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大門~愛染堂~刈萱堂~奥の院~御廟前 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大門から ガイドブックでは、町石道は大門手前の7番までしかなかった。しかし、町石は大門の6番から1番まできちんとある。 6番は大門をくぐるとすぐにある。5番は餅屋さんの前にある。 大門から、高野のメインストリートを歩くと見つけられた。2番と1番は、塀の中にあり道からは見えにくいので案内板が立っている。 町石は、人々の生活に紛れ込んで少し支障を与えている感じの所もある。特に4町石は駐車スペースの真ん中に鎮座している。 最近の高野の町中を歩いて思うのが、、もっと統一感のある町並みにできないかということである。 この町が、飛騨高山のようにお店が統一したコンセプトで並んでいたらもっと観光客が来るのではなかろうか。元々寺のすばらしいたたずまいが続いているので、お店や住宅もそれに合わせたデザインにすれば、すばらしい町並みが作れるのではなかろうか。今からでも、町並みデザインをきちんとして立て替えなどの折りは、企画した町並みに合わせて作るようにしたらいいと思うが・・・。 下の写真のおまんじゅうやさんはよくはやっていた。 何となくおいしい感じがするのである。 ここ高野、そして吉野や熊野を世界遺産に登録するために運動をしているが、最初は登録万歳ムードでイベントなども絡ませると人が来るであろうが、問題はその後で、県民はいうに及ばず、訪れる人も世界遺産として守り抜く気持ちを持ち続けていく必要がある。 何十年スパンで考えて、手を加えるところはきちんとお金を出して手を入れ、あるがままにすべき所は可能な限り手を加えず、きちんと守っていく必要がある。 この日は夕暮れに近くなって雨が降り出した。 ライトアップすることを知っていたので、ちょうどいい時間を待ち、ライトアップの写真を撮った。 ・・・・このあと、2004年に世界遺産に登録された。 愛染堂から刈萱堂へ 九度山町の慈尊院から高野山奥の院へ続く表参道が、町石道である。 先に二つ鳥居まで歩いたので次のルートを行く予定であったが、当日は雨模様となり、急遽山内の大門から奥の院までの三十六町石を歩くことにした。 町石道は、天皇や法皇のご参詣にも使われたことから、御幸道とも呼ばれた。 山内の町石道は、根本大塔を基点として奥の院へ向かう道沿いに建てられている。 第一の町石は、愛染堂前左側にあり、安永2年5月(1773)に、女院大后が寄進したものという。 町石をチェックしながらいくと、単に歩くだけでは見えなかったものが見えてきて、新しい発見があった。 奥の院の、灯籠や五輪塔が林立する中でも、塔頂を見るだけで町石と判断できるようになった。 そしてその周辺の地蔵なども、以前より少し詳しく見ることが出来た。 二町石と三町石は参道沿いにある。綺麗に整備された参道で、大門から金剛峰寺に行く道筋でもある。 四町と五町は、金剛峰寺無料駐車場の前にある。駐車場があいていれば、ここに車を留め、大門まで行き戻ってくるとよい。 七町石は、「高野山を世界遺産」にという看板の下にある。 しかし、今の高野山は、世界遺産にされて、胸の張れるのは、お寺と一部の店舗だけで後は、妙に近代化されてしまい本来の情緒が薄れつつある。 住民も含め、官民一体となり、高野山の街作りを、50年、100年スパンで考えていって欲しい。 私が行った折りは、山内全域で電気工事をしていた。 地下化工事だと思うが、これで景観が良くなればいいのだが。 高野山は、電話線は地下化されている。その工事の時電力線はとうとう地下化せずじまいであった。 ヨーロッパの世界遺産の景観が非常にいいのは、電柱が少ないこともその要因となっている。 せめてメインストリートは無電柱化にして欲しい。これだけでずいぶん景観が良くなる。 (2004年の世界遺産登録をきっかけに山内は全面無電柱化となり景観がよくなった) 八町石から、十町石までは昔ながらのお店が多い。これらを眺めながら行くのは楽しい。 こうした本来の日本的な町並みは、世界遺産としても胸を張れる。 これからこうした町並みを保存発展させるための長期計画を立てて欲しいのである。 十七町石で一の橋に着く。ここからいよいよ奥の院である。 雨模様でもあり奥の院参道は薄暗く、ますます神秘的に見える。
奥の院 高野山奥の院は、地蔵さんが面白い。 様々な形の地蔵さんがあり、帽子を被せられたり、よだれかけを着せられている。 見ていて飽きない。 このころになると、周りに石塔が林立し、探しにくくなる。数字が飛んでしまって、行きつ戻りつしたところもあった。 特に二十五町石は探しづらかった。木に隠れてほとんど見えなかった。 汗かき地蔵の横にある、姿見の井戸がある。この井戸をのぞき込んで水面に姿が写らなかったら寿命がないといわれる。 私はのぞき込んでみたが、はじめは写らなくてびっくりした。 よく見ると写っていた。安心した。 二十六町石も見つけにくかった。 御廟前 二の橋を渡ると、眼前に奥の院の建物が見えてくる。 所々にツアーらしき人の群れがある。 三十四町石を越えるといよいよ脱帽撮影禁止である。 それをきちんと守って、御廟橋から奥の院の参道での撮影はしなかった。 力試しの弥勒石を提げている人々を撮りたかったが辛抱した。 町石は、二十八町石の写真でも分かるように、周りの石塔とよく似ているが、微妙に違うので、このあたりにくると見つけるのがうまくなっていた。 屋根のようなそりが小さく、なだらかになっている。 見つけにくいところを見つけた時はうれしい。 写真が撮れないので、スケッチをし休憩所で色を塗っていると、若い女性が、観光アンケートを取りに来た。 いろいろ聞かれた。 「このに来た予算はいくらですか?」 「500円」 「・・・・」 続けて、 「和歌山県の観光地の接客態度はどう思いますか?」 「悪い」 「和歌山はどのように変わったらいいと思いますか?」 「変わらなくてもいいです」 等々いろいろ聞かれた。 和歌山は、自然や施設は、特に変わらなくてもいい。 人が、この和歌山をきちんと守り育てる気持ちをいつも持つように、変わらなくてはならない。 特に世界遺産に登録されれば、なおさらである。 高野山はこれまで何度も来ているが、こうした目的を持ってきたのは初めてである。町石を目指して歩き、周辺をウォッチングしながら行くのはいい。 新しい発見がある。 私はこの日、撮影禁止の場所で失敗をやらかした。 三十五町石と三十六町石は、御廟前であり脱帽撮影禁止なのである。 そこで、御廟前の階段左にある三十五町石を、へたなスケッチをしたのだが、少し分からなかったところがあったので、再度見に行った。 そのとき檜の大木の根元にいいお地蔵さんがあったので、いつもの癖でつい写真を撮ってしまった。 それもストロボを炊いてしまった。その光を見つけられ、近くを通りかかったガイドさんに、「ここは撮影禁止」とたしなめられた。それまで、撮影せずに我慢をしてきたのに、ついいい景色があると習性が、シャッターを押してしまった。 懺悔、懺悔。
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