堀 辰雄 (1904-1953)
明治37年12月28日ー昭和28年5月28日 49歳
多磨霊園

一体この小屋の明りは谷のどの位を明るませてゐるのか、もう一度見て見ようとした。が、さうやって見ると、その明りは小屋のまはりにほんの僅かな光を投げてゐるに過ぎなかった。さうしてその僅かな光も小屋を離れるにつれてだんだん幽かになりながら、谷間の雪明りとひとつになってゐた。
「なあんだ、あれ程たんと見えてゐた光が、此処で見ると、たったこれっきりなのか」と私はなんだか気の抜けたやうに一人ごちながら、それでもまだぼんやりとその明りの影を見つめてゐるうちに、ふとこんな考えへが浮んで来た。
「……だが、この明りの影の工合いなんか、まるでおれの人生にそっくりぢゃあないか。おれは、おれの人生のまはりの明るさなんぞ、たったこれっ許りだと思ってゐるが、本当はこのおれの小屋の明りと同様に、おれの思ってゐるよりかもっともっと沢山あるのだ。さうしてそいつ達がおれの意識なんぞ意識しないで、かうやって何気なくおれを生かして置いてくれてゐるのかも知れないのだ……」
そんな思ひがけない考へが、私をいつまでもその雪明りのしてゐる寒いヴェランダの上に立たせてゐた。
(風立ちぬ)
東京下町・向島の彫金師の息子として生まれ、育った堀辰雄であるが、その作品は洗練された気品のある繊細な美しさに溢れ、下町の匂いはどこにもなかった。戦後まもなく、病に倒れ、以後7年に及ぶ病臥生活に入った。しかし昭和28年5月28日午前1時40分、多量の喀血により、辰雄の愛した軽井沢・追分けの自宅で、病がちの一生に終止符をうった。
昨夜の大雨で泥濘になった枯れ草地の乾ききらない落ち葉が、数葉、その塋域に散り移っていた。落ち葉を抱き込んだ白と黒のモノトーンの玉砂利の上に簡潔な構成の墓組があり、その暗がりの中に 一瞬のハイライトを演出していた。
「風たちぬ、いざ生きめやも。」