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■BOOK REVIEW/ 今月の読書
読んだ本の備忘録。月二回、二十四節気ごとの更新をめざしています

2010年11月後半の読書

『奇跡の教室──エチ先生と『銀の匙』の子どもたち』伊藤氏貴=著/小学館/2010年
『コミック 昭和史』(全8巻)水木しげる=著/講談社文庫/1994年
『父のふるさと──秋田往来』三浦衛=著/春風社/2010年
『バウドリーノ 上』ウンベルト・エーコ=著 堤康徳=訳/岩波書店/2010年


『奇跡の教室──エチ先生と『銀の匙』の子どもたち』伊藤氏貴=著/小学館/2010年

 「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」。
 昭和9年、当時は“公立高校のすべり止め”と見られていた旧制灘校に国語教師として赴任し、教科書をいっさい使わず、中勘助の『銀の匙』を3年間かけて読むという、驚くべき授業を続けた「エチ先生」(学生たちの愛称)こと橋本武の半生と、その授業に接し、その後「教科書」のない実社会で活躍する教え子たちを追ったドキュメントだ。

 それにしても、『銀の匙』をどうやったら3年もかけて読めるのか……その答えは本書を読んでいただくしかないが、たとえば、普通ならなんのことなく読み流してしまう情景描写を、エチ先生はとことん追う。授業はいたるところで脱線し、横道に逸れていくのだ。しかも、その逸れ方が半端ではない。不思議なことに、彷徨い途方にくれた子供たちの視線の先に、『銀の匙』の世界が、また、ふっと戻ってくる。

 『銀の匙』は新聞連載だったので、各章が短く、表題のかわりに数字が記されているだけだ。エチ先生は、各章を読み終えたあとに、生徒たちに独自の表題をつけさせる。さらに各人がつけた「自分で決めた題」をプリントに書き込んだあと、それを各自が発表して議論し、最終的に“みんなの結論”としての統一表題を書き込む。
 冬休み、エチ先生が課した宿題は、幼いころの思い出を回想して「自分の『銀の匙』」を書くことだった。エチ先生は、生徒の随筆を手書きのガリ版刷り文集にまとめ“『銀の匙』研究ノート”が生まれる。そして、その“研究ノート”を通じて、作家・中勘助その人との交流も生まれる。

「正解を書いてほしいとは思っていないんです。自分がその時、ほんとうに思ったことや言葉を残していけばいい。そうやって自分で見つけたことは、君たちの一生の財産になります。そのことは、いつかわかりますから──」

 教育の基本は、ごくシンプルなものだと思う。子どもに「あんなすてきな大人になりたい」と思わせるだけでいい。「ものを知っている」ことで人を見下し、差別するような人間ではなく、知識や教養自体を楽しみ、そして周りも楽しくするような「大人」の教えることなら、子どもたちは夢中になって覚える。エチ先生は、まさにそんな「大人」なのだ。

 おそらくエチ先生は、授業が楽しくてしかたなかったのだろう。先生は、巣立っていく生徒たちにこんな餞(はなむけ)の言葉を贈る。「これから君たちに何かあったら、ぜひ手紙をください。私も手紙を書きます。そして、これからはぜひ、一対一で会いましょう」。 こんな衒(てら)いのない言葉を語れる大人が、いまの世にいったい何人いるだろうか。


『コミック 昭和史』(全8巻)水木しげる=著/講談社文庫/1994年

 このBOOK REVIEWでは、すでに『水木しげるの 娘に語るお父さんの戦記』をとりあげているが、『コミック 昭和史』の存在感は圧倒的だ。大正11年3月に鳥取県の境港市で生まれた水木の半生は、そのまま『昭和史』と重なる。空前絶後のスケールで展開されるこのマンガは、『昭和史』を俯瞰する大河小説のような歴史ドラマと、地を這うように「昭和」を生き抜いた自伝が分かちがたく縒り合わされており、しかもその狂言回しが「鼠男」という一癖も二癖もあるキャラクターに担われる。

