米原万里 よねはら・まり(1950—2006)


 

本名=米原万里(よねはら・まり)
昭和25年4月29日—平成18年5月25日 
享年56歳(浄慧院露香妙薫大姉)
神奈川県鎌倉市扇ガ谷2丁目12–1 浄光明寺(真言宗)



随筆家・小説家。東京都生。東京外国語大学卒。9歳から両親と友にチェコスロバキアのプラハに在住、ソビエト学校で学ぶ。ロシア語の同時通訳で報道に貢献し、平成4年日本女性放送者懇談会SJ賞。7年『不実な美女か静粛な醜女か』で読売文学賞、9年『魔女の一ダース』で講談社エッセイ賞受賞。ほかに『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』『オリガ・モリソヴナの反語法』などがある。







  

  おおよそ大多数の人々にとって、自己と自民族あるいは自国中心に世界は回っているものだから、地動説と天動説の出会いというよりも、天動説同士の衝突が日常茶飯。
 あらかじめ台本をわたされる役者と違って、同じヤクシャでも通訳者は、特に同時通訳者は、次に話し手が何を言い出すか分からない。まるで暗闇の中をまさぐるようにして進むも同じ。こういう場合、話し手のおかれた立場に自分をおけばおくほど、話し手が次に言い出す言葉が予測しやすい。だから通訳者は自然話し手の意識世界に入り込もうと努めるものだ。一方で聞き手に訳出して伝える際には、聞き手の立場に自分をおけばおくほど、聞き手により正確に理解できるよう伝えることができる。
 つまり、話し手と聞き手両方の言葉を解する通訳者の業務中の頭の中では、異なる常識と発想法と見方が衝突したり、補強し合ったり、調和したり、齟齬をきたしたりしてひしめき合っている。戦場のような、喜劇の舞台のような、とにかく心安らかな秩序と安定には無縁な時空間なのである。
 そこでは、明確に概念規定されていると思い込んでいた単語の輪郭さえも、ゆらゆらと揺らぎ、ミシミシと音たてて崩れることが、ごくありふれた出来事のように繰り返される。言葉と、それが指し示す事物の間の距離を、これほど恒常的に感じ続ける職業も珍しいのではないか、という気がしてならない。

(魔女の一ダース)



 

 〈ソ連崩壊前後のロシア語需要激増の波に乗ってテレビ等の同時通訳者として稼ぎまくり、鎌倉に「ペレストロイカ御殿を建設〉して平成12年末、都内北馬込から井上ひさしと結婚した妹ユリの住む鎌倉の家のすぐ近くに転居、14年には『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したのだが、翌年母美智子が誤嚥性肺炎で亡くなると同時に万里にも癌が見つかった。その翌年の文藝春秋企画編集『私の死亡記事』に万里は〈2025年10月21日未明に息を引き取った。享年75。死因は狂犬病と推定される〉と自らの死亡記事を書いていたが、それから2年後の平成18年5月25日、〈終生ヒトのオスは飼わず〉十数匹の猫や犬たちと暮らした鎌倉佐助の自宅で卵巣癌のため死去した。

 


 

 谷戸の奥の奥、鎌倉石という砂岩を穿った横穴式の墳墓「やぐら」がずらりと並んだ岩壁の上は紅葉が夕日に映えている。カルデラのように窪んだ墓地の下段で、墓守が落ち葉焚きをしている青白い煙が最上段の塋域まで立ちこめてくる。山から降り散ってきた枯れ落ち葉がふき溜まっている竹林の前の一区画に全く同じ型の墓が二基並んでいる。右側には万里の妹ユリと再婚した井上ひさしの眠る「井上家之墓」、左側には平成17年に万里とユリで建てた両親の眠る「米原家之墓」、翌年、この墓に米原万里の名も刻まれて眠っている。自らが図面を描き建てた理想の家には僅かな時間しか住むことは叶わなかったが、自分の死後の行く末を案じていた愛犬や愛猫たちはそれぞれ里親に引き取られていったという。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


墓所一覧表


文学散歩 :住まいの軌跡


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