問題 28 (警察) の答え、a. b. c.がともに正解です。

a. この事件の捜査は、思想犯捜査が専門で、秘密捜査が原則となっている公安部が担当した

日本の警察では、刑事事件の捜査は、通常刑事部門が担当しますが、新左翼セクトや右翼団体が背後にある政治テロ事件である可能性が高い場合は、公安部門が担当するそうです。国松長官狙撃事件の場合には、政治テロである可能性が低いにもかかわらず、公安部門が捜査を担当することになったそうです。これは、刑事部が、狙撃事件発生の10日前の3月20日に発生した「地下鉄サリン事件」の捜査に全力を挙げて取り組んでいたため、狙撃事件に人員を割り当てる余裕がなかったことが原因だったようです。そのため、井上警視総監(国の警察行政機関である警察庁とは別に、各都道府県には都道府県警察本部が置かれています。東京都の都道府県警察本部が警視庁で、東京都の都道府県警察本部長は、首都圏を担当するという特殊性から警視総監と呼ばれています)は、この事件の捜査は公安部が担当することを決定しました(同書30ページ)。この決定が、その後この事件の解決にとって大きな障害となったようです。

第一の問題は、公安事件と一般刑事事件とは、捜査手法に大きな差があるという点でした。「公安部門の捜査員にとってみれば、容疑者を見つけるなりすぐ逮捕して、その背後にいる支援者や組織的実態に関心を持たない刑事部門の捜査手法は『警察官でなくてもできる』という意識があるようだ」と同書は指摘しています(31ページ)。ところが、「その裏面は完全な『見込み捜査』によって固められている。白紙の状態から事実の断片を積み上げ、被疑者に迫る刑事部的アプローチとは全く正反対」だそうです(31ページ)。このような捜査手法の相違もあって、警察組織の内部で両部門は鋭く対立しているそうです。

この対立をさらに激化させているのが、公安部門が警察庁採用のキャリア組にとってエリートコースとなっている点で、「現に、公安経験のないキャリアが最高幹部にまで上り詰めた例はまったくない。また、………公安部門の捜査員のエリート意識は根強く、刑事をはじめとする他部門の警察官を見下す者が多い」(同書30ぺージ)そうです。

同書によれば、「公安部門は、教団の組織的犯行説一本で突き進んでいった」(32ページ)そうです。しかも、公安部門の捜査は通常秘密裏に行われるため、自白したという事実の公表も遅れたようです。

b. 自白内容の信ぴょう性について

同書の最後の部分に付録として、小杉供述の要旨が掲載されています。これを読んだ印象としては、非常に詳細かつ、説得力のある内容のように思えます。ただ、その内容を検証すると多数の疑問が生じるようです(同書149ページ以下)。

第一の疑問 ―「クリスマスツリーのような木」
犯行当日の集合場所にあったという「クリスマスツリーのような木」は、自白に基づいて犯行現場から1キロ以内にあったヒマラヤ杉であったことが判明しましたが、犯行当時(95年3月)には、前年秋に剪定されたままで、ほとんど葉の落ちたものであったと推定されるため、とても「クリスマスツリー」のようには見えなかったと考えられるようです。

第二の疑問 ― 事件前日に試し撃ちが行われた場所にあったとされる「自動車のドアはロックして下さい」という看板
警察が江戸川河川敷のある特定部分が、試し撃ちが行われた場所であると判断する際の、重要な決め手となったのは、現場にあったとされる「自動車のドアはロックして下さい」という看板でした。ところが、この看板が立てられたのは、事件発生1年後の96年4月であることが判明しました。さらに、その場に捨てたとされる、空薬きょうも発見できませんでした。

第三の疑問 ― 狙撃場所にあったレリーフ
狙撃現場(銃を発射した場所)にあった、格子枠に刻み込まれた複雑なレリーフの模様を、事件後1年以上も経ったにもかかわらず、捜査員の求めに応じて、小杉容疑者は描くことができたそうです。

このような、矛盾を一挙に解決する可能性のある、警視庁幹部の話が同書に取り上げられています。この幹部は「小杉は現場に行っています。証明できます。ただし、それは96年5月の供述開始以降、公安部員に同行されて、です」と語ったそうです。さらに同幹部は、「小杉の供述があいまいな面が多いため……小杉を外出させ、こっそりとアクロシティー(引用者注、犯行現場)周辺を連れ回し、供述内容の詳細な「詰め」を敢行した」とも指摘しているそうです(同書154ページ)。