 「鼠男」はポツダム宣言や御前会議の場にまで現れ、時に野次を入れ、時に茶化しつつ、巧みに歴史の流れを解説する。単にページ数がすごいだけではない。水木のマンガは一コマ一コマの凝縮力、情報量がすごい。ラバウルの死地に送られ、片腕を失い、生死の境をさまよう自らを、水木は冷徹に描きあげる。九死に一生を得て帰還しても、「大本営には“全員玉砕”と打電してしまったから、生きて戻ってこられては困る」と、新たな「死に場所」に送られる。熱帯ジャングルの絶望的な行軍を、テクストだけでここまで濃密に伝えることは不可能。まさにマンガならではの醍醐味だ。

 同時に「マンガ」は入れ子的に時代の空気を活写する。どんなに戦争を憎み、否定しようと、連合艦隊出陣の威容や、敵味方入り乱れての空中戦を描く水木の筆は、戦時少年を熱狂させたペン画家・椛島勝一のタッチとなる。少年の日そのままの興奮が絵からじわじわと伝わってくるのだ。出口のない恐慌と閉塞感の中、戦争に活路を求めた庶民の偽らざる心情が、画の隅々から感じられる。水木の歴史理解は深い直感と洞察に支えられ、安易な歴史観に流されない。戦争を憎んでも、その中で死んでいった一人一人の人間への哀悼を決して忘れないのだ。まさに愛憎入り交じった「昭和史」であり、「昭和」という表現でしか形容できない時代が、恐ろしいほどの存在感をもって描きあげられる。

 水木の「飢え」との闘いは、戦後も終わることはなかった。紙芝居画家から多忙を極める超売れっ子になるまでの戦後史が、戦中の経験にも増して印象的だ。水木のタッチも、戦後は「カストリ雑誌」のいかがわしさと陰翳を反映する。ストーリーだけでなく、画風やタッチの変化自体に、「入れ子」のように昭和史が刻まれていく。

 かつての鬼軍曹や戦友と再会し、再びラバウルを訪ねる旅も忘れがたい。「犬死に」としか形容できない友の遺骨を弔い、生死の境から救ってくれた現地人を訪ねる旅のなか、水木は、死地からおのれを救い守ったのが妖怪たちだったことを痛感する。戦中の過ちと犠牲を忘れ、繁栄におぼれる高度成長期の日本で、一人妖怪を描き続ける水木の深い諦念と感慨が全編をつらぬく。


『父のふるさと──秋田往来』三浦衛=著/春風社/2010年

 本の中身も印象的だが、装丁家としてのわたしは、まず造本に目を奪われてしまう。
 グラシンの巻かれた、清楚な白い夫婦函を開くと、内側は深い緑で刷られたぜんまいの絵で彩られている。布や和紙を思わせる紺色の紙に金箔押しの表紙には、なんと“チリ”がない。見返しを開くと、和紙風の紙にユーモラスなフクロウの絵が刷られ、「讃」というべき佐々木幹郎の序詩「そんだらごど言ったって」が続く。

 本文は岩田活字で組まれ刷られている。ほんものの活版印刷だ。OpenTypeフォントの「イワタFont」が失った気品あるプロポーションと表情が甦る。写植時代に、本来タテ組用に作られた和文書体をヨコ組にも使えるように改刻したため、多くの名書体が台無しになってしまった。五号の岩田活字はここまで美しかったのだ! 見出し明朝の抜けるような均整にも溜息が出る。

 いまや日本中探したって活版で本文組をする印刷所など見つからない。唯一思い当たるのが、この本の組版・印刷を担当した内外文字印刷だが、それでも通常は「俳句・短歌のような、文字量の少ない仕事しか手がけない」と聞いていた。その内外文字印刷が書籍本文を丸々活字で組んだ。「英断」という以上に「蛮勇」という他はない。本文組はじつに十年ぶりの作業だそうで、著者以上に、内外文字印刷の社長自身が感涙にむせんだという。

 春風社社長の三浦衛は、軽妙で味のあるエッセイでも知られる(前作『出版は風まかせ──おとぼけ社長奮闘記』参照)。本作でも、第三部の「夢」のように、含羞と妄想とエロスがごった煮になった三浦ならではのテイストは健在だ。とはいえ本作一番の読みどころは、第一部「父のふるさと」の、重く、深く、暗い秋田の冬を思わせる粛然としたトーンだろう。前作『出版は風まかせ』にも、出身地・秋田の思い出が断片的に綴られてはいたが、本作では、故郷と幼年時代への愛憎入り交じった哀切きわまりない思いが全編を覆う。
 佐々木幹郎の序詩の一節が、そんな墨絵のようなトーンをみごとに写す。

それなら 馬を呼んどくれ
男たち数人に囲まれて マサカリで眉間を割られて
倒れる馬の 空を切る足の先に
あのとき なぜ まぼろしが
ひとつ ふたつ 跳ねたのか

それがふるさと
「どお!」
「ばあ!」
何度叫んでも 誰もいない

*追記(12/14)
 粗忽にも『父のふるさと 秋田往来』の栞として同封されていた『本のふるさと』を失念していた。造本の特徴と工程が詳細に記され、用紙と印刷のデータも記されている。わたしの目がいかに節穴であるかを懺悔するためにも、この栞を参考に「追記」という形で補筆・訂正したい。

 特徴ある函は、一般には「夫婦函」といわれるスタイルだが、栞には「身と蓋の部分がくっついているから」「身と蓋(みとふた)函」と記されている。内貼紙の版画は「わらび」を描いたもの。本文印刷を活字で組める印刷所は、内外文字印刷だけではなく、関西にももう一社あるそうだ。小見出しに使われた書体は岩田の18ポイント明朝。とにかく「力強く、凛々しい」。化粧扉の和紙風の紙は「テーラー」という銘柄だそうで、まったく知らなかった。ぜひ一度使ってみたい。

 以上の如きこだわりの造本・資材・工程からして、「一般人には手の出せない特装本」かと思いきや、さにあらず。値段を見て我が目を疑った。定価(本体1,905円+税)。税込ジャスト2000円だ! ありえない! 出血大サーヴィスどころじゃない! 神保町の東京堂書店を覗いたら、本当にこの値段で目立つ場所に平積みされていた。本好きの知人にすすめまくっている。


『バウドリーノ 上』ウンベルト・エーコ=著 堤康徳=訳/岩波書店/2010年

 絵物語のような「神童」は実在する。ロジェ・シャルチエ編の名著『書物から読書へ』に記されている貧農出身の羊飼いジャムレ=デュヴァルのように。
 独学で本を読み始め、修道院を転々としながら読み書きを覚えたジャムレ=デュヴァルは、プフュッツシュネール男爵との出会いを機にパリへと送られ、アカデミーの司書を経て歴史・古代文明の教授となる。エーコの最新長編小説の主人公バウドリーノが、ジャムレ=デュヴァルをモデルに着想されているのは間違いない。

 貧農の息子だが、並外れた語学と文芸の才能、それ以上に「法螺吹き」の才を持っていたバウドリーノは、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ赤髭王との運命的な出会いを機に、自身の才能を開花させていく。上巻の主な舞台は、第四回十字軍によって蹂躙されるコンスタンチノーブルだ。
 窮地にあったビザンツ帝国の歴史家ニケタスを救ったバウドリーノは、自身の半生を彼に語る。東西教会の対立だけでなく、それぞれの内部での血で血を洗う権力争いの中、才知を絞って生き抜き、また故郷を残忍な破壊から救おうとする彼の処世術は「法螺吹き」だ。だが「法螺」は単なる「法螺」ではない。教皇も皇帝も、自身の権威を築き上げるためには「法螺」に頼る以外にない。

 バウドリーノは「司祭ヨハネの手紙」を捏造し、フリードリヒの権威を固めようとするが、その矢先、まったく別の「司祭ヨハネの手紙」が流布する。その内容は東ローマ皇帝を称揚するものだった。冷戦時代さながらの東西の謀略戦の中で、個性的な逸材たちがバウドリーノを支え、暗躍する。青春物語あり、血湧き肉躍る戦いあり、謀略あり、放蕩あり、そしてアベラールとエロイーズ、トリスタンとイゾルデさながらの禁断の恋まで登場するとあっては読者はたまらない。

 絢爛たる絵巻を見るような豪華さはエーコならでは。あまりの密度に「読み飛ばし」など不可能だ。いったい下巻はどう展開していくのか、楽しみは尽きない。