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串本 | ||||||||||||||||
串本港(1994年1月1日) | ||||||||||||||||
串本 久しぶりの串本の海は、よかった!! | ||||||||||||||||
1994年1月1日、暖かい正月であった。暮れからカヌーを連れて田舎の串本に帰り、串本港を漕ぐことにした。 穏やかな海であった。 気温も暖かく、漕ぐしかないでしょう、という感じで家の近くの船揚げ場からカヌーを組み立て、おろした。 ![]() 8時過ぎに漕ぎだした。大島を一周したかった。 エルトグルル号の沈没現場をカヌーで行きたかった。大島に架かる橋の下をくぐり、須江漁港を過ぎたころ沖を見ると、なんとかなり大きな白波が立ち岩に砕けていた。串本港は大島の陰に隠れて風もなく穏やかだったが、太平洋はやはり半端な波ではなかった。私のスキルではとても漕ぎきれないと判断し、引き返した。 帰りにルアーを流したが、水流がありルアーは船よりも前を水平になって流れた。これでは釣りにならない。 ほとんど漕がずに元の串本港まで帰れた。海の潮の流れがよく分かった。 次は大島港に向い船揚げ場に上陸し、コーヒーを沸かし飲んだ。大島港を出て九龍島に向かった。橋杭岩を丁寧に見て回った。 かなり昔、この辺で友人に連れられて船でムツを釣ったことを思い出した。 進路を九龍島に向けた。ここでセールを張った。 追い風だったのでほとんどパドルを使う必要がなく快適であった。キールがないので直進性がいまいちで、時々パドルで進路を修正しながら進んだ。 九龍島が近くなったころ、大島の島影から外れるが、外れたとたん波と風が強くなった。大島の存在が大きいのを感じた。 九龍島の前を岸寄りに進路を取り、田原港に向かった。 波は相変わらず高かったが、漕げないほどではなかったのでそのまま進んだ。 田原港にいったん入り、そのまま漕いできたルートを戻ることにした。電車で帰らなければいけないので、田原港からは駅が遠いのである。 少し強い向かい風と波に抗いながら漕ぎ進み、姫駅前の磯に着艇した。海岸で船をたたみ、カヌーと荷物一式をよたよたしながら姫駅に運んだ。 電車に乗ろうと思ったが、1時間ほど待たなければいけなかったので弟に電話をし、駅まで迎えに来てもらった。 魚は釣れなかったが、串本周辺の潮の流れや波の具合を知ることができた。また時間があれば漕ぎたいと思った。 |
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串本夏(2002年8月16日) | ||||||||||||||||
やっぱり串本の海は、よかった!! | ||||||||||||||||
お盆の16日、久しぶりに串本の海を漕いだ。KG-1を、上浦の漁港から出した。 前日に、船布の穴や縫い目のシールをしたので、その効果の確認もあった。 海は、台風が来ていることもあり、静かではあるがうねりがあり、岩礁地帯には白波が砕けていた。漕いでいても、うねりで景色が上下した。30分くらい漕いだ頃、沖合にスキューバ船が、走ってきて停泊し、ボンベを着けたダイバーが、次々に飛び込んでいた。 急いで近くに漕ぎよると、スキューバのインストラクタらしき人が、手を挙げてくれた。私もパドルで応えた。 車椅子の方も潜っているらしく、船には車椅子が残っていた。カヌーでボンベの泡を追いかけながら、カメラで海中を撮った。 思ったよりよく写っていた。写真では、オレンジのウェットスーツの人が、ブルーのウェットスーツの人を抱えて潜っている。こういうシーンはいい。 ハンデにかかわらず、スポーツをやる人が増えてくると、趣味の世界が豊かになる。欧米では日常的なことだが・・ 一通り、潜っていくのを見送り、私も潜りたくなったので、カヌーを岸に着け、シュノーケルで海中ウォッチングを楽しんだ。わずか2mほどの深さから海底に、珊瑚がびっしりという感じで根付いていた。私の子供の頃見た風景に近くなっていた。天敵オニヒトデも見えなかった。 水が思ったより澄んでいたので、太陽の光が海底まで届き、波のレンズが海底の光の帯を揺らしていた。 串本は、まだまだ捨てたものではない。 スキューバをする人たちが、「串本」「串本」というのがよくわかった。 この日は水温も高く、潜ってもあまり疲れなかった。一時間ほど、あちこち泳ぎ回った。目の前を通り過ぎる魚種は少なかったが、グレやボラなどの大きな群れが結構あった。残念だったのは、デジカメのレスポンスが魚の早い泳ぎについて行かないことである。もう少しスタンバイの素早いカメラがほしいと思った。 カヌーの防水シールは、完璧にできており、水は全く侵入してこなかった。あわよくば魚と思って、ルアーを流しながら漕いだが、うねりが高く船酔いしそうになったので釣りをあきらめた。 実際に漕いだのは、2時間くらいであったが久しぶりに串本の海を、満喫した。 |
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串本(1999年5月9日) |
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シーカヤックマラソンin串本 | ||||||||||||||||
熊野博協賛の、シーカヤックマラソンに参加したときの記録。このときは、エディーさんのシーカヤックを借りて参加した。 しかしこの艇、結構足が重くて前を行くフジタA-1を抜こうと思ったけれど抜けなかった。また他のにも結構抜かれた。 A-1に乗っていたのが女性で簡単に抜けると思っていただけにかなりショックだった。 はじめから自分のA-1で出たらよかったかなー。 でも前夜祭のレセプションも面白かったし、シーカヤックの形状でスピードがかなり違うことも分かった。それまではソロでゆったりと漕いでいただけに、海でレースをするしんどさも体験した。いつも海を行くときは、20km位は漕ぐのだが、タイムを競うとなると少しの距離でもかなり疲れた。 しかし早いのから遅いのから、いろいろなカヤックに混じって、わいわい言いながら漕ぐのは楽しかった。こういうのを毎年やってくれたらいいのにね。 |
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