池波正太郎(1923-1990)
大正12年1月25日ー平成2年5月3日 67歳 (華文院釈正業) 
東京西浅草・西光寺


 密偵・伊佐次は、まだ石川日向守屋敷の足軽長屋から、うごけなかった。
 「やはり、あの……」
 と、夜の居間にいる長谷川平蔵へ、茶を差し出しながら、久栄が、
 「やはり、伊三次は癒る見込みがないのでございましょうか?」
 いい出るのへ、平蔵はこたえず、茶碗へ手も出さずに立ちあがって、障子を開けた。
 雨気をふくんだ五月闇が、重苦しく庭にたれこめている。
 「殿さま……」
 「もう、いうな」
 「は……」
 「伊三次は、もはや、亡きものとおもえ」
 石川屋敷から、先刻、知らせがとどいた。
 飯島順道は、
 「あと、二、三日のうちには……」
 伊三次が息絶えるであろうと、いったそうな。
 平蔵は明日から、伊三次の枕頭に詰め切るつもりでいる。
(鬼平犯科帳・五月闇)

 東京下町に生まれ下町育ち、十三歳から大人の世界に入り様々な見聞を深め、「人生の達人」と称された作家がしばしば対話の中で語ったという言葉がある。「人は死ぬために生きる」----「死」を原点として「生」を辿っていく。「掃苔録」、ひいては私の「生」の原型でもある。池波正太郎は急性白血病のため、この日午前3時、東京神田・三井記念病院の一室で原点に還った。

 石川啄木の葬儀がおこなわれたという等光寺が辻にある。隣接するこの寺の細い通路を抜けると、本堂裏の狭苦しい墓地に出た。冷気が澱んでいる石塊だけの空間に、棹石が修復された「先祖代々之墓」が建つ。台石に深く刻まれた「池波」の文字は暗く際だち、供えられた菊花の周りに、冬の残光が微かな温かさを置いていった。