風葉和歌集〜日本最初の『物語歌集』



『風葉和歌集』は、文永八年(1271)十月の鎌倉時代後期に、 後嵯峨院の皇后・大宮院(西園寺姞子)の命令によって選進された和歌集。

平安時代の末〜鎌倉時代初期の『物語』の優れた和歌を集め、詞書、和歌、詠者名(歌を読んだ登場人物)を記した、とても珍しく、かつユニークな作品です。
全二十巻、約二百編の物語から、和歌千五百種あまりを収録した大作ですが、 現存するのは二十巻のうち十八巻のみ。 大宮院のサロンの女房たちが選抜した物語歌を、藤原為家が選者となってまとめたものだと推定されています。

現存する『中世王朝物語』(中世に書かれた姫君と貴公子のロマンス)のうち、十二編の物語の和歌が載っています。

「浅茅が露」「有明の別れ」「岩清水物語」「いはでしのぶ」「今とりかへばや」 「風につれなき」「苔の衣」「雫に濁る」 「住吉物語」「むぐら」「我が身にたどる姫君」「松浦宮物語」です。

他の大多数の物語は散逸してしまい、現在は残っていませんが、『風葉和歌集』の詞書と和歌、詠者名などにより、ある程度どういうストーリーだったか復元す る事が出来ます。
風葉和歌集が成立した後、鎌倉末期〜室町時代に作られた『中世王朝物語』は、 現存するもの十八編。

「あきぎり」「海人の刈藻(改作版)」「風に紅葉」「木幡の時雨」「恋路ゆかしき大将」 「小夜衣」「しのびね(改作版)」「しら露」「夜の寝覚(改作版)」「夢の通ひ路物語」「兵部卿物語」「八重むぐら」「別本八重むぐら」「山路の露」 「松陰中納言」「初瀬物語」「葉月物語絵巻」「錦木物語」です。

❖『風葉和歌集』の時代❖

承久の乱(1221年)の後、幕府の意向により即位した後嵯峨院天皇(院)の時代には、第一皇子宗尊親王を鎌倉幕府の最初の皇族将軍にするなど、幕府と融 和を計り、 争乱のない平和な時代が到来しました。

后妃である西園寺実氏の娘・姞子(大宮院)は後深草天皇と亀山天皇を生み、二代の国母と讃えられ、 荒れた王朝世界の復古のために、二つの勅撰和歌集が編纂され、歌合わせなどが繰り返し催されました。

しかし、文永三年(1266)には、皇族将軍宗尊親王が将軍の地位をはく奪されたり、 文永四年(1267)には、蒙古(元)の王の使者が来日し、国内に緊張が高まりました。

『風葉和歌集』が編まれた文永八年(1271)十月には、ついに幕府に「十一月まで無回答なら日本を侵攻する」という国書が通達されました。

その一年後の文永九年(1272)に後嵯峨院が急死し、とうとう文永十一年(1274)と弘安四年(1281)に元寇が勃発。

そういう動乱の迫る状況の中、数年の歳月をかけて和歌集の編纂が行われたのでした。


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