井上光晴(1926-1992)
大正15年5月15日ー平成4年5月30日 66歳 
岩手県二戸郡浄法寺・天台寺霊園

 自分のいまいる場所だけが、世界から切り離されてしまい、帰ろうと思っても決して帰りつくことはできないという不安。あの二人の患者もそうなったのか。電灯のつきはじめた家の中や向うから走ってくる自転車の男や、後の方できこえる通行人の話し声などを一つ一つ自分の目と耳で確かめながら、不安は一こうに消えない。私は電信柱に貼られた広告の文句を読む。行きにも同じように読んだから。それはどこも違ってはいない。あたたかい匂いを漂わせている豆腐屋の店先。客から皿を受取ると掌の上でおかみさんは豆腐を切る。いつかもこれと同じ光景を見たことがあった。おかみさんの手つき、客の着物の柄、赤い火の燃えている竈。以前に出会ったこれと同じ光景が本物だとすれば、今見ている私はどうなるのか。自分は絵の中に入り込んでしまったようだ。
(残虐な抱擁)

 子供の頃、「嘘吐きみっちゃん」と呼ばれていた井上光晴、自筆年譜まで虚偽の創作をしていたことが死後、次々と判明してきた。妻や娘さえ欺いていた彼の真意はどこにあったのだろうか。あるとき瀬戸内寂聴に「嘘をつかなければ生きてこれなかった」と涙した彼の心情を詮索することはやめよう。S字結腸癌を宣告されてから亡くなるまで、五年間におよぶ壮絶な生き様をカメラの前にさらして、平成4年5月30日午前2時58分、最後の息は途絶えた。まさに「全身小説家」そのものであったのだから。谷川雁は弔う。「オンザロックの氷のようにおぬしは溶けた。自我の司令塔を解体した。雲よ、光晴という名の雲よ。おぬしの残した文字については、プロレタリアのプの字もわからぬ連中が何かいうだろう。あれこれの値札をつけるだろう。そんなものと渡り合うことをやめる。おれはただおぬしの言葉の最後の一滴をこの世に呼び戻したい。」

 「のろしは あがらず のろしは いまだ あがらず 井上光晴」、日当たりの良い斜面、雛段に並んだ少しばかりの碑の中に自作の詩を筆刻した作家の墓があった。分け入るごとに青さを増す山々、岩手県北部の鄙びた山中にある天台寺。檀家が二十数軒しかないこの寺の住職であった瀬戸内寂聴の縁で、死後7年もの間、妻郁子のクローゼットの中にあった遺骨が安置された。生前、光晴も一度だけこの寺を訪ねている。寂聴の誘いで夫婦同行、三人で、どぶろくを飲んで一晩を過ごしたという。20年前、寂聴が京都から株分けした七色の紫陽花が、参道石段の両脇に今を咲き時とばかりに競い合っているのだが、参道中途の横道をそれたこの墓域には、限りなく精錬された陽光だけを取り込むような杉木立の静けさがあった。