平野威馬雄 ひらの・いまお(1900—1986)


 

本名=平野威馬雄(ひらの・いまお)
明治33年5月5日—昭和61年11月11日 
享年86歳(大聖院文阿碩量清居士)
千葉県松戸市上本郷2381 本福寺(時宗)
神奈川県横浜市中区山手町96 横浜外人墓地15区  



詩人・評論家。東京都生。上智大学卒。父はフランス系アメリカ人で母は日本人。モーパッサンなどの翻訳を手がけ、昭和28年から混血児救済のため「レミの会」を主宰。空飛ぶ円盤の研究や「お化けを守る会」でも知られた。著書に自伝『混血人生記』翻訳『ファーブル昆虫記』詩集『青火事』のほか研究書『フランス象徴詩の研究』などがある。







 

母の足駄の 片っぽが
春のぬかるみ つけていた
母の足駄の 片っぽに
桜のはなびら ついていた
母の蛇の目を日にすかし
むらさきいろの空をみた
母の蛇の目のなつかしや
にぎりにまいた竹のつや
いつまで母の おしろいの
においがのこって 小半日
ぼくはメンコの 自雷也と
さびしくなにか話してた


 (母の足駄)



 

 混血児であるが故に〈魂は日本人なのに、顔が違うというだけで差別されることがどんなに悲しいことか〉という思いが強かったこと原因かどうか、青年期には無頼な生活を送った。大学在学中の20歳で『モーパッサン選集』を刊行するなど早熟な才能を見せたが、風邪による鼻づまりの治療薬として友人からコカインを教えられたことから重度のコカイン中毒となり15年もの間、薬漬けの生活を送ったこともあった。戦後は千葉県松戸市に居を移し、青宋庵と名付けた寓居で昭和28年、小説『家なき子』の主人公にちなんだ「レミの会」を結成、混血児救済のために支援してきたが、昭和61年11月11日、心筋梗塞のため入院先の松戸市立病院で86歳の生涯を閉じた。





 

 松戸市上本郷の寓居から数百メートルの距離にある時宗の寺・本福寺に昭和44年に建てた「平野家」墓に埋葬された威馬雄。墓誌に父ヘンリイ・パイク・ブイと母駒と並んで威馬雄の法名と没年月日が刻まれている。平野家はカトリック信者だと思っていたので時宗の寺にある墓に少なからずの違和感を覚えたのであったが、娘の平野レミさんの夫君和田誠氏が平成31年に死去された際に、レミさんが威馬雄となじみ深い横浜の外人墓地に新しく威馬雄と和田誠のために墓を建てた。和田誠デザインの洋風黒御影の墓碑に「平野威馬雄 きよ」、その隣りに「和田誠」、下に愛娘の結婚祝いに贈った「風強ければ 神様は靴の踵に棲みたもう」という言葉が刻まれているというが、私は未だ訪れていない。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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