
夏目金之助(1867-1916)
慶応3年1月5日ー大正5年12月9日 50歳 (文献院古道漱石居士)
豊島・雑司ヶ谷霊園
貴方は現代の思想問題に就いて、よく私に議論を向けた事を記憶してゐるでせう。私のそれに対する態度もよく解ってゐるでせう。私はあなたの意見を軽蔑迄しなかったけれども、決して尊敬を払ひ得る程度にはなれなかった。あなたの考へには何等の背景もなかったし、あなたは自分の過去を有つには余りにも若過ぎたからです。私は時々笑った。あなたは物足りなさうな顔をちょいちょい私に見せた。其極あなたは私の過去を絵物語のやうに、あなたの前に展開して呉れと逼つた。私は其時心のうちで、始めて貴方を尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或生きたものを捕まへやうといふ決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜らうとしたからです。其時私はまだ生きてゐた。死ぬのが厭であった。それで他日を約して、あなたの要求を斥ぞけてしまった。私は今自分で自分の心臓を破って、其血をあなたの顔に浴せかけやうとしてゐるのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です。
(こゝろ)
前日に第188回まで書き上げた「明暗」の原稿をのこし、最後の胃潰瘍を発病したのは大正5年11月22日のことであった。その後10日あまりの闘病の後、親族と門下生に見守られ12月9日午後6時45分、近代文学の支柱たる文豪漱石は息をひきとった。死後漱石の遺体は、東大医学部解剖室において長与又郎医師の執刀によって解剖が行われ、その時摘出された脳はいまでも東大医学部に保存されているという。
鏡子夫人が、漱石の死の翌年、一周忌に間に合うようにと妹婿の建築家、鈴木禎次にまかせてつくらせた、安楽椅子をデザインしたといわれるその墓は、漱石の作品に心惹かれていた私には、あまりに大きくて、イメージとかけ離れているようで少なからずの衝撃を受けた。芥川龍之介が自殺の数日前にひとりで墓参りをしたというこの墓を、「こころ」の主人公である「先生」が墓参りの途中に目にしたらどんな感想を抱いたであろうかと想像すると、なんとも奇妙な気がする。
