色川武大(1929-1989)
昭和4年3月28日ー平成1年4月10日 60歳 (行雲院大徳哲章居士) 
谷中霊園

 私は権利という意識を育てられなかった。何事に限らず、強制ということができない。自分には他人に強制できる権利などないと思っている。けれども、唯々諾々として他人に従がっていることはできない。競争相手の居ない場所で勝手にやろうとする。他人の土地に攻めこむことはまったくしないが、そのかわり、私の土地を他人に蹂躙はさせない。
 当時の私の眼には、元職業軍人の父親は、典型的な別世界の人物に見えた。(中略)
 父親はあくまで攻めこもうとし、私は頑強に劣等を守った。ここがさらに煮つまれば私も死ぬし父親も殺す。父親が早晩死ぬはずの存在だと思いながら、まんざら冗談でもなく殺意も併せ持っていたのはこの点に関してである。
 その劣等の私が、父親を体力的に組み敷いてしまって、体力ばかりでなく、父親がそれなりに培ってきた内心までも踏みにじってしまったとき、私ははじめて人生というものに触れたような気がした。
( 百 )  

 39歳の頃から神経病の一種ナルコレプシーが高じ、実際の風景とは異なった幻視幻覚幻聴の不快さで色川を悩ませる持病になったが、平成1年のこの日午前10時30分、心筋梗塞のため宮城県瀬峰町の県立瀬峰病院で急停止するまで、混沌とした気分の中、純文学は色川武大、麻雀小説は阿佐田哲也と二つの筆名を使い分け、昼夜兼行で突っ走った。

 乾涸らびて亀甲模様になった土庭の表面が、歩くたびにぼこぼこと崩れていく。帽子のように半円型の笠をかぶった「色川家之墓」。微かに届いた陽光が碑の側面に揺曳している。裏側には色川武大の名が刻されてあった。しなだれかけた菊花をたてなおそうと手を添えると、花びらの数枚がひらひらと土の割れ目に吸い込まれていった。