今井くにえ(1890-1948)
明治23年5月31日ー昭和23年7月15日 58歳 (歌葉院釈往詣楽邦大姉) 
静岡県・富士霊園


入日入日まっ赤な入日何か言へ一言言ひて落ちもゆけかし      (片々)

つゝましく香油かをれるぬばたまの夜のくろ髪をまくは吾が背子   (光を慕ひつつ)

全くに飛雨となりし一本の槻の茂りに飛び入る小雀 

真木ふかき谿よりいづる山水の常あたらしき生命あらしめ

雪明りおぼろに遠き山に向ひありどを知らぬ霊こひまつる

病みの身のいのちをかけて産みつべき如月の月に入りにけるかも   (紫草)

順次に生命終りて土に還るこのまことこそ今はいたしけれ      (明日香路)

をみなにて歩みつづけむわが道に命きはまらばそこに静まらむ    (明日香以後)

 「歌人の大群衆は行き行かむおのれの道をここにふみしむ」と巻頭に掲げ、いまなお唯一の女性のみの短歌誌として会員を増やし続けているという「明日香」を主宰した邦子の、妻、母を超え一人の女性として、歌人として生きる決意を示した情熱と静かなる奔流を心しよう。昭和23年7月15日朝、疎開先であり幼少女期を過ごした長野県下諏訪町湯田の実家で、心臓麻痺のため亡くなった今井邦子の机上の手帳に遺された絶筆「己が身の一生を今にして夢の如しもわが生涯をかえりみるかな」こそ、家庭の不和、師島木赤彦との出会い、杉浦翠子との確執を顧み、彼女の至りついた安らぎの境地であったのか。

 下諏訪に帰郷のたび、詣でる師の墓。歌人としての「今井邦子」を導き、成しえた島木赤彦を想い、「人気なき墓辺に夏の日は照らひ常かくあらむ静けさ思ほゆ」、「み墓辺の若楓葉を透きてとほす朝の光や物言ふごとし」と詠嘆しているが、去来することどもの関わりは遠くに、樹木の息吹を緑濃く滲ませた「今井」墓は碑列のひとつとして朝日に向かう。今井家の菩提寺である小石川・寂円寺に埋葬された邦子、刊行見ること叶わなかった歌集「こぼれ梅」は仮綴じのまま棺に納められたというが、後にこの霊園に移葬され、「齢すぎていま争はず夫の言ふ頑固ごとも頷かれをり」と詠んだ夫健彦、長男幸彦の遺骨と共に「こぼれ梅」の完装本も納めてあればと想像してみる。