
石原吉郎(1915-1977)
大正4年11月11日ー昭和52年11月13日 62歳
多磨霊園

風は最初の意志だと わたしは思いつづけた。意志はいつでも はじめの姿にかかわるのだと。もののながれにかかわらぬと。わたしはたぶん 意志したときにわたしであり そののちはげしくみすてられた。わたしはそのとき 風になるわたしが風になるすがたを見ていたのだが あるいは水が 凍ろうとするすがたを 見ていたのかもしれぬ。そのいずれの側に 意志ともいえるものがあったのか。風と私と あるいは水と 氷と。すがたをのぞむことと 姿を去ることの いずれに意志は属したのか。そのときにもおそらく 虹は立つべきであった。だがそれは立たなかった。
( 姿 )
風がながれるのは
輪郭をのぞむからだ
風がとどまるのは
輪郭をささえたからだ
ながれつつ水を名づけ
ながれつつ
みどりを名づけ
風はとだえて
名称をおろす
ある日は風に名づけられて
ひとつの海が空をわたる
この日は 風に
すこやかにふせがれて
ユーカリはその
みどりを遂げよ
(名称)
サンチョ・パンサが死んだ。私の指標は消えた。「死はそれほどにも出発である/死はすべての主題の始まりであり/生は私には逆向きにしか始まらない/死を<背後>にするとき/生ははじめて私にはじまる/死を背後にすることによって/私は永遠に生きる/私は生をさかのぼることによって/死ははじめて/生き生きと死になるのだ」。昭和52年11月13日は私の青春の墓標となり、新天地への出発点ともなった。
「死者は海、生者は海へそそぐ河だ」。私は海を信じ、とうとうこの場所に来てしまった。上福岡の自宅浴槽に急性心不全の身を沈ませていた詩人の死をニュースで知らされてから20数年がたっていた。「文学者掃苔録」はただただ、この地へ辿り着くための旅でもあった。なだらかな自然石の上に「信濃町教會員墓」、左側の墓誌にならんだ「石原吉郎 77.11.14/石原和江 93.8.9」の文字。ここに海があった。安堵の海があった。私の旅はまた出発点にたった。「そこが河口/そこが河の終り/ そこからが海となる/そのひとところを/たしかめてから/河はあふれて/それをこえた/のりこえて さらに/ゆたかな河床を生んだ/海へはついに/まぎれえない/ふたすじの意志で/岸をかぎり/海よりもさらにとおく/海よりもさらにゆるやかに/河は/海を流れつづけた」