臼井吉見(1905-1987・明治38年-昭和62年)
昭和62年7月12日歿 82歳  東京・八王子市上川霊園




これら残雪の高い山々がうしろにひかえた、いまごろの安曇野ほど美しいところを良は知らなかった。見渡すかぎり、紫雲英の花で埋もれ、そこかしこに土藏の白壁がちらほらする。大地主もなく、貧農もない、多くは勤勉な自作農で、家のつくりにも、それらしいおちつきがある。どこの家でも蚕を飼い、収入も割がよかっただけに、たいていは母屋のほかに、蚕室の棟がならんでいる。川という川に水が溢れ、葦がしげり、よしきりが鳴きたてる。昼はねぶたげな山鳩が聞え、暮れがたになると、水鶏がたたく。れんげ田がまもなく鋤かれて、代かきがはじまり、たちまち水田に化してしまう。
追っかけて田植がはじまる。どこの耕地にも、頓智のいいのがいて、植えている最中にも、おどけを言うと見え、どっと笑いがはじける。女衆のなかには、たまりかねて腰をのばし、のけぞって笑いこける者もある。夜は、蛍が家のなかまでゆらいでくる。更けてくると、蛙のこえで村中がいっぱいになる。
「絵がお好きなのですね。いつも、こうして描いてらっしゃるの?」
「忙しくって駄目さ。冬はひまにゃなるが、寒くなっちまって……」
良は松本へ出かけるとかいうことであった。三枚橋で松本行きの乗合馬車を待ち合せるには、幅下から、矢原耕地をまわって、守衛の家の近くの田んぽ道をえらぶのが近道になる。いまからでは、今晩は松本泊りだろう。守衛は、そんなことを考え、パラソルが見えなくなるまで見送った。

(安曇野)


吉見の代表作は、相馬愛蔵・良(黒光)夫妻を中心に、明治・大正・昭和に渡っての安曇野に絡む人々の長編小説「安曇野」。初めてそのペンを執ったのは59歳の時であった。以来、多くの病を得、中断を余儀なくされた時期もあったが、68歳まで書き継ぎ、ようやく大作5巻を刊行することができた。安曇野に生まれ、安曇野を書き、安曇野を抱いた作家、臼井吉見が、山里の田園風景に思いを馳せ、82歳の生涯を閉じたのは昭和62年7月12日午前10時45分のことである。


自筆銘「滾々汨々」を刻んだ臼井吉見の墓、吉見の歿後わずか4ヶ月足らずで後を追うように逝った妻あやも共に眠っている。雛壇のように迫り上がっている霊園の、登り切ったあたりのわずかな平地、墨彩色の山々が幾重にもズームアウトしていく遠景を前にする。そこは春、芝生庭の塋域には、色とりどりの菫やベゴニアが咲いている。古里、安曇野・堀金村は紅紫色のれんげ草で埋もれて、わらびも顔を出し、もう鬼つつじも咲いているだろう。あの常念岳の残雪はもう消えてしまったろうか。