このように容疑者を現場に連れて行くのは(捜査用語では「引き当たり」というそうです)、通常供述内容のうち、容疑者しか知り得ない内容の確認のためであり、肝心の供述があいまいな状態にある容疑者を連れ出すことは「まったく信じがたい。供述の任意性がパーじゃないか。供述の価値をゼロにしたに等しい」と刑事部のある捜査員は語ったそうです(同書154ページ)。

もし、これが事実だとすれば、自白調書の信ぴょう性には疑問が生じることになります。

c. 一連の事件の責任を取って辞任した井上警視総監がこの件は内密にするよう指示していた


内部告発によって、自白しているという事実が公になったために、96年10月26日に、警察庁会議室で小杉供述の詳細を、警察庁の警備、刑事局の幹部に報告した、警視庁公安部長・桜井勝氏は「一連の対応は、私個人や公安部単独の意志ではない。公安部が独断で隠蔽(いんぺい)工作をしたとか、暴走したとかいう話とは本質的に違う。………小杉供述に関する方針は井上警視総監が決定したことなのであって、警視庁全体の意向という認識でいてもらいたい」と語ったとされています(79―80ページ)。井上警視総監は、小杉供述に対して一貫して否定的な見解を明らかにしていたそうですが、特に親しい関係者に対しては「クロであるはずがない。絶対に違う」と言い切っていたそうです(80ページ)。

同書は「首都の治安を守るべき警察官が、その職務を指揮する最高幹部を狙撃した犯人だったとすれば、警視庁にとってこれほど悲劇的で自己矛盾的な結末はないだろうと思われた」と指摘しています(56ページ)。井上警視総監の思い込みはこの悲劇を認めたくないという心理が背景にあったと考えるのが自然でしょう。さらに、これが自己保身のためであったと見なされても仕方がない行動と考えられます。

公安部が、オウム真理教団の組織的犯行説一本で突き進んでいき、小杉が拳銃を捨てたと言い張る、JR水道橋駅近くの神田川の徹底捜査を願い出ていたにもかかわらず、内部告発で自供したことが公になるまで、その捜査が行われなかったのは、警視総監が反対したためであったようです(92ページ)。

外部から見ると、一枚岩に見える警察も、内部はばらばらで、幹部のめちゃくちゃな論理で、捜査が中止されるようなことがあるとすれば、法治国家としては、極めて大きな問題ではないでしょうか。

結局、小杉はオウム真理教に捜査情報を提供したという地方公務員法違反容疑で97年1月10日に書類送検され、狙撃事件については、起訴されませんでした。

この本の出版がもたらした波紋

問題の回答は以上ですが、最後にこの本の出版がもたらした波紋について触れておきましょう。同書の中で、86年に発覚した日本共産党国際部長宅盗聴事件が公安警察の非公然組織「チヨダ」の犯行だと指摘している(121ページ)点に関して、社民党の保坂展人衆院議員は、98年6月16日に「警視庁が(『警察が狙撃された日』の)著者割り出しのために三一書房の取引銀行に捜査照会した事実はあるか」と国会で質問しました。当局は、刑事訴訟法197条2項に基づいて「照会を行ったことは承知している」と事実関係を認めたそうです。これに対して、保坂議員は「出版社と著者に対する圧力だ」と指摘しているそうです(社会新報98年7月29日号)。

私がこの本の存在を知った98年10月中旬から、紀伊国屋、丸善など都内の主要書店を10店以上探してみましたが、どこにも在庫がありませんでした。そこで、神田神保町の三省堂書店で注文しようとしたところ、三一書房は現在在庫を放出しておらず、当分入手不可能であるとのことでした。なぜ、そのようなことが起こるのかと窓口の人に聞いたところ、ロックアウト(経営者が社員を会社内に入れない状態)中らしいと言われました。この本のために、三一書房は、金融機関を通した警察からの圧力によって厳しい状態に追い込まれている可能性があると思われます。憲法によって保障されている言論の自由が、警察の圧力によって、弾圧されている可能性があると感じました。

また、三一書房にも電話がつながらないため、地方都市で発売当初の在庫(初版は98年2月に発行された)の残っている書店を探し出してやっと手に入れることができました。三一書房に送ったファックスに対する返信によれば、最近ではヤマト運輸の通信販売サービス部門に申し込むと購入できるようになったそうです(99年1月4日)。

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