Katsuragawa,Jun's Book Design

■ 装丁した本・一覧

これまで装丁を手がけた本、約1800冊から、
ジャンル別に、印象に残ったものをとりあげてみました。

●「装丁」、「ブックデザイン」について

「装丁」と「ブックデザイン」。いずれも書物の意匠と構造を案出する作業を指すが、その語感は微妙に異なる。

 「装丁」は「装幀、装釘、装訂」とも書かれ、好みに応じて使い分けられている。広辞苑によれば「装訂→装(よそお)い、訂(さだ)める」が本来だそうだ。「装丁」と同じくらいの頻度で使われる「装幀」には“軸物の表装”といった語感がある。私自身は、「丁」が書物の頁(正確には書物の紙一葉。表裏二頁)の意味を持つことと、すっきりとした字形が好きで、版元からどの表記にするかと訊かれたら、「装丁」とお願いしている。
 最近の出版界で「装丁」というと、たいていは「本のジャケット、表紙、本扉、帯」といった外まわりのデザイン(+装丁資材の指定)を指す。一方「ブックデザイン」というと、これら外まわりのデザインに加え、判型、版面、見出しや本文の書体、本文用紙の指定など編集的要素を含めた「本のトータル・デザイン」という語感が加わる。手がけた仕事では、外回りだけの作業、本文もふくめた作業が混在しているが、以下、「装丁」という語で一括りに話を進めたい。

 2008年の日本の年間出版点数は約8万冊。1日に220冊もの新刊が出版される状況だ。売れるから点数が増えるのではない。売れないから新刊の納品で帳簿上の収支を合わせ、あわよくばベストセラーを狙うという出版ラッシュとなっている。こうした出版点数の増加が、生煮えの企画と返本率を増やし、版元の経営をさらに圧迫する悪循環を招いてしまう。

 独特の装丁で知られた故・田村義也さんは名編集者であり、「装丁は編集の帰結であり、画竜点睛である」と常々語っていた。かつては編集者によるすばらしい装丁が少なくなかったが、これほどの出版量となると、装丁への目配りどころか、編集作業自体、納得のいくレベルを保つのが難しい。おまけに新刊の洪水のなかで本を際だたせるには、デザイン的、広告的技術が不可欠となり、「装丁」は「編集」から独立したジャンルとして注目されるようになった。

 「装丁」が注目されるもう一つの理由は、インターネットなど電子情報との関係だ。流動するテキスト群として、いわば“身体”をもたない電子情報に対し、書物は、“物”化したテキスト、“受肉したテキスト”である。インターネットで流布されたテキストも、書物に“物”化するとまったく別な性格を帯び、五感を通して感受される。電子情報がどんなに増えても、紙と活字による書籍がなくならない、と少なからぬ人が考えるのは、そんな理由からだろう。

 この仕事をしていて、いつも感じるのは、数ヶ月〜数年以上にわたって書かれ編集されたテキストに対し、せいぜい数週間、下手をすれば数日で装丁しなくてはならないことの厳しさだ。トップクラスの装丁家は年間300冊以上をこなす。細々とやっている私でも年間百冊以上担当しているので、単純計算なら三日で一冊のペースだ。テキストを読み込んだり、打ち合わせや色校正などにとられる時間を差し引けば、純粋に装丁作業に没頭できる時間は一〜二日程度。このわずかな時間で、著者や訳者、版元の期待にこたえ、未知の読者にアピールする「本の顏」を形作らなくてはならない。

 装丁が出来上がる瞬間を説明するのは難しい。装丁はテキストへの共感ではあっても「解説」ではない。完成までのプロセスを論理的に説明できる装丁が、成功したといえないことも多い。
 つまりは、テキストを「書物」として「かたち」に定着させる極度の緊張感と、それが成功したときの喜びが忘れられなくて、この仕事を続けているのかもしれない。装丁にデザイン的、広告的要素は欠かせなくなっているが、書物の装丁は、CDのジャケット・デザインや商品のパッケージ・デザインとは異なる「何か」が要求されると思う。それは、テキストを読み込む感受性と緊張感=〈共感と批評〉ということではないだろうか。


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