川口松太郎(1899-1985)
明治32年10月1日ー昭和60年6月9日 85歳 
雑司ヶ谷霊園


  「これが見納ですよ、よく見て置いて下さい」
 お骨の上に手を置いておかるの写真の前へ立った。母が子供に物いう声だった。
 最初は川崎の大師へ行きお坊さんにたのんで白衣の背に「南無大師遍照金剛」と書いて貰い、笠には寺島清太郎、妻仲子と書き添えた。
 信吉が浦安へ馳けつけた時にはもう誰もいなかった。店には休業の札が貼ってあるだけでしんとしている。信吉は青くなって日本橋へ飛んで行ったが、小とりの母は会わなかった。「会うのは辛い」という言づけだったが母の悲しみの判るような響きだ。信吉にも方法はなかった。巡礼の旅から帰るお仲を待つより外はなかったがお仲は帰って来なかった。行く先も判らぬまま二月三月とたったが帰らない。とうとう半年目になったがたよりはなく所在不明だ。
 「西国巡礼を終ったあと清太郎さんのお骨を体へ縛りつけまま、何処かの海へ沈んだのでしょう」
 父の良吉ががいった。
 「あの娘は清太郎さんに命を賭けていたんだ、満足して死んだに違いない」
 ともいった。父の想像は当っているような気がする、生死を共にすると誓ったお仲は清太郎亡き世の中に生きる気がしなかったのだろう。落人のおかるに満足して死んだ清太郎を抱いて春寒の海へ沈んだのだろう、清太郎もお仲も地上に墓はない。西国の暗い海の底に二つの魂は眠っている。
(歌舞伎役者)

 川口松太郎は多彩な遍歴を持つ作家である。小学校卒業後、洋服屋や質屋の小僧、古本露天商、警察署給仕、電信局勤務、講釈師許に住込み口述筆記手伝い、編集者等を経ての作家人生であった。妻であり女優の三益愛子を看取ってから3年後の昭和60年6月、86歳、東京女子医大で肺炎により死去。

 実親を知らない子として浅草の貧乏職人の家庭に育てられ、家族愛に飢えていた彼が最愛の妻、三益愛子とともに眠る「川口一族」の墓。 冬日の昼下がり、玉柘植の植え込みに挟まれた台石には土埃が被り、吹き溜まった枯葉が風に遊ばれて二折れ、三折れと砕けていくのを、ぼんやりと眺めていた。