新田 潤 にった・じゅん(1904—1978)


 

本名=半田祐一(はんだ・ゆういち)
明治37年9月18日—昭和53年5月14日 
享年73歳(無得豊潤居士) 
東京都台東区谷中1丁目4—10 瑞松院(臨済宗)



 
小説家。長野県生。東京帝国大学卒。昭和8年高見順らと『日歴』を創刊。11年『人民文庫』の創刊に参加し、庶民の哀感を描いた作品を発表。戦後は風俗的な作品を書いた。『煙管』『片意地な街』のほか回想的小説集『わが青春の仲間たち』などがある。







 

 私は線香を上げに仏壇に近づいた。するとその時私は、まだ生々しい白木の位牌の前に、あの刀豆煙管が、まるで何か大変貴重な家宝でもあるかのやうに、白い晒の布地の上に置かれてあるのを見出した。
與作老人は何か頑固のために命を棄る結果になったらしかった。この頑国さは吾々の同志達が示すあの身を以って秘密を守らうとする鉄の頑固さであったらうか。生活の没落に圧せられたこの小所有者は、その憤懣の吐け口を遂に吾々の運動への加担に見出したのであらうか。私はこんなことを考へめぐらして何か亢奮してゐたことを覚えてゐる。だが間もなくそれは私の先走りし勝な推量であったことが判った。それは全くただただ頑固と言ふものだった。一徹な老人の頑固さには実際驚嘆すべきものがある。だが、私は、この真相を語ってくれた町の同志の言葉調子や微笑の中に、あたかも同志に対つてのやうな大変な親しみの情をこの馬車屋の爺さんに寄せてゐるのを見るのだった。


                                         
(煙管)



 

 東京帝国大学英文科に入ってからの文学仲間であった高見順(本名高間芳雄)が左翼芸術連盟の機関誌に作品を発表するに当たってつけた筆名高見順の「順」という音につられて共鳴するように「潤」という名前をつけてしまったというほど高見とは特に親しく、『日歴』の同人でもあった高見の日記や回想記にはよく名前が出てくる。京橋図書館に勤めながら執筆した『煙管』などの作品で新進作家として認められていったが、時局の重圧に抗しきれず、やがては風俗的な作品へ移っていった新田潤はいまや忘れられた作家の一人となってしまった感がある。数年前に発病した結核が癒えぬまま、昭和53年5月14日午前1時、食道静脈瘤破裂のため東京・杉並区高円寺の自宅で死去した。



 

 下町風情に癒やしを求める内外の人々で近年とみに人通りの多くなったこの界隈であるのだが、かつては藍染川が蛇行しながら流れ、今は暗渠となって通称へび道と呼ばれている道筋の西側には藍染川の流水で染め物を濯いでいたという染物の丁子屋が見える。そこから一丁ほど言問通りに向かって歩き、三浦坂へ向かう通りと交わるあたりを過ぎると左に蒲生君平の墓もある臨江寺があり、その隣に臨済宗妙心寺派の祝融山瑞松院がある。石柱山門から小振りな本堂まで真っ直ぐに敷石が並んでいる。本堂裏の墓地に入るとすぐ、「新田潤/芳子之墓」の墓碑が眼に入る。右側面に戒名と没年月日、新田潤本名半田祐一/上田市出身/半田仲太郎/くに之男との刻みがある。風貌を写したような外連味のない素直な墓であった。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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文学散歩 :住まいの軌跡


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