい道と並行してある。

ここ近露王子で、滝尻王子と同じようにこんどは日置川で禊ぎをし、さらに霊域に奥深く入り込んだのである。
牛馬童子のある橋折峠を下り、川を渡るとすぐにこの近露王子社に着く。

近露王子は明治の末期までこぎれいな社殿があり、上宮と呼ばれていたという。
しかし、神社合祀で取り払われ境内にあった十数本の杉の木も伐採された。

南方熊楠はこの王子の合祀と杉の木の伐採に反対したが、結局は「近野神社」に合祀され、杉も伐採されてしまった。残念である。
今ある碑は、元の社地に分祠された際に建立されたものである。