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熊野古道は淀川も下ります 

熊野古道の始まりは京都から   

熊野古道といえば、畿内から紀州・熊野三山へと通じる由緒ある参詣道です。
熊野古道は京都を後にして、淀川を下って大阪に向かいます。熊野詣をした天皇の旅は淀川でもにぎやかだったでしょう。

ギャラリー

熊野古道 淀川

城南宮(京都)>>
石清水八幡宮
淀川1(山崎から)
淀川2(鳥飼大橋)
<<八軒屋船着場(大阪
淀川1:
淀川1(山崎から)
早くから計画していて実現していなかった淀川下りをとうとうやることが出来た。最初にいろいろコースを考えた。石清水八幡宮から漕ごうと思ったが、桜の季節には人が一杯だろうと思いやめた。そこで庶民の船出の場所として、山崎から出ることにした。
ここ山崎は、宇治川、木津川、淀川の合流点である。往事には、それぞれの川筋から人が集まり賑わったことであろう。
それと、JR山崎駅からだと川岸が近いことを、昨年バイクで走ってきてチェックしておいた。車もおけるところがあった。
しかしコースを決め、時間的な割り振りをしていると、車ではどうしてもロスが出てくる。いったん山崎まで戻ってこなくてはいけない。そこで、これまで田舎では電車を使って移動したことがあるが、都会の満員電車ではまだないのでこれも経験だと思い、最終的に電車で移動することにした。幸い、大阪駅まで直通電車があり、一回の乗り換えで山崎まで行けることがわかった。
前日にきっちり準備をしておいて、朝、5時起きをし6時34分発の紀州路快速に乗り込んだ。
KG−1は掲示板で教えてもらっていたので、運転席の後ろに置くと決めていた。ところが朝の紀州路快速は運転席のすぐ後ろはドアだった。そこで一番前列の後ろのスペースに入れた。これがなかなか具合がよかった。駅売店で買ったあんパンと牛乳と缶コーヒーで朝食にした。

大阪駅では11分の待ち合わせであった。安定の悪いザックを担いでのホームの階段は結構きついものがある。
時刻表に気をとられて階段で蹴躓き、その拍子に飲み終わった缶コーヒーが階段を大きな音を立てながら転げ落ちてしまった。皆が振り返ったので少し恥ずかしかった。
早く体勢を立て直そうとしたが、階段の真ん中だったので、よけいフラフラヨチヨチという感じになってしまった。
ホームで電車を待っている人は、ザックを担いだ人が多かった。
ちょうど今は、伊吹山がいいときである。
たぶんサークルか何かで一緒に登るのだろう。30人くらいが皆ザックを担いでいた。
おかげで特大ザックも違和感なくホームで待つことが出来た。

山崎駅には当然のことながら定刻の33分についた。これは車にないメリットである。
ここでうれしい助っ人が待っていてくれた。
掲示板で知り合った圭さんで、前日メールと掲示板でスケジュールを確認しておいたのである。
でもいつも思うことだけど、こうしてネットで知り合いになれた方と、初対面であっても違熊野古道 淀川 カヌー下り和感なくお話が出来るのが楽しい。共通の話題の積み重ねが、いいのでしょうね。
それに、こちらが思い描いていた感じとピッタリ合っているとさらにうれしくなってくる。
圭さんはイメージがぴったりでした。
カヌーは、フジタカヌーのKG−1を使った。この艇は直進性も回転性もなかなかのもので、今回風を予想していたので、デッキの低いこの艇にした。この艇の良さは、組み立てに時間がかからないということである。しかし収納サイズが120cmと最近のファルトより30cm程長く、それが担いだとき不安定になる。
熊野古道 淀川 カヌー下り 熊野古道 淀川 カヌー下り
熊野古道 淀川 カヌー下り
(漕ぎ出し:圭さん提供)
 山崎駅前は、もっと派手なのかと思っていたら、質素で落ち着きのあるいい駅であった。
さらに駅前の民家もクラッシックなたたずまいで、なかなかよかった。
「西国街道筋なので、古い建物が多いです」
圭さんが説明してくれたが、それで納得した。
こうしてみると、熊野古道や西国街道、鯖街道など全国を結ぶ古道・街道ネットワークが簡単に出来る。熊野古道が世界遺産に登録されたのを機会に、何とかルートをつなげて整備し、国民にきちんと教えて欲しい。ともかく現状のままでいいから、ルートだけをきっちりと決め、残すところはきちんと残し、整備するところは徹底的にやる。
そんな事をやってくれる政府だったら、日本はもっといい国になるのにといつも思う。今は各県バラバラだから訳がわからなくなっている。

ことのついでに西国街道を調べてみた。
西国街道は、京都の東寺口を出て淀川西岸を西宮までをいう。このうちここ山崎までを「唐街道」山崎から西宮までを「山崎通り」と呼び分けることもあるらしい。
信長亡き後、明智光秀と秀吉が対決した山崎の合戦もここ山崎である。

圭さんが、北にある山を指さして、
「あれが天王山です」と教えてくれた。
それほど高くはないけれど、歴史を変える場となった山である。
川も道も、ここ山崎は歴史の上では非常に重要な役割をはたしている。
西国33カ所のうち、総持寺、勝尾寺、中山寺があるのでまた歩けるだろう。

さて、船をおろす公園先の河原にはすぐついた。最悪河原までを担いでの移動を考えていたので、時間が短縮されたのはうれしいかった。
早速カヌーを組み立てた。長いこと使っていないので、艇のスキンが縮んでいるため少し組みにくかった。
ここでうれしいことに圭さんがビールとお酒を持ってきてくれていた。
ところが艇を組み終わったあと、石か何かで缶ビールの缶に穴があいてしまった。
そこでやむなく(?)乾杯することにした。

漕ぎだし前のこのひとときはわくわくする。艇を組み終わり河原に下ろしたのは9時半であった。
ライフジャケットをつけ用意してこぎ出したのは9時40分であった。圭さんが写真を撮ってくれた。
ソロで行くときは景色は撮れるが、自身の記録が極端に少なくなるのでこれはうれしい。
熊野古道 淀川 カヌー下り  熊野古道 淀川 カヌー下り
 熊野古道 淀川 カヌー下り
(合流点に向かう:圭さん提供)
熊野古道 淀川 カヌー下り 
熊野古道 淀川 カヌー下り 川の合流地点にいったん艇を上げ、写真を撮った。
右が八幡市で石清水八幡宮のある方である。左手に天王山も見える。
漕ぎ出したが、無風、快晴、流れのスピードは思ったより速い。言うことなしのコンディションである。
久しぶりの長距離なので、最初はゆっくりと漕いだ。
周りの景色も、古からこうであったろうといえるくらいにいい雰囲気の川筋である。
ときおりヘラブナや鯉釣師が竿を出している。
桂米朝の落語「鯉舟」を思い出した。
流れの芯を探しながら順調に下った。
大きなゴミ処理場を抜けたのは10時15分、城島取水場は10時30分であった。


藤原定家もこの景色を見ながら下ったのだろう。
しかし、船に乗れない一般庶民は、西国街道か淀川左岸を歩いたはずである。
ルートを調べて歩いてみたい。
熊野古道 淀川 カヌー下り 熊野古道 淀川 カヌー下り