岩田豊雄(1893-1969・明治26年-昭和44年)
昭和44年12月13日歿 76歳 (牡丹亭豊雄獅子文六居士)谷中霊園
しかし、今度の病気から、そうはいかなくなった。ちょいと四、五町の距離を歩いても、すぐ疼痛が始まるし、最初、病気の正体のわからなかった頃に始まったノイローゼが、少しもよくならず、毎日鬱々として、愉しまない。久しく眠ってた、自殺の誘いが頻りだが、せっかくここまで、生きてきたのだから、そして、自然死も遠くないのだからと、辛抱してる。しかし、痛みは、体を動かさなくても、コルセットをはめた圧痛で、襲ってくるし、すると、すぐ、病気のことを考える。動脈瘤が破裂したら、どんな苦痛を味うのかとか、いや、そんなことを考えて、ビクビクしてるより、今すぐ、襲来してくれぬかとか---
これでは、悠々自適は覚束ない。私が今置かれてる運命は、安心立命に遠い。もっとも、時々、昔、何とかいう海軍の古手の爺さんが、唱えてたように、後も先きも考えるな、今日只今ありがとう、という気になれば、試練に勝つことはわかってる。私の置かれた運命は、セッパ詰ってるから、もう一飛ぴで、そこへ行けるかも知れないと、欲が出る時もあるが---
(牡 丹)
「病気の正体を知ろうとしたり、行き先を予測してみたりしても、何になるのか。要するに、私は苦しみ、そして死ぬ---それだけのことだ」--獅子文六の「手記」は死に対して率直である。昭和44年12月3日文化の日、文化勲章を授けられ、その10日後、赤坂の自宅で死去。おそれていた動脈瘤破裂ではなく脳出血のためであった。
この墓地は、自分が今何処にいるのか不明なほど入り組んでいる。迷路の辻にある銀杏の木陰で涼をとる。一息ついた視線の先、前の墓に隠れて凛と立つ、この小さな墓に故人の名はない。卒塔婆の「獅子文六居士」の文字のみが故人を偲ぶ縁である。詣道に跳ね返る陽炎が、意外なほど優しい湿気を含んで私を包んだ。