堀口大学(1892-1981)
明治25年1月8日ー昭和56年3月15日 89歳
鎌倉霊園

人間よ
知らうとするな、自分が、
幸か不幸だか、
問題は今そこにはない。
在、不在、
これが焦眉の間題だ、
灼きつくやうな緊念事。
生きて在る、死なずに在る、
感謝し給ヘ、今日も一日、
調和ある宇宙の一點、
生きものとして在つたこと。
神にでもよい、自然にでもよい、
君の信じ得るそのものに。
知らうとするな、
知るにはまだ時が早い、
人聞よ、
墜落途上の隕石よ。
(人間の歌・隕石)
堀口大学の歌は、人の世の愁色感と一種の軽快さ漂わせ、多くの人の青春を流れていった。先に逝った詩兄弟・佐藤春夫に胸の張れる詩が出来たといった、辞世の詩「水に浮んだ月かげです つかの間うかぶ魚影です 言葉の網でおいすがる 万に一つのチャンスです」
昭和56年、堀口大学は永い詩人生の最期を、春一番の風雨が去ったこの日正午、急性肺炎により葉山の自宅で妻の手を握りながら静かに迎えた。
<ミラボー橋の下をセエヌ河が流れ われ等の戀が流れる わたしは思い出す 悩みのあとに楽みが来ると>アポリネール・ミラボー橋のこのあとにつづく、<日が暮れて鐘が鳴る 月日は流れわたしは残る>の一節は今になっても私の耳元に小波をうって渡ってくる。この高台の芝垣で囲まれた墓碑のある塋域には、広い谷から吹き上がってきた梅雨の風が抜けきれず、どことなく空しさを携えて残っていた。