西村賢太 にしむら・けんた(1967—2022)


 

本名=西村賢太(にしむら・けんた)
昭和42年7月12日—令和4年2月5日 
享年54歳(賢光院清心貫道居士)
石川県七尾市小島町ハ148 西光寺(浄土宗)



 
小説家。東京都生。町田市立中学校卒。中学卒業後はさまざまな肉体労働で生計を立てながら創作をはじめ、平成16年「けがれなき酒のへど」でデビュー。23年『苦役列車』で芥川賞受賞。暴力、愛憎、酒による悶着などを題材とした作品群は「破滅型私小説」と称された。ほかに『どうで死ぬ身の一踊り』『芝公園六角堂跡』『暗渠の宿』などがある。







 

 とどのつまり、日下部は普通に恵まれている人間なのだ。
 日下部も美奈子も、結句貫多とはどこまでも根本的な人種が違っているのだ。
 この者たちは他者にも囲まれた、普遍的な人生のロイヤルロードを着々と歩き、自分はこのまま人足を続けていくしか、どうで今は方途もない。それがどれだけ慊かろうとも仕方がない。すべては自業自得のなせる業なのだ。今はただ、日当の五千五百円だけを頼りに、こうした日々を経てるより他には、自らの露命を繋ぐ道がないのである。
 しかしそれにしても、こんなふけた、生活とも云えぬような自分の生活は、一体いつまで続くのだろうか。 こんなやたけたな、余りにも無為無策なままの流儀は、一体いつまで通用するものであろうか。
 それを考えると、彼はなんとはなしに、自らの行く末にとてつもなく心細いものを覚えてくる。
 そして更には、かかえてくるだけでやっかい極まりない、自身の並外れた劣等感より生じ来たるところの、浅ましい妬みやそねみに絶えず自我を侵蝕されながら、この先の道行きを終点まで走ってゆくことを思えば、貫多はこの世がひどく味気なくって息苦しい、一個の苦役の従事にも等しく感じられてならなかった。


                                         
(苦役列車)



 

 芥川賞受賞作『苦役列車』の文庫版の解説に、〈西村氏の全ての作品は、ろくに風呂にも行かず顔も洗わず着替えもせずにいる男の籠った体臭をあからさまに撒き散らしていて、その心身性には辟易する読者もいるに違いないが、しかし有無いわさずこれが人間の最低限の真実なのだといいきっているのがえもいえぬ魅力なのだ〉と賛をおくった石原慎太郎が令和4年2月1日に死去。その敬愛する石原の追悼手記を読売新聞に寄稿したわずか三日後、2月4日夜、赤羽からのタクシー車中で意識を失い、心肺停止の状態で運転手によって病院に運び込まれたまま、翌5日午前6時32分、東京・東十条の明理会中央総合病院で急死した。



 

 「反吐」を吐きそうなほどの破滅型、無頼の人であった。かつて青山霊園に田中英光の墓を訪ねた時、雨に濡れてふやけてしまっている『田中英光私研究』なる冊子が墓前に立てかけられているのを手に取ってみたことがあったのだが、それが当時無名の西村賢太が墓前に献げ置いた私家版であったと知ったのはずっと後のことであった。西村が数々の事情から田中英光を離れ、三十歳を目前に控えた頃より藤澤清造に傾倒、清造の没後弟子と称して能登の七尾なる小都市の浄土宗の寺にあった朽ちた墓碑を改修、その隣りには平成14年に自らの墓を建てた。「藤澤清造の墓」に並んで少し高さを抑えた藤澤清造自筆を集字の「西村賢太墓」、暮れかける秋の夕景に沈んでゆく。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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