問題48(読書)の答え・・(c.ただちに読むのをやめて捨てる)が正解です。

「読んでいるうちに、これは読むに値しない下らない本であるとわかるものがあったら、その本はただちに読むのをやめて捨てる。せっかく買ったのだからなどとケチな根性を起こして無理して読むようなことは絶対にしないほうがよい。お金を損した上、時間まで損することになる。以後下らない本を買わないですますための授業料を払ったと思って、いさぎよく捨てるのがよい。もちろん、前に述べたように、読まないで終わりまでページだけめくっていくということはしておいたほうがよい」と『「知」のソフトウェア』の100ページに指摘されています。ただ、この文章では、ただちに捨てるのがいいのか、終りまでページだけめくっていく方がいいのかはっきりしません。その辺は、読者が判断する必要があるようです。

同書ではさらに、「読んでもよくわからないという本(わからない部分をとばし読みすればすむというのではなく、全体的によくわからない場合)も、やはり読むのをやめたほうがよい。その本の内容にまだあなたの頭がともなっていないのだから、無理をする必要はない。もしかしたら、その本を理解できるようになったときに、その本がまったく下らない本であることを発見するかもしれない」とも述べられています。通勤電車の中で読んでいる本の中にわからないところがあって、繰り返し読んでいるうちに眠くなり、本を持っていた手の力が抜けて、本が閉じてしまったり、落としたりしたことがありますが、わからない本を無理して読んでも仕方がないということがわかるとずいぶん気が楽になりました。

翻訳書にはわかりにくい本が多い

立花氏は、「翻訳書には、読んでいてもよくわからないという本が非常に多い。・・・翻訳書の場合、世界的名著、歴史的名著の誉(ほまれ)高い書物であっても、読んでもさっぱり分からないという本は珍しくない」と指摘しています。翻訳書を理解するのに苦労したという経験をお持ちの方は多いと思います。特に、海外の専門書を、翻訳の経験のない、その道の専門家が翻訳した場合に、わかりにくいことが多いようです。有名な翻訳家の鈴木主税(ちから)氏でさえ、「(哲学者の)フーコー、デリダ、ラカンといった人たちについて書かれたものは、ほとんどが理解できない」と『私の翻訳談義』(河出書房新社、90ページ)で指摘されています(この本は翻訳を目指す人にとって必読だと思います。私が『「知」のソフトウェア』のことを知ったのもこの本の122ページに載っていたからです)。

『誤訳、悪訳、欠陥翻訳』(別宮貞徳(べっく・さだとく)著、「ベック剣士」と自称されています、バベル・プレス)という本には、読みにくい訳文や誤訳の実例が多数紹介されています。この本の218ページに、読みにくい訳文の例として、ハイエク(ノーベル賞を受賞した経済学者で、私が握手したことがある最も有名な人です)著『市場・知識・自由』(田中真晴、田中秀夫編訳、ミネルヴァ書房)という本が紹介されています。最初にベック剣士の試訳、次にその本の訳、さらに原文を引用させていただきます(ハイエクはオーストリア出身であるため、原文が英語なのは変な気もしますが、『誤訳、悪訳、欠陥翻訳』では英語の文章が原文として紹介されていました)。

(ベック剣士試訳) ドイツ人は、どこから見ても個人の意識的な所産である「独自の」個性を発達させることにこだわります。その点でドイツの知的伝統は、合理主義的な意味での「個人主義」をとりわけ好んでおり、それは他の国には類を見ないものです。

(田中真晴、田中秀夫編訳) ドイツ人の知的伝統は、合理主義的語義で、すべての面で個人の意識的選択の産物である「独創的な」人格の発展を固執することにおいて、他の国ではほとんど知られない一種の「個人主義」をたしかに偏愛する。

(原文) In the rationalistic sense of the term, in their insistence on the development of "original" personalities, which in every respect are the product of the conscious choice of the individual, the German intellectual tradition indeed favors a kind of "individualism" little known elsewhere.

二番目の訳文のような文が延々と続いている本を読むのは、時間の無駄だということがわかると思います。


上で紹介したことのほかに、『「知」のソフトウェア』に紹介されている読書の心得のうち参考になることを以下で三つ紹介します。

1. 本は消耗品

ノートを取ったり、カードを作ったりするのは、時間がかかりすぎるのでやめた方がいいと101ページに書いてあります。立花氏の見方では、1冊の本をノートを取りながら読む時間で、ノートなしで5冊の本を読むことが可能だそうです。「普通の頭であれば、ノートなどとらなくても、ほんとに大事なことはちゃんと頭に残っているものである」そうです。ただ、この種の記憶は一般にぼんやりとしたものであるため、「大事と思うところは、線を引いたり、ページを折ったりして目印をつけておくとよい。本は消耗品と心得、ケチケチせずに汚しながら読むべきである」。

かみさんがお世話になっている大学の先生から、かみさんがお借りした本を見て感心したことがあります。その先生の目印の線は、1行ずつ引いてあるのではなくて、縦書きの本の上の余白に、横にかなり長い線によって、段落単位くらいの感じで、かなり長い部分に目印を付けるというものでした。後から見直すときに、どうせ読み直すことになることを考えると、これもかなり頭のいい方法ではないかと思います。

本をあまり汚さないで目印を付けることができるのが、張り付けたりはがしたりできる付箋(ふせん、代表的な商品は 3M の「ポスト・イット」)です。ただ、ポスト・イットは、上に文字を書くことが前提となっているために、サイズが大きく、あとから読むときにじゃまになります。私は、六本木に飲みに行ったときに、なぜか夜の六本木で営業していた輸入文房具店で偶然みつけた、「Redi-Tag」という幅3mm、長さ2cmのプラスチック製の付箋を愛用しています。この付箋は、12枚が1枚の台紙に張り付いており、この台紙は本の表紙の裏などに張っておくことができるため、筆記用具を持たないときでも、本に目印をつけることができます。ただ、この付箋は東京の文具店ではもう手に入らなくなったため、買い置きがなくなったときに、個人輸入しました。

また、立花氏は「もう少しはっきりした記憶を残しておきたいときは、表紙(表でも裏でもよい)の見返しに、ページと事項を簡単にメモしておくというのもよい」(102ページ)と指摘されていますが、私も、あまりなじみのない言葉が多数でてくるような本の場合にこの方法を大いに活用させていただいております。

2. 速読に必要なのは精神の集中

「速読術の本などを読むと、目の動かし方とか、とばし読みができる箇所の見分け方とか、瑣末(さまつ、引用者注:取るに足りないこと)なことが書いてあるのが常である。こういうものをいくら読んでも速読ができるようにはならない。速読に必要なのは、ひとえに精神の集中である。それ以外に何の訓練もいらない。・・・ただひたすら雑念を捨て去り、目の前の文章に精神を集中する。それ以外に何も視野に入らず、どんなに物音がうるさい場所にいても耳には何も聞こえず、文章の意味以外の思念(しねん、引用者注:考え)が頭に全く浮かんでこずという状態にまでいたると、突然驚くほどのスピードで、目が走っていくようになる」(14ページ)そうです。最終的には、「いま自分は目で文字を読んでいるのだという自意識が消える・・・。それでも意味は一貫して継続して流れ込んでくる」ようになるそうです。

ただ、「最初に速読を求めてはならない。速読は結果である。むしろ精神集中訓練に役立つのは、きわめつきに難解な文章の意味をいくら時間がかかってもよいから徹底的に考え抜きながら読むことである。・・・・哲学書がこういう訓練には手頃な対象としてよいだろう」ということですが、「ともかく、こういう訓練は若いときにやっておくべきである。年をとってからは効果も薄いし、時間のムダになるからやめておいたほうがよい」そうです(16ページ)。

そうだとすれば、年をとっても、読書速度の遅い私の場合には、現在の速度でいくしかないようですが、若い方は、まだ可能性がありますのでがっばってみてください。ただ、私も学生時代に、問題44(生き方)の回答でご紹介した、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』(みすず書房)という本の第1巻を4カ月かけて、苦労して読んだことがあります。これは、速読には役立たなかったのですが、現在でもこの本は私の考え方の基本となっています。

3. 読むに値する本を読む

「(毎日・・・・)新聞雑誌以外のまとまりのある書物を読む時間をどれだけとることができるのか。その時間に自分の読書能力と平均余命(引用者注:平均的にみてあと何年生きられるか)を掛け合わせるという簡単な計算で誰でも自分が残りの人生であと何冊くらいの本が読めそうかはすぐにわかるだろう。相当に本を読む時間をとっているつもりの人でも、それは驚くほど少ないはずである。・・・だとするなら、本を読もうとするときに、それが自分が死ぬまでに読める残り何冊の1冊たるに値する本であるかどうかを頭の中で吟味してから読むべきである」(12ページ)。

読書は楽しみであり、楽しい本であれば、何でも読むという人もいます。それは、一つの考え方でしょうが、私の経験によれば、自分の人生にとって役に立たない本のことは、いずれ忘れてしまうようです。忘れてしまうようなことに、貴重な時間を使うのはもったいないことだと思います。

また、読書で得たものをアウトプットするためには、さらに時間が必要になります。「2時間で読み終えるようなちゃちな本でも、書く側は100時間から200時間くらいかけている。したがって、・・・・・・自分の残り時間をインプットとアウトプットの間でどう配分すべきかということをまず考えなければならない」(22ページ)ということになります。

(2000年9月9日)

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