2003/2 | |
小樽市塩谷の国道から南を見上げるとボンと座っているような山、それが塩谷の丸山だ。
夏に、遊君を背負って登ったときは、視界の無い樹林帯を進み、頂上直下の肩に出ると視界が開ける山だった。大して広いとは云えない山頂に、何十人もの人が賑わい、ワイワイと会話を楽しんでいる、そんな軽登山の代表的な山の印象が残っていた。 一年前に同じクラブの角夫妻が、滑ったと聞いていたので、「子供がいる時期でもないと行けないかな」と思い、いつものように家族三人で出かけた。 国土地理院の1/25000の地図(西小樽)でルートを想像するに、適当にどこからでも登れそうであったが、実際には下部はブッシュがひどく、北面の林道を最後までつめて沢筋を登り、樹林の少ないルートを選びながら肩に出て、真直ぐ頂上に向かうのである。 車止めまで進むと、もうすでに数人のパーティが上る準備をしている。 「結構、人気のある山なんだな・・・」と思いながら、駐車場スペースを探すが適当なところが無い。 車止めの20mほど手前に、『有料駐車場』の看板があり、そちらに向かってみると無人の料金箱と五台ほど駐車できるスペースに先着の二台のRV車。 料金箱といっても、食卓で使用する透明なプラスチックの茶碗いれが無動作に置いてあり、ダンボールの切れ端に「500円」と書いて添えてあるだけ。中に500円玉が数枚入ってるのが見える。 ま、変なところに駐車してひんしゅくを買うより、このほうがいいでしょう・・との美記の意見により、500円を払って適当に駐車する。 私たちが登山の準備をマゴマゴとしているうちに、次々と車がやって来て、あっという間に駐車場は満杯。そのうえ「やーや、こんなに来るとは思わんかった!!」と大声で叫びながら、地主らしい60歳前ぐらいのおじさんまでがやって来た。 おじさんは重機で除雪して駐車場を広げ、ホクホク声で愛想を振りまいている。多分5000円以上儲かったであろう。 登山ルートは最初は、はっきりとトレースのついた林道を登る。 あまり斜度が無いので帰りの滑降が心配だが、何人もの先行パーティが歩いたトレースは大変に歩きやすい。 最初の林道の分かれ道は右に取り、林道が無くなり目の前に急進な尾根が見えてくるところで沢つめにはいる。 我々の行動と前後して、中高年の男女の大パーティが行動していた。 遊君に「可愛いね」「いい子だね」とか話し掛けながら、自分達は山の話に花が咲いていました。 「先週、どこどこに云ったよ」「生きてるうちは登らなきゃ」「だれだれさん、毎週登ってるね」・・気が早く、まだ登り始めたばかりなのに「来週はだれだれと、どこどこへ行く」と次の山行のミーティングに入っている。 「どこかの会ですか」と聞かれたので「ロシェ」と答えるが、「どうもこの手の会話は勤労者山岳連盟系に多い会話だな・・・」と思ったら、あんのじょう札幌の「百松山岳会」でした。 百松山岳会は40歳以上しか入会できない中高年の本格的な登山クラブで、私たちに話し掛けた女性は『名前の「ゆう」って遊ぶですか」と質問してきた。 じつは一発で遊の漢字を当てた人ははじめてであったので、ちょっとビックリ。 「どうして分かったんですか」と美記がたずねると、「山がすきそうだから・・そんなとこかな・・と」回答。「鋭い」!!!見抜かれている。 どうも、勤労者山岳会系は仲間意識が高いようですね・・・ 沢を詰めて急進すると、突然ブッシュが少なくなり滑降に快適な樹林帯となる。 頂上に近くなるとボーダーのパーティやスノーシューのパーティなど、どこからか湧いてきたかのように人が増えてくる。結局、頂上では夏と同じように数十人に膨れ上がってしまった。 ちょうど山頂手前10mほどで急に視界が開け、青空と海が目の前に広がりました。(写真) 帰りは、来た道を適当に滑りながら下山しました。 なかなかいい斜面だった。★★ぐらいかも。登は2時間10分でした。 帰りは、滑降中に避け損ねた枝が、マッチの左肩にあたり折れました。 その弾みで多分、枝の一部が遊君の顔面に激突、遊君は泣き出してしまいました。 めったに泣かない遊君が泣いたのでマッチもびっくり、鼻の窪みが腫れています。 そのまま帰りは札幌に直行、休日当番病院の整形外科で見てもらい、お医者さんの助言で、そのまま耳鼻咽喉科にもかかりました。 結局、鼻の軟骨も問題なかったようですが、次回からヘルメットとゴーグルを着用することにしました。 マッチ「反省、反省」、その日の夜はちょっと暗い会話。「このまま続けたら、いつかは大きな事故になるかも」「もう遊君の冬山はやめようか」とか・・・・ |
![]() 山頂から見える、日本海 遊君を背負って滑る、マッチ